2012年12月12日水曜日

快晴なのに気温3度、寒い・・12月支援

 
前日に物資積み込みに集合した支援のエキスパートのメンバーです

12月10日(月)、イザヤ58の12月支援はクリスマスギフトを届けようという方針で、支援者の皆様に、醤油、味噌、洗濯洗剤、食器洗剤などを提供してくださったり、そのための献金をいただきました。当初、100セットを予定し、南三陸の今まで関わった仮設を訪問して渡すことが当初の計画でした。しかし、感謝なことに予定より多く準備することができ、石巻の祈りの家、また以前私たちの支援活動に、物資を提供してくれた聖協団清瀬教会の支援グループに対して、今度は彼らが支援している女川町(石巻の隣町)や石巻の被災した母子家庭や失業者の方々への食糧支援に協力することになりました。
 
到着して物資の仕分けとギフトの袋詰めをしました。

袋詰め完了、明日用においてある皆さんからのギフト
 10日の朝、佐野オリーブ教会に5名(女性1、男性1)のメンバーで集合東北自動車道に乗りましたが宇都宮を過ぎたところから雪模様になり、那須高原SAで雪の状況を聞いたところ、仙台宮城までチェーン規制ということでした。雪の降る中をトラックにチェーンを装着して、さあ、出発と本線に出たら、道路は雪はかぶっていず、かえってチェーンが切れてしまうと、また外していくというハプニングがありました。結局仙台の目的地まで、快晴の中(それでも気温1度)を仙台バプテスト神学校に予定通りつくことができました。
大上坊地区芋煮会
 すぐ物資をクリスマスギフト用に袋詰めをし数を確認しました。本当に多くの方々が提供してくださったおかげで、またスタッフが準備よく、ギフト用の袋を用意してくれましたのでスムーズの物資の仕分けを確認できました。また、今回、佐野オリーブ教会のW兄から自分の畑でできたネギを80キロ提供してくれましたので、これを石巻地区に提供使用と決めました。
12月11日は、南三陸の大上坊地区での地区のみなさんとの芋煮会をることになっていて、朝8時に出発し、南三陸にむかいました。
 大上坊は、海から離れた谷間を、車1台がやっと通れる、山間部の農家の方々が住んでいる地区です。震災時は、それでも、その谷間まで津波がよし寄せ、まさかここまでと思っていた住民8人が犠牲になったそうです。
牛肉たっぷりの山形名物芋煮です。とてもいい評判です
メンバーによるクリスマス賛美・・・結構上手でした。
 しかし、高台の多くの家は直接的な家屋の被害がなく、逆に、被災者たちを受け入れ、かれらの地区の集会所(大上坊契約生活センター<ここにも講がでてきます>)を避難所として提供したのですが、自分たちは家屋が無事であると言うことで、逆に支援がなく、自分たちの食べるものもなくなってしまうという困窮に遭遇したそうです。イザヤ58は仙台SBSからの要請で、そこにも物資やチームを派遣して支援活動に関わらせていただいてきました。 
 楽しい、芋煮会で、地区の人25名ほどが集まり、歓談と私たちメンバーが「きよしこの夜」の合唱をしたりして楽しい時をもたせていただき、そしてクリスマスギフトを渡すことができました。

大久保仮設訪問
 楽しい芋煮会を終了した後、私たちは海岸側の「大久保仮設」を訪問しました。ここは20世帯ほどの仮設で、狭い山間の住宅地の空き地に作られた仮設です。仮設の中では遅く開設されたところで、集会場が当初なく、今年の夏前にやっと集会場が建てられたそうです。そのスペースがないような狭い土地のように思われました。
自治会長さんの案内で一軒一軒、訪問してギフトを渡しました。

 ここでは、自治会長さんの案内で、一軒一軒にクリスマスギフトを届けましたが、仕事で留守が多いのですが、鍵はかけていずに、自治会長さんが声をかけ返事がないところは、戸を開けて置いておきました。声をかけて返事があっても、お年寄りは足が弱いので玄関にでるのに時間がかかる中、そのような方たちには声かけができました。

2012年11月24日土曜日

あれから何回目のクリスマスかな?

