2011年6月30日木曜日

緊急救援物資

 多くの教会、そして地域の学校のPTAの協力で集められた救援物資を、6月24日(金)の2トンロングトラックに満載して、南三陸の大森地区に運ぶことができました。あらかじめ、仙台SBSの責任者のM先生が地域とコンタクトを取り、打ち合わせて、物資が到着したら地域の住民の方が50名ほどの方が、班ごとに仕分けや必要なものを選ぶために集まりました。
 この地域は、壊滅した漁港の近くの高台にある地域で、津波に建物が壊されることがなかったのですが、救援物資が行き届かず、買い物も思うようにいかない地域でした。
 その中で、水、衣料、食料、日用用品などを運ぶことができたことは、地域へのキリスト教系支援グループに対して良いイメージを与えることができたことでしょう。
 SBSとイザヤ58ネットの支援方針は、物資は直接手渡しで、できるだけ交流がなされることを重視しております。大きな救援団体の大規模な支援も大切ですが、支援の行き届かない所を捜して、地域のニーズに応えることを大切にしていきたいと考えております。
大勢の被災者たちが支援物資の到着を待っていました。

今後のボランティア派遣予定
他のボランティア団体と協力して、現地におけるボランティアの活動にかかわります。派遣の日程は以下に予定しております。ただし、現地の状況によって変更があることをご了解ください。また活動内容、車の都合により異なりますが、人数(3-7人程度)が集まり次第、募集を終了いたします。

第三次派遣 ⇒  7月25日(月)~ 7月28日(木)
※すでに募集を締め切りました。
第四次派遣 ⇒  9月 5日(月)~ 9月 8日(木)
第五次派遣 ⇒ 10月 3日(月)~10月 6日(木)

2011年6月25日土曜日

大きく考え、小さく始め、深く成長する

 このブログを書いている日の前日26日(金)に南三陸の大森地区に支援物資を2トン車で満載し3名のメンバーが物資を仙台SBSネットのM先生と共に運びました。到着すると50名くらいの地区の方々が物資を配るための仕分け作業にきたそうです。物資の到着を心待ちにしていたそうです。すべて必要な品物であったと喜ばれていることは、物資を提供した教会、関係者に報告すると喜ばれると思います。
 当初、私たちイザヤ58ネットを起ち上げたとき、何の経験もない者たちができることに限りがあることは十分承知で始めました。起ち上げる時、イザヤ書58章の聖書の言葉と、自分たちの力に限りがあることは神さまにお委ねして、神さまへの信頼には大きく考えて、小さなところから手のわざを始めようと、賛同したY先生、T先生、N先生、S兄と私Sが一週間で一気に起ち上げた組織でした。私たちの属する団体の文化としては、まさに乱暴で、そして大胆なことだったと思います。
 しかし、反響は予想以上にあり、諸教会、信徒の方々の関心、また具体的な支援をいただくことになりました。当初、今回の支援は1000CCの乗用車で届けることを考えていましたが物資が続々と来て、ハイエースワゴンで・・・と考え、とうとう2トンロングのトラックで荷物満載になって、イザヤ58ネットのY先生、このために参加してくれたY牧師と2トントラックを提供してくれたK兄が運転して、80世帯の支援から取り残された地区への支援のお役に立てました。
 このように支援の輪が広がっていることは本当に神さまが支えて下さり、それぞれが自分なりの小さな手のわざによってなされていくことは本当に感謝です。
 私たちの教団だけでなく、他の教団の教会の信徒のS姉、また横浜の長老教会のY先生などが参加してくださり、それぞれが自分の教会で支援活動の証しをしてくださっております。
 私たちイザヤ58ネットは、できるだけ支援を必要とされている被災地の方々に、寄り添った活動をしていければと願っております。この活動を始めるとき、メンバーと確認したことは「あなた助けられる人、私助ける人」ではなく「お互いに、成長していく双方向の活動」を目指しました。
 支援活動に現地に行った人たちは被災した人たちから、また現地で奮闘しているキリスト者から多くのことを教えられています。また、この働きに関心を持って祈ってくださり、献げてくださりしてくださっているこのブログを読んで下さっている皆様に深く感謝しております。
 このブログを書いている中で、他団体のS姉からの教会で証しをして下さって、また関心を持ち続けてくださっているメールをいただきました。また、横浜のS先生から自分の教会で報告した中から、教会員の方一人が7月の現地支援のチームに参加の申し込みをいただきました。感謝です。
 しかし、もっとも大きな支えは、それぞれの事情で現地に行ってこの目で見ることのできない、活動できない、しかし、何かお役に立ちたいと本当に私たちを支えてくださっている方々の存在です。ぜひこのブログの存在を宣伝して、現地にいけなくても祈りの支援に加わってくだされば感謝です。

