2011年12月23日金曜日

11月の派遣メンバーから


 遅れましたが、11月の派遣チームの方々の感想を掲載します。今回のチームの特徴は、前に言った経験のあるかたがたほとんどです。

 今回の第三次支援物資と第六次派遣は平行して行われたので、私は両方に参加しました。3回目となる支援物資の量は、1,2回目を遥かに超えるものでした。三分の二位は衣類でしたが、あまりの多さに1台のトラックに積みきれるかどうか心配の声もありましたが、主の導きと知恵を授かり殆どの物資を積み込む事が出来ました。そして、皆様のお祈りに支えられ300kmの道のりを経て仙台の神学校へ到着しました。
 仙台を拠点として、さらに110km北へ、南三陸町の仮設住宅に物資を届けましたが、日程内では配りきれず、私だけさらに2日間の日程が加えられました。奥まった地の小規模の仮設では、なかなか行政の支援が届かない為、今回の物資は非常に喜ばれました。
仙台SBSを先頭にしてこの働きはなされていますが、必要な場所に必要な物を必要な量だけ届けるといった精神には共感すると共に頭が下がる思いです。
皆様からささげられた大量の物資、そして献金と祈りに支えられて、この働きが出来た事を感謝しお礼申し上げます。
 今回初めて芋煮会と石巻祈りの家での礼拝に集え、現地の方と交わりを持てた事も感謝でした.
(T教会K兄)


 11/19の芋煮会のための打ち合わせの時に仙台SBSの森谷師が言っていたことの一つは、「この芋煮会が次の支援につながるものとなるようにしましょう。バトンをつないでいくことができるように」ということだったと思います。最終日11/20の朝食の時には「特に南三陸町では『交流』が支援の中心になって来ています。ぜひ交流のためのアイディアをたくさん持ってきてください」「物資の支援も大切です。しかし、被災された方々にとっては、自分のことを知っていて会いに来てくれる人がいるということが大きな励ましになります」と教えて下さいました。11/22のSBSのブログには「17日(木)から20日(日)まで、『イザヤ58ネット』の皆さんが今年最後のボランティア活動に取り組まれました。春から継続的に私たちの支援活動を支えていただきました。特に背後にあって支援、祈り、協力してくださった『福音伝道教団』の諸教会の皆さんに感謝したいと思います。さらに新たな視点で継続を考えてくださることを期待します」と森谷師が書いています。被災地域や仮設住宅でのバーベキュー、芋煮会、森谷師の手作りコーヒー会、A兄による整体、ギデオン協会の方による聖書配布、石巻のベンソン師によって開かれたゴスペルコンサートなどは、そうした交流のアイディアなのだと思いました。(H教会Y兄)

4日間、お世話になりました。被災地の人たちはどの方も、明るくて、とても前向きと思い感動させられました。芋煮は最高においしかったです。(F教会K兄)

 前回のボランティアでは、心が変えられて、恐れることなくノンクリスチャンの人たちにも帰ってきてノンクリスチャンにボランティアの体験を伝えることができました。今回は、もっともっとたくさんの人に伝えることができることをねがっております。(O教会T兄)

 第二次派遣についで2回目の参加でした。前回6月に比べ石巻の商店街はきれいになり営業しておりますが、少し住宅地に入りますと片づけられた更地になった所もありますが、いまだに床下はきれいになっていましたが外回りは、津波に壊されたままのアパートが並び、住宅も殆ど住んでいませんでした。
まだまだ復興には時間がかかると思いました。そんな中で、私たちは2階建ての家の一階部分の柱や桟のヘドロ、ゴミなどをブラシで掃除して掃除機でホコリをとる作業をしました。
その家は、海水が天井よりわずか5センチぐらいまであふれてきたそうです。柱や壁に茶色にすじが残っていました。
 私たちイザヤ58ネットも長い目で支援を続ける必要があると感じました。
3日目は東松島の工業団地の響仮設住宅というところで芋煮会を行い、住宅の方たちと山形の芋煮を味わいました。(S教会I兄)