もうすぐクリスマスです。このような中、イザヤ58ネットの群馬の教会のボランティアチームが東松島、石巻へ地元の教会の支援プログラムの応援にいっております。あいにくの寒い天候の中でがんばっております。
派遣チームから途中報告がありましたので以下に掲載します。
お祈り,ありがとうございます。
11次派遣の1日目、お陰さまでコンサートにて仕えることができました。
石巻市の上釜会館においてのコンサートは、50人弱が来訪するなど大盛況でした。
カール兄の司会にて、子供手遊びに始まり、賛美歌・クリスマスソング等10曲を中心に
イントロクイズや自己紹介を折り込んで進められました。
イントロクイズや「ふるさと」の合唱など、全員参加のプログラムは特に喜ばれていました。
コンサートに引き続けての交わりでは、「集まれることが非常にうれしい」、「知り合いも増えるし、何より楽しい」など、沢山のお礼の言葉をいただけました。
電気もない、WCも使えない所でコンサートができたのは、ベンソン先生ご夫妻の大きな支えがあったからです。発電機をはじめ、スポットライト、ファンヒーター、灯油など、言葉では言い尽くせません。岩手や埼玉からのベンソン先生応援スタッフ者も明るく・気配り上手で、助けられました。
以上(後方支援に感謝しつつ、ご一報まで)
11次派遣チーム(7名)



先日、あるセミナーの学びのため仙台に行きました。仙台の駅前は、表面的には震災の様子をとどめるものはありません。いつものような東北の中心都市としてのにぎやかさが目につきます。
震災直後、被災地では、がれきと津波の傷跡が歴然として、震災の衝撃は目に見えて圧倒していました。しかし、いくつかのことを支援地に行くごとに感じます。

当初は、ガレキの中で、被災者たちが避難所生活をしている様子が当然目につくわけです。ですから、被災者たちの気持ちや、現実の目に見える生活を伝えやすい部分がありました。

今、震災があって2回目のクリスマスを迎える中で、被災地の様子は、なかなか写真以外のものが伝えにくい部分があります。

第一に伝えにくいものは、復興の速度が時間の経過の割には遅いために、遅々としてすすんでいない現実です。ガレキや津波で破壊されたビルがそのままであった時から、それが片付いて、更地になっています。小学校や公共施設にいた被災者たちは仮設に移ったりしていきました。しかし、今年の春以降は、更地になったままの景色は変わりません。被災地に行って撮影する写真も、前と同じ景色です。また仮設住宅に入った方の生活は、入った当初と今も変わりません。復興のゴールというものが被災地の人たち、支援関係者も見えないというのが現実です。仮設での生活も、私たち震災被害のないところでくらしている者が見ると過酷です。ある仮設住宅の女性の自治会長さんは、お舅さんの介護ベットが狭い部屋の中にあり、その横のわずかなスペースの床に布団を敷いて膝をかがめて寝ております。大の字になって寝ていた時がなつかしいと言っておりました。また。受験期の子どもたちは、自分の勉強するスペースもない状態です。もう物資の支援ではなく、心のケアーだ、魂の救いだ、伝道だと強調するキリスト教団体もあります。それも大事です。確かに醤油や味噌や米は手に入るようになっています。でも被災者たちの側の、お米や味噌や醤油を買うわずかなお金も節約して、先の見えない将来に備えたい思いは支援の側にはなかなか見えにくいのです。

ある時、南三陸町を支えるキリスト者ネットワークでリーダーとして東奔西走している先生からメールをいただきました。「先生、南三陸町の被災者たちを助けてください」というものです。先生がイザヤ58ネットに要請したことは、仮設住宅の集会所に備えてあるお茶やコーヒー、また一緒に集会所で集会所で被災者たちが集まり食事をする時の調味料類を定期的に補充する支援をしたいとのことでした。普通の生活の中でしたら、町内会の集会所の共有している消費物の購入ぐらいは、町内会費や自治会費で、住民が負担するのが当たり前だろうと思います。しかし、500円も支出を惜しむ仮設住宅の人たちの中で、そういう気持ちがよくわかる自治会長さんたちが徴収のため頭を下げながら集めている姿があるのだそうです。そういう姿は私たちには見えません。