 
写真は、6月の支援の時、避難所で整体のマッサージをメンバーのA兄がしながら、参加した臨床心理の資格を持ったM姉妹が被災者のお話を傾聴しているところです。体をほぐし、心をほぐしていただき聞いている様子です。
26日の前日、2トントラックの提供を受け、支援物資の積み込みをしました。

2011年6月23日木曜日

南三陸大森地区への物資支援

 仙台SBSネットワークの要請で、6月24日(金)に物資を南三陸町の大森地区に届けます。
今までは、仙台のSBSの拠点に行ってから支援活動をしていましたが、今回は直接現地に運んで欲しいとの要請でした。それだけ、早急に必要とされている所であるといえます。
避難所も大変なのですが、直接家屋が津波で流されなかった所も過酷です。なぜなら公的支援が後回しにされることが少なくないのです。
 SBSネットワークは、そのような支援に取り残された地域に、支援をして地域との関係を築こうとしています。10月ごろ、多くの援助団体は、物資の支援のシフトを再検討して、次の段階の支援について検討していくでしょう。私たちイザヤ58ネットも、10月以降の支援のあり方をSBSネットとも協議をしながら検討していきたいと思います。
 
写真は、南三陸町のマンションの屋上に乗り上げた車の写真です。
震災前の漁港です。手前の道を登った所が大森地区です。

2011年6月16日木曜日

南三陸町にて


 今回、私たちは南三陸町に入りました。行く途中、青い空、緑の田園地帯、青々と茂る沿線の木々を縫って、牧歌的なドライブでした。しかし、山を越えて、谷間の道を進むにつれて、山の斜面に張り付いたような自動車の残骸、山の中の道なのに、横の川には、漁船の残骸、土手から垂れ下がっている線路のレール、それが海岸から3キロも山に入ったところから始まります。更に視界が開けると、その光景に、私たちは絶句してしまい、車の中は沈黙が支配します。どうしたら、こんなに車が鉄の塊のようになるのか、すさまじい破壊力です。
 その中を縫うようにして、高台の住宅街を目指しました。一見、普通の住宅団地ですが、そこに命からがら避難して来た人々の避難所があります。
 今回、私たち13名のチームは、三陸町の旭が丘という地区に、以前から頼まれていた、衣料品、そして必要と思われる赤ちゃんのミルク、など物資を持って行きました。物資を支援するのも大事な支援ですが、今回は、被災した人たちとの関係を更に深めるための働きです。物資を一人ひとりに渡しながら声をかけていく。更に、必要な物を尋ねていく。
 被災してから三ヶ月、被災した人たちは、こちらから無理に尋ねるのではなく、自分から、被災の状況をなまなましく語り始めます。今、彼らは黙っていられないのです。自分の津波から逃げてきた恐怖の体験、家族を失った悲しみ。一人の婦人にズボンを渡すとき、恐縮して受け取ります。でも、「大変でしたね」と語りかけると、自分のことや家族を失ったことを語り始めます。
 今回、私たちのチームには、整体師、臨床心理士、英語の先生、保育士など、震災の家のそうじや片付けではなく、語りかけていくことが中心でした。
 マッサージを受けながら、体がほぐれていく中で、心がほぐれていく。そして、自分のことを傍らにいる私たちの聞き役の者が聞いてあげる。今までとは違った支援でした。
 震災の時、生まれた赤ちゃんを抱いた若いお母さんが、持って行ったミルク、赤ちゃん用の服、「女の子なので、ピンクのが欲しかった。うれしい・・・」と大切そうに持って行く。
 近くの公園で、子どもたちと遊んでいるメンバー・・・。
 何を報告していいか分からないくらいの経験をした。被災した人たちに見送られ、高台から降りていくと、再び、荒涼とした景色が目の前にある。そして、目をあげると、本当にきれいな澄んだ青空が見える。
このギャップにまた、絶句してしまう。(掲載した写真は、役場の女性職員が津波が来るのを最後までアナウンスして亡くなった防災センターの建物です)

