2011年11月19日土曜日

11月17日からの支援活動

物資支援と一緒の支援活動
 今年、イザヤ58ネットの最後のチームによる支援活動が11月17日(木)~20日(日)まで行われております。現在、支援活動のチームの一員として、宿泊地の仙台バプテスト神学校からブログを発信しております。
 今回は、福音伝道伝道教団の18教会からいただいた、現地の必要物資のリストに基づいた物資を2。5トントラックに満載して、南三陸町と石巻の2チームで編成されて来ています。
 支援物資は、冬用の衣類、毛布、さまざまな生活日用品、米、また現地をからの要望があったミシンなどを運びました。
 前日の、16日(火)に物資集積拠点である佐野オリーブ教会で、荷物を積み込みました。その前に、毎回支援物資を運ぶときにお世話になっている館林教会のK兄、S兄などが、館林教会で集められた物資を積んで、佐野オリーブ教会に来てくださいました。比較的、建物のスペースの余裕のある佐野オリーブ教会でしたが、荷物の多さにびっくりして、「こんなに積載できるだろうか・・・」と思ったくらいの量です。午後1時すぎに、館林教会からトラックが到着したらさらに、ビックリで、トラックの半分がもう積まれているように見えるほどの物資でした。
 しかし、この道のプロであるK兄は、よく堤防や海の仮の堤防などに使用される、大きな頑丈な工事用布袋を幾つか用意し、そこに物資を入れて、ユンボと言われるトラックについているクレーンで釣り上げて載せていきました。
<クレーンがあり助かりました。よく積み込めたと思うくらいの量でした。> 
翌日、物資支援チームは、南三陸町の仮設に物資を運ぶ予定でしたが、仮設住宅の自治会長から支援の依頼があった衣類乾燥機が3台、仙台バプテスト神学校に届いていることの連絡があり、仙台によって、翌日支援地域に運ぶ予定の支援物資の一部をおろして、三台の乾燥機を
積み込むことになりました。
 今回、最初に物資を運ぶ予定の仮設住宅は<波伝谷>地区の仮設住宅で、皆さんが1時ごろ到着を待っているということで、朝、5時45分ごろ、夜明け前に佐野を南三陸町チームは出発しました。石巻チームは8時に、石巻に向かって出発しました。
<波伝谷(はでんや)仮設住宅について> 
トラックと仙台SBSの責任者で、今回の物資支援の被災者たちとのコーディネートをしてくれたM先生夫妻と一緒にワゴン車とトラックで波伝谷地区仮設住宅に向かいました。M先生の運転で、南三陸町の波伝谷に向かったのですが、まだガレキこそ片付けられているけれど、津波で破壊された堤防や港弯施設の間を縫うようにして、海岸から山に向かいました。正直いってトラックが通れるだろうかという狭いくねくねとした急な山道を登って、こんな所に人が住んでいるのだろうかという山林を縫って山道を登り切ったところに、20戸ほどの仮設住宅がありました。
 波伝谷仮設住宅は海が下に見える、海岸沿いの山の上に、山林を切り開き、山の斜面にへばりつくようにして建てられた20戸ほどの小規模な仮設住宅でした。向かう途中、「波伝谷って、ずいぶん変わった呼び方の地名だね」とメンバーと話あっていましたが、後で仮設のお年寄りから教えてくださったのは、この地区は海岸からすぐ、山の谷間がある地区で、地元の言い伝えでは何百年前の昔、大津波がやってきて、この山の谷間で波が来たというところから「波伝谷(はでんや)」と呼ばれている。この南三陸では、山間部なのに「大船(おおぶね)」という地名があったり(波で船が流れ着いた)、切蘇木(きりそぎ)といって波で切り取られた地という津波に由来する地名があるということだそうです。それだけの津波の歴史があるということだとのことです。
 この波伝谷の仮設住宅の人は、みんな漁師の家庭で、海岸沿いに住んでいた人たちの仮設ということでした。今回の津波から助かったこの地区人たちはみんな浜に近いところに住んでいた漁師たちの家庭ばかりだったそうです。津波で亡くなった人たちは、海岸から離れて住んでいた人たちで「まさか、ここまで来ないだろう」といって逃げ遅れた人たちばかりだったそうです。
仮設住宅で訪問で知った課題
(乾燥機を積み降ろしているところ)
 波伝谷で支援物資と乾燥機一台を降ろして、神割崎キャンプ場仮設住宅、津の宮地区仮設住宅、切曾木地区仮設住宅にそれぞれ一台づつの乾燥機と支援物資を届けました。
 他の地区に物資を波伝谷の自治会長の案内で、届ける間、残っているメンバーで、仮設の人たちと「お茶っこの会」というお茶を飲みながら、傾聴活動をしました。そこでわかった仮設住宅のことは、この波伝谷の仮設にいる人たちは、全員、仮設住宅の抽選に外れた人たちばかりだそうです。そこで山林を持っている地区のある人が、自分の土地に仮設住宅を建てることをお願いして、同じ地区の人たちばかりを集めて住んでいるそうです。ですから、遠い親戚、昔から知っている人たちばかりで、雰囲気はとても明るく、お互いを助ける姿勢が全体にあるようでした。
 お茶を飲みながら、お話を聞いている中で、新たな支援の課題を知ることができました。一つは、仮設住宅の寒さ対策は、想像以上に厳しいということです。波伝谷の仮設はお年寄りばかりです。その仮設住宅の床は、薄いクロスが張ってあるだけです。仮設の集会所には畳敷きですが、各家庭の部屋は、畳はないのです。底冷えがして、かといって、石油ストーブは狭い部屋では、寝る時は危ないし、エアコンは電気代がとてもかかるし・・・といったぐあいです。今回、M先生は、布団と床の間にひく、銀色の保温シートを各戸分を運んできて、大変喜ばれていました。
みなさん、想像してみてください。病院や学校のPタイルの床に 、クロスシートを張ってあるところに布団で寝る状態を・・・。年寄りにはこたえます。
 もう一つの課題は「在宅被災者」の問題です。石巻の支援でも同じですが(石巻の支援活動は次回ブログで報告します)、避難所や仮設住宅には、公的支援がいくし、支援団体も支援しますが、波伝谷の仮設住宅の方が「私たちは、寒いとか不便だとあるけれど、同じ地区の在宅の被災者(家は壊れているけれど、何とか住める人)、また民間のアパートが仮設住宅のように借りて被災者が住んでいる人たちは、一切の支援がないのが現状だ・・・そういう人たちは、住んでいる場所もバラバラで、本当に大変だ・・・」と聞きました。今後は、仮設住宅の人の紹介で、そのような方々に支援するルートを開拓する必要があります。そのためにも、そのような情報を教えてくださる仮設住宅の方々への傾聴活動は、とても大切です。
 次回は、石巻の南三陸町とは違った被災状況と支援活動について報告したいと思います。
物資の配布の様子です。自分の必要なものを探している仮設住宅の方々

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