イザヤ代表鈴木より
 11月の派遣で今年の派遣は終了して、イザヤ58では、来年の準備をしております。
冒頭にあるように、今回派遣のメンバーには、以前に来た経験のある方々がいます。私たちイザヤでは派遣したチームは必ず、宿舎に戻ったら、寝る前にミィーティングで打ち合わせをして、朝は、デボーションを持ちます。そして、最後の夜に、支援活動で得た恵みを分かち合う時を持っています。
 それぞれが、支援活動で受けた感想や神様から教えられたことを分かち合います。その分かち合いでなされた南米から来た日系のT兄が語ってくれた証しを紹介します。
 「自分は、ご承知のように南米の日系人です。見た目は日本人と変わりはないのですが、日本人ではないので日本に来て言葉で苦労しました。今でもだいぶ以前よりは話せるけれど、思うようにしゃべれないことがあります。たとえば、イエス様のことをノンクリスチャンに証ししたいと思ってもうまく話せないことがあります。
 前回、6月にイザヤ58の支援ボランティアのチームに参加したくて、会社を休暇を取って支援活動をしました。前回は、ずっと外で復旧活動をしていて期間中暑い日で、だいぶ日に焼けました。帰ってから会社に出勤したら、職場の同僚たちから冷やかされました『いいな、休暇とって遊びにいって、だいぶ日に焼けたな・・・うらやましい』とみんなから言われました。僕は『違うよ、実はボランティア活動で石巻に行ってた』と言いました。そうしたら冷やかしていた同僚たちが一瞬シーンと黙ってしまいました。その後、自分が震災のボランティアに休暇を取って行ってたということが会社の噂になり、そのことがきっかけで、今度、会社でボランティアを石巻に派遣することになって、また今月、来る予定です。今まで、言葉がうまく話せないから、証しができないと思っていたけれど、言葉じゃないんだ、クリスチャンとしての行動が証しになるんだと教えられた・・・。証しは言葉だけじゃないんだ」。

 イザヤ58ネットは、小さな支援グループです。そして、それを支えてくれる支援教会は、北関東が中心の全国的に展開している教団ではありません。しかし、そのような小さな教会、小さな教団が外国の支援をあてにしないで、ここまでやれてきました。それは、みなさんの教会が派遣してくれた人や、みなさんの献げもののおかげです。

 12月29日にイザヤ58ネットは、今までの支援活動の評価と今後の方針を話し合います。代表として心に決めている来年の夢があります。

一つは、今まで支援地の様子をレターやブログで写真などを入れて報告してきましたが、来年はぜひ支援している皆さんの様子や、どのような教会から、物資が石巻や南三陸町に送られてきているか、被災者たちにもわかるようにできればと願っています。ぜひ、支援のための祈りの様子、教会からの励ましの様子を集めたいと願っています。ご理解とご協力をお願いします。物やお金ではなくパーソナルな人格と人格が出会う、双方向の支援関係を目指したいと思います。
ブログの最初にある、十字架と地球を中心として握手しているシンボルマークは、それを表しています。「私支援する人、あなた支援を受ける人」ではなく「このことを通してお互いに神様によって成長させていただく」活動がイザヤ58ネットのイザヤ書58章から来ている御言葉による根拠です。
 
 さて、もう一つ、きわめて野心的な夢があります。それは、福音伝道教団の教会に「芋煮会」を流行させたい。皆さん、あれは実にいいです。芋煮会は仙台方式(豚肉、じゃがいも、味噌仕立て)と山形方式(牛肉、里芋、醤油ベース)があるそうです。
山形の人は「仙台の芋煮は本物じゃない、豚汁だ・・・」。仙台の人は「そんなことはない、仙台の芋煮はうまい、山形に負けない・・・」とゆずりません。
 今回、東松島の仮設で山形蔵王バプテスト教会の支援活動の応援として芋煮会を手伝いました。最初、仙台SBSのM先生が味付けをした芋煮(山形式)でした(味付けは奥様には口をださせないそうです)。大鍋が空になったので、今度は蔵王の若い兄弟が作り始めました。具は同じなのですが味付けが微妙に違います。隠し味がそれぞれあって、それぞれにこだわりがあるようです。
豪快な芋煮会です。被災者に喜ばれてます。
 「これはいい・・・。若い人も高齢の人も一緒になれる・・・」と思いました。帰ってから教会でもしたいと思いました。
 芋煮会をやる日、曇り空で今にも雨がふりそうな日でした。仙台SBSのM先生に「先生、雨がふりそうな日ですが、芋煮会はできますかね」と不安そうに言ったところ、「大丈夫!山形の芋煮は芋が煮えるまでは絶対に雨は降らないことになっているから」と言った言葉が印象的でした。事実、雨が降ってきたのは、被災者に行き渡った後でした。
 


 