第二に、被災地域でも地域の意識の差が出てきている現実はなかなか見えないところです。一口に被災地域といっても、先ほど仙台の駅前は、震災の影響を表面的には感じさせません。しかし、石巻や東松島などの沿岸部は違います。未だにゴーストタウンのように持ち主のわからない壊れた家屋がある地域もあります。
南三陸町の高台にある住宅地域は普通の町なみです。震災直後は、そこに避難所がありましたが、今は普通の住宅地域となっています。しかし、一歩、坂道をおりると家一軒ない更地です。当然、同じ被災地と言っても住民の意識や感覚に地域差があることは私たちにわかりづらいところがあります。

そのような中で、私たちキリスト者の支援と宣教はどうしたらいいのか。私たち自身も、目に見えにくい地面の下にあるような被災地の現実に、キリスト者のよきわざとしての活動が、その目に見えない現実にじっくりと、そして確実に浸透していく働きが求められていると思います。
その地域の目に見えない現実、意識、地域文化に、乾いた大地に水が一見ゆっくりとではあっても、じわじわと浸透していくように、地域社会に支援を通してキリスト者の伝染的な影響を浸透させていく教会(permeate church)の形成が大事ではないでしょうか。
 


 
 

 
 

2012年11月20日火曜日

11月23日石巻でのミニコンサートお知らせ

イザヤ58の11月23日(金)~25日の支援派遣では、23日に、石巻で支援活動をしているベンソン宣教師(ルーテル同胞)が活動している浦屋敷地区でのライブコンサートで演奏をチームがします。
 チームと支援活動をしているベンソン先生のためにお祈りください。

2012年11月19日月曜日

12月支援活動のお知らせ

イザヤ58ネットを通しての、今年最後の物資支援として、クリスマスギフトセット(醤油、味噌、洗濯洗剤、食器洗剤)を南三陸戸倉地区仮設住宅(波伝谷仮設など数カ所)の方々に、100セットを目標に届けたいと思います。つきましては支援物資及びクリスマスギフト配布のボランティアを募集します。

*『支援物資(クリスマスギフト)募集』

  • 物資搬入期間:12月6日(木)~9日(日)まで

  • 搬入場所:佐野オリーブ教会(中林牧師) 0283-21-0603

  • 平等に配布するため、必ず下記の4品目のどれかでお願いします。   

  ①1リットル醤油、 ②1キロ味噌、 ③1キロ粉末洗濯洗剤(液体は不可)

  ④食器洗剤(200~300lm)  でお願いします。

支援物資に関するお問い合わせは中川牧師(大泉教会) 0276-63-2329


*『物資配布ボランティア募集』(第12次派遣)

 派遣期間  12月10日(月)~12日(水)

 派遣場所  南三陸町の仮設住宅

 派遣内容  支援物資配布、(お茶会の可能性あり)

 募集人数  5名、 リーダー:鈴木真(戸塚めぐみ教会)

支援物資のための指定献金

★現地の必要を伺って、それに応じて、支援物資を購入してお届けします。

献金振り込み先 ■ゆうちょ銀行・総合口座・・・
(記号)10750,(番号)22936321、(名義人)田島直秀
*イザヤ58ネットの専用口座ですが、送金の際は田島直秀まで必ずご一報ください。
郵便振替口座・・・
(加入者)小山聖書キリスト教会、(口座番号)00130-1-28993
 ○通信欄に{支援物資のために}を必ず明記してください。

  

2012年10月27日土曜日

ある日の電話


 ある日、教会でいつものように仕事をしていたら、一本の電話がありました。婦人の声で遠慮がちに「あの・・・、イザヤ58ネットのことで・・・」という言葉から始まり、自分がパッチワーク教室をしていたが事情があって教室を閉めることになった。しかし、教室で使っていたパッチワークの教材などを何とか有効に使えないかと思い、インターネットで調べたら、イザヤ58のブログにたどり着いたというわけです。パッチワークに使う布や教科書、型紙を提供したいという申し出でした。

ブログを見て、送ってくださった物資

 イザヤ58では、ご承知のように被災地支援の一環として中古ミシンを、被災者たちのパッチワークサークルに支援を続けています。そのような中で、インターネットを通して、少しでもお役に立つならという申し出に感謝しております。同じころ、東京の清瀬の聖協団清瀬教会(南三陸町を支えるキリスト者ネットワークの世話人教会の一つ)から連絡があり、ミシン一台都合がつきそうという連絡をいただきました。