2011年6月14日火曜日

生きることが福音

 今、支援のため、仙台の町の郊外の支援拠点の神学校の寮にいます。
私たちは、昨日、前回支援に行った、石巻の家の教会を地元でやっている信徒伝道者のA兄の家を訪問しました。普通の、きれいな家の入り口は、本来だったら自動車が二台は駐車できるスペースに、移動式簡易シャワー室が二つ設置されて、近くの避難所などの方々が自由にシャワーを使えるようにしてあるとのことでした。
 そのシャワーを使いに来た方に声をかけ、「食事はとれた?」「おにぎりを食べました・・」。「よかったら食事をしていきませんか?」。「何か必要な物が何かありますか?」と声をかけています。
 行政の物資の支援はあるそうです。彼らは「どこの世帯にも平等に」という原則だそうです。しかし、その「平等」の原則が「不平等」を生み出しているそうです。
 どの世帯にも、たとえば配給する時、缶詰が2個、水の1リットルボトルが一本といくつかの食料をセットで渡します。
しかし、均一に世帯ごとに同じ量を渡すのが原則なので、世帯の家族数が省みられません。
5人家族でも、二人でも同じ量です。そこに不平等が生まれ、その平等性の原則が、人間関係にきしみを生んでいるそうです。そこで、そのA兄たちは、避難所や被災家庭を訪問し、一人ひとりに必要を尋ねて、できるだけ、手渡しで渡す活動をしています。シャワーを提供して、来た人に食事を用意してあげる。特に聖書の話はしません。そのような中で地域での信頼性を築いていくのです。
 私たち支援者は、数日活動して、そしていなくなります。しかし、A兄たちは、そこに生活していくのです。大事なのは、共に生きる隣人としての生活の姿です。
 東北地方では人間関係の段階がいくつかあるそうです。まず「よそ者」の段階、次に「顔見知り」、そして「身内」・・・。
 今回の震災前、キリスト教は、所詮、「よそ者」宗教だった。しかし、今回の震災での地元の教会やキリスト者たちが地域の人たちに言葉ではなく、A夫妻や小さな家の教会のメンバーのように、共に生活者として寄り添う姿勢を見せています。ここで初めて、キリスト教は「教会さん」と呼ばれ、「顔見知り」の段階になれたと思うと被災地域のクリスチャンは思っているそうです。
 「生きることが福音なんだ・・・」。この言葉が強く心に響いています。
 今日、私たちは南三陸に行きます。今回は、震災の後片付けではなく、被災者に声をかけ、心を開いてもらって、彼らが心開いて、自分たちの必要を話せるようになるための糸口づくりです。マッサージをしてあげたり、子どもとゲームをしたり、物資を届けて、話を聴く、更に、必要について聞いていく。
いままでような肉体労働中心の支援ではなく、人間関係の最初の入り口づくりです。地元で生きているクリスチャンが「顔見知り」の存在であるための活動の入り口づくりです。
 
 

2011年6月9日木曜日

震災から三ヶ月

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 震災から三ヶ月たちました。最初は津波や地震のショックとサバイバルのために必死さでここまできた
被災者たちが、その精神的ダメージが顕在化されはじめています。
 当初、報道されていた秩序だった避難生活と言われていた避難所も、避難所のリーダーたちの器量によって食料配布や支援物資の配給が行き渡っている避難所と足りない避難所などの格差ができつつあるようです。
 また、避難所も、良い場所に牢名主のような人が陣取り、その人の覚えが良い人たちがいい場所を占め、そうでない人が端に追いやられるような現象が避難所によってはあるそうです。
また、味噌汁一杯でも、お椀の中の汁の多さ少なさで配給する人にどなる人がでてきているそうです。
避難生活も三ヶ月、疲れの中で、精神的ストレスが人間関係をとげとげしくしているようです。
心のケアが必要です。
ある人は話さなくなったり、また普段、寡黙な人が、急に吉本興業のお笑い芸人のようにおしゃべりや冗談ばかりを言うようになったりと、震災ショックがいろいろな形で、出てきているようです。
 また、これから夏に向けて、食料、夏用の衣料などが必要と思われます。
 また、福島の関係者から聞いた情報によると、多くの支援が岩手、宮城に集中している中で、福島を素通りするため、福島の被災にあっている教会や支援活動をしている現地の教会では、孤独感の中で活動しているそうです。私たちも福島方面の支援にも目を向けていく必要があると思われます。

2011年6月7日火曜日

JEA総会に出席して

 いま、JEA(日本福音同盟)の総会に出席しております。今回は、東日本大震災への取り組みが中心テーマです。
来週、南三陸町に行く者としては、この機会を感謝しています。
何より感謝するのは、様々な教団教派の代表を通して、それぞれの支援の取り組みや、この震災をどう受け止めるかの神学的考察、そして、仙台地域の諸教会の現地支援ネットの仙台ヘルプのY先生が証しされていたことでした。
 この震災を通して、こんなに東北が注目されたことは今までなかった。この震災を通して、こんなに東北の教会に支援のお金がささげられたことはいままでなかった。こんなに東北の教会が祈られたことは今までなかった・・・とおっしゃっていたことが、印象に残りました。
 それと、このような震災で統計的にハッキリしていることがある。それは、震災で亡くなった人の3倍の人が震災後の数年間で亡くなっていること。孤独死、自殺、病死・・・。
震災で助かっても、彼らの心には震災の事実は重くのしかかっている現実があることです。
私たちは小さな支援ネットなのですが、何かの援助も大事なのですが、それ以上にどれだけ寄り添うことができるかを大事にしていきたいと思います。
そして、私援助する人、あなた援助される人という片方向ではなく、この働きに関わることで、この活動を通して私たちの成長の機会が与えられていることに感謝しようではありませんか。