2011年12月15日木曜日

どの支援団体も

イザヤ58ネットでは、現在、来年の基本方針などを考えるために、今までの活動の評価をしようとしております。そのため、先日東京のお茶の水にあるOCC(お茶の水クリスチャンセンター)のオフィスがある、「東日本大震災支援キリスト者連絡会」(DRCfネット)の責任者に会いに行き、お互いの情報の交換をしてまいりました。
 大きな支援団体の今後、また関西の諸教会の震災に対する基本的な考え。たとえば、名古屋の支援グループの諸教会は、やがてくる「東海沖地震」への対応に対する備えなどを真剣に考えているそうです。
 今まで、どこの団体も、とにかく震災で被災している人を何とかしなければと、いわば無我夢中でやって多少の活動に伴う矛盾(例:物資支援の混乱、他団体との調整)などがとか、起きても、とにかくスピード感をもってやることが中心でありました。しかし、九ヶ月たって、そのようなことを整理し、より効果的に、また物資の支援から、心のケアも含めた被災者支援をすることに目を向けています。
 私たちイザヤ58ネットも12月の活動は、今までの活動を支援者たちからリサーチして、今後の活動に向けてすすんでいきたいと考えております。また現地の支援ネット仙台SBSなどとも緊密に連絡を取り合い、支援活動を息の長い活動にしていきたいと思っております。
 ブログの読者のみなさんも、ぜひメールなどで、私たちイザヤ58ネットの働きに対するお考えがあればお知らせください。
 

津波で一階がトンネルのようになっている石巻の被災地の倉庫、震災から9ヶ月たっても、この状態です

2011年12月2日金曜日

皆さんの小さな手の働きは、神と人に知られている。

このブログを立ち上げてどれくらいたったでしょうか。数日前、何気なく統計を調べたところ、カウント数は、ブログとしては人気タレントなどのブログにはほど遠いとは思いましたが、アメリカ、ドイツ、ロシア、オーストラリヤ、ブラジル、シンガポールからのアクセスがありました。ちょうど、そのようなことをイザヤ58ネットのスタッフに報告したところ、おりかえし、仲間からメールがきました。
そのスタッフの手元に巡り巡って一通のハガキが来たのです。そのハガキはシンガポール
からのハガキです。それを全文紹介したいと思います。実名は控えさせていただきイニシャルで紹介します。
<ハガキの原文>
前略
東日本大震災におきまして、私の郷里である宮城県南三陸町に数次に亘り支援活動にお越しいただき誠にありがとうございます。実家が志津川大森地区にいる母が「キリストさん(母が言っていました)にはとても助けられた」と聞き、そちら様のブログに辿り着き遅ればせながら御礼のご挨拶を書かせていただいた次第です。
震災から7か月余りたちました。9月帰省時は4月帰省時と比較してみると瓦礫はかなり片付けられましたし、店舗も少しずつ再開していたりそれなりに改善しているものの基本インフラ(道路、港湾他)の再整備は手つかずの状態です。
復興への道のりはまだ長そうですが、どうか温かい眼差しで見守り頂ければ幸いです。佛教徒故、神の御加護等言える立場にはありませんが、本当に感謝しております。晩秋の候 何卒ご自愛下さいませ。
平成23年10月29日 シンガポールより感謝をこめて (H・S氏)


 大森地区は、仙台SBSが事前に調査をして、地元の方々と連絡をとりコーディネートしてくださり、イザヤ58ネットが物資支援や、バーベキューなどに関わらせていただきました。
 多くの被災地でも「キリストさんに助けられた」という声があると聞きます。しかし、実際にこのようなお手紙をいただくことは、本当に感謝です。イザヤ58ネットを支えてくださる教会と皆様に感謝します。
  また南三陸町には、私たちだけでなく、様々な支援グループがそれぞれ仮設住宅の方々と関わりを持っています。私たちは、それらのグループとも連携をとりながら支援という小さな手のわざを進めていきましょう。
 「支援と宣教」は、今回の活動での私たちキリスト教会の大きなテーマでもありますが。
「宣教」「伝道」「証し」というと、言葉が伴う面がありますが、ペテロは「無言のふるまい」による異邦人である夫への証しすることをキリスト者の妻に求めております(第一ペテロ3:1~6)。
 信仰を援助の取引とするのではなく、息の長い無言の証しを通して、キリストの輝きが
周囲に広がることをまず求めていきたいと考えます。
 何よりも、大きな被災にあっている心が折れそうな被災者の傍らに立つ支援を続けていければと願っています。
 当初、大森地区は、津波で全壊した建物が少ない地域ということで、支援物資が届いていない地域でした。そこで、物資を届けることになりましたが、地域の皆さんは私たちの到着を待っていました。
7月には、大森地区の方々とバーベキューをしました。地区の集会場は津波でやられて
大勢集まる場所がないので、軒先を借りて地元の人と一緒にバーベキュウをしました。

 
11月の支援物資も届けることができました。