中味はパッチワーク用の布地でした

 表面的には、被災地はがれきもかたずいて、現在は多くの場所が更地になっている場所が増えてきております。しかし、あいかわらず、家屋の修繕、被災地での子供支援、物資の支援の必要は変わりません。石巻祈りの家では仮設の方々のパッチワークサークルへの支援、また被災者たちに寄り添った支援活動をしております。また蔵王キリスト教会(保守バプテスト)では、私たちイザヤ58が最初に支援活動をした地である東松島町での、被災者たちの親からの要望で子供支援の一環として「子供英会話教室」をしております。また聖協団清瀬教会では、女川でフードバンクを始めていることを教えてくれました。現在、被災地では、被災者たちの医療補助が出ておりますが、それも近々に打ち切られるとのことです。そのしわよせは病気のために仕事ができない被災者や、母子家庭などの経済生活を直撃すると思われます。そのような方たちへの食料支援活動をしております。また国分寺バプテスト教会の子供支援グループ「SOLA」は、専任のスタッフを置いて、石巻や南三陸町での子供支援を続けております。
 
 前回、ブログで報告した「台湾地震での台湾の教会の一致した支援活動」についてのセミナーにあるように、今後、私たち東北の震災支援も、一つ一つの支援グループや活動は小さくても、お互いに連携して、息の長い支援とじっくりと地域にキリスト者のよきわざを浸透させ、地域によき隣人としてのキリスト教的文化の伝染的な影響を広げる試みが大事であると思われます。それについては、10月28日のクリスチャン新聞掲載のオピニオンと「台湾地震に学ぶ『支援と宣教』」のセミナーレポートの記事をお読みいただければと思います。
 
 復興が遅れているとはいえ、仮設住宅から復興住宅への移行は時間の問題でしょう。その時に、どれだけ、隣人としての働きが浸透しているかが問われると思われます。
 
 
 
 
 
 
 

 

2012年10月2日火曜日

台湾台中大地震・・・その後の台湾キリスト教会

10月1日(月)、イザヤ58ネットが参加する「南三陸町を支えるキリスト者ネットワーク」主催による、あるセミナーが開催されました。それはポスターの画像にあるように「クリスチャンにできる一致と力」というテーマで、台湾台中大地震の時に、台湾のキリスト教会が教派の壁を越えて、一つの支援組織のもとで、被災地支援をした経験を通して「地域教会教会による支援と宣教」についての台湾のキリスト教界で、指導的役割を担っている「夏忠堅先生」をお招きして、台湾のキリスト教会が教派を超えて一致して支援活動をし、その後の宣教によって、台湾の宣教事情にどのような影響を与えたかについて聞き、南三陸町での各支援グループの協力、また宣教のあり方について考えるという主旨で、セミナーが開催されました。

台湾台中大地震と台湾キリスト教会

1999年9月21日1時45分(現地時間)ごろ、台湾中部南投県集集(チチ)付近を震源として発生したマグニチュード(M)7.7(アメリカ地質調査所による表面波マグニチュード)の大きな地震。現地では集集地震とよばれている。この地震により、死者2188名、全壊建物9878棟(同年10月1日6時00分現在、台湾内政部による)その他、大きな被害があった。その時、台湾のキリスト教会は、一致して救援活動を戦略的に行い、被災地では、支援する教会は自分たちの教会名で行うのではなく、支援活動をまとめるための組織「中華基督救助協会」という名のもとにボランティアたちが支援活動をしたそうです。
実は、台湾のキリスト教会の40年ほど前は、それぞれの教派が自分たちの立場を強くだす傾向があって、それは今の日本と変わらない状況であったようです。しかし、震災支援での一致した救援活動の下地は1990年代に、各教派が協力して「2000年運動」という一つの宣教協力の運動が起こり、その一つとして、台風などの災害時にボランティアをまとめる専任スタッフ一人の小さな委員会を設けたそうです。それが「中華基督教救助協会」でした。
 夏先生は、その200年運動の全体をまとめる責任者であったのですが、当初、災害救援などの組織を設けることは消極的であったそうです。
 また、台湾では災害というのは今の季節でおなじみの台風による洪水や土砂崩れなどで、地震などは想定していしていなかったそうです。しかし、救助協会ができてすぐ、台湾大地震が起きたのでした。救助協会はすぐボランティアを各教会に募り、被災地に送りだしました。
 その時、教会にはいくつかの約束をさせたそうです。第一には、支援グループはすべて「救助協会」の名を使う。個々のキリスト教会名は出さない。
第二は、支援活動の一年目は、ボランティアは自分がクリスチャンであることは言ってもいいが、福音を語らない。決心を促さない。二年目は、証しをしてもいい。三年目になったら、関心を持つ人に伝道をしてもいい。地域の文化、家庭の文化を尊重する。被災地での支援センターとなる場所では、礼拝などに使わない。そして、三年後に、支援してくれている教会に、支援センターに近い場所に教会を開設することを要請し、支援センターに来た被災者などの関係者に教会を紹介する。というものだそうです。


左側:夏先生、右側:通訳のインマヌエル総合伝道団の蔦田康毅先生
  震災前、台湾のキリスト教人口は、全国で3%であったそうですが、震災後、現在は5%で、中心都市の台北は人口の10%がクリスチャンであるそうです。
 そして、震災時に26カ所の支援センターがあったが、落ち着いた後、救助協会は、震災被害からシフトを変えて、独居生活をしている老人や貧困家庭の援助、共働きの家庭の子供支援などに活動を変えて、現在全国で80カ所以上の支援センターがあるそうです。
 セミナー期間中に、台湾に宣教師として奉仕していた日本人牧師から聞いた話ですが、現在、教派を超えた協力は、継続されて、驚いたことに、中には長老派の教会が献身者をホーリネスの神学校に送り、卒業後、その卒業生を長老派の教会の牧師として派遣していることもあるそうです。
 もちろん、台湾の地震と東日本大地震とを単純に比較はできません。面積的にも、被害規模も違います。しかし、夏先生が講演で盛んに強調していたことは、聖書的教会、初代の教会がどうであったのか、小さな教会であっても一致することによって地域に大きなインパクトを与えることができる。そのためには、私たちの持っている西欧的な宣教論ではなく、東洋人の宣教論に基づいて、
地域文化を対立的にとらえるだけでなく、理解も必要であるということが、参加者に多くの示唆を与えたと思います。
 今回、仙台周辺の牧師や支援グループ関係者など約50名ぐらいの参加者であったが、時間的に、どう協力していくかについては、十分話す時間がなかったのが残念であるが、今後の支援と宣教、さらに小さな教会が多い地方での震災に関わらず、地域に仕えていく教会のあり方、また共に協力する意味について洞察する機会が与えられたことは感謝でした。
 単に、被災地での活動にとどまらず、支援する教会の地域での宣教についても、イザヤ58としても、支援して下さる教会と共に、この経験を自分たちの地域での教会の役割というものを考えていきたいと願っております。


2012年9月13日木曜日

夏も終わりですが

イザヤ58ネットの支援者の皆様お元気でしょうか?
また支援活動に関わるすべての支援組織の皆様も元気でしょうか?
 しばらくブログにブランクが空いてしまい申し訳ありませんでした。8月の支援活動の翌週に、私どもが責任を持っている教団のキャンプがあって、また諸般の事情がありましてブログの更新ができませんでした。8月の支援活動の時、中古ミシンを石巻、南三陸町の大森地区へ、また支援をしてくださっている佐野オリーブ教会の農家の教会員の方からジャガイモやタマネギなど300キロほどを南三陸町の4カ所の仮設に仙台SBS震災支援ネットと協力して届けました。

家の復旧完成式でお祝いにミシンを贈呈されて喜びの笑顔

 中古ミシンの支援は、非常に好評で、その後、石巻の支援活動をしている石巻祈りの家から、更に数台の支援希望が来ております。すぐ調達できないのが現状で申し訳なく思っておりますが、入手できしだい支援したいと思います。現地の希望を聞きますと、最新型のミシンを購入するよりも、中古が喜ばれているようです。また南三陸町の仮設でも必要があるという情報が入っております。
 イザヤ58ネットも秋を迎え、今年半年の働きの評価をする時期となっております。しかし、依然として支援サポートの流れは止まっておりません。本当に感謝です。
 先日、ミシンを支援した「石巻祈りの家」から、津波で破壊された家屋の復旧工事が終わり、復旧完成式の時に、その家の奥様でミシンが流されて求めていた中で、完成のお祝いと、すこしでも日常の生活の励みにと言うことで、私たちも以前、家屋の復旧活動で一緒に働いたベンソン宣教師を通して、ミシンを贈呈してくださいました。大変喜んでくださり祈りの家の阿部さんから写真を送ってくださいました。阿部さんの了解で、その写真を掲載します。

 南三陸町の水戸辺という小さな仮設を訪問した時、仮設の集会所で奥さんたちがミシンで着物の端切れなどを縫い合わせて、手提げバッグや帽子を作って、それをあるルートを通して販売しているようです。そのようなミシンの使い方があることを8月の支援活動の時に見ることができました。
 もし教会のバザーや個人的に購入できる方に紹介できればいいなと思いました。


 

水戸辺の仮設住宅でのミシンを使った内職の作業場

着物の端切れで作った鍋つかみ

2012年8月10日金曜日

2012年8月8日~10日支援活動報告

8月8日(水)~10日(金)に、イザヤ58ネットでは、昨年は活動スケジュールになかった、8月の被災地訪問を実施しました。
今回の目的は、前々から約束していた、石巻祈りの家での仮設の方々を中心にして行われているパッチワークサークルで使用するミシンを提供することでした。当初、ミシンの支援は石巻だけでの予定でしたが、その後、南三陸町の前々から関わりのある大森地区でのSさん宅でのパッチワークサークルでも、ミシンが必要であることがわかり、感謝なことに、電動ミシン、ロックミシン(業務用)、ミシン11台、それに、要望で足踏みミシンを探し出し、それらを提供することが中心でした。
 その準備の中で佐野オリーブ教会の会員の農業を営んでいるW兄からジャガイモ300キロ、タマネギ100キロを提供して下さるとのことで、それらを、私たちが重点支援地区としている、戸倉地区の小規模仮設住宅にそれらを運ぶことが今回の活動の目的となりました。
 物資の規模から、トラックでの運搬が必要と考えていたところ、毎回物資の支援で活躍している館林教会のK兄が今回も参加してくれることになりました。 
 当初、暑い8月で、教会も夏季キャンプなどで忙しい中で、支援チームが集まるのかと思われましたが、なんだかんだと総勢12名の規模となりました。
 単なる物資を運ぶだけなら、そんな人数は必要ありませんが、継続的な支援活動を考える時、何ができるかという以上に、支援して下さる関係者が、この目で被災地を見、被災者の方々の声や、現場で支援活動をしている関係支援グループの活動の様子を知っていただくことは、今後の祈りの支援を考える上で大切であると考えております。
第一日目
8日は、午後三時ごろに、いつもベース基地として滞在させていただいている、仙台バプテスト神学校に到着しましたが、すぐにジャガイモやたまねぎなどを配りやすいように、痛んでいるものがないかを確認しながら袋詰め作業をして初日は終わりました。
 今回、始めて参加してくださった方の中には、自分が関わっている地域のボランティア活動である「読み聞かせ」の活動がお役にたてないかとの申し出を前々から受けていた館林教会のS姉、また同教会で祈りの支援と提供して下さる物資の選別などをしてくださっていた婦人会のM姉が参加して下さり、大きな励みとなりました。それは、実際に、自分たちが祈っている被災地をこの目でみていただき、仮設の方々とお話しして聞いたことなどを、帰ってから教会でお話してくださることは、支援活動を支えて下さるとても重要なポイントとなるからです。
 また、先に佐野オリーブ教会から支援活動に行った方が帰ってからの報告を聞いて、自分もいつか参加したいと考えて下さり参加してくださったW兄なども心強い限りでした。
 今回、二回目という伊勢崎教会のI兄もメンバーとして参加してくださり、前回復旧活動をした被災者の方々が、家が住めるようになったというお話を聞いて、とても喜んでいるのを見て、本当に関心を持ち続けていて下さることに感謝しました。
二日目

波伝谷仮設住宅の自治会長さん(センター)とM姉(左)、S姉(右)
  9日は、朝、朝食もそこそこに、石巻に向かい「石巻祈りの家」へのミシンの運び、代表の阿部兄から現在の石巻での活動を聞き、南三陸町へと向かいました。今回は、私たちが重点的に支援活動をすることを考えている、戸倉地区の仮設三カ所に、じゃがいもやタマネギなど、また大森地区のSさんたちへのミシンを運びました。また自治会長さんからの、仮設住宅の現状のお話をチームのメンバーが聞くことができました。
 波伝谷、神割り崎、水戸辺の仮設は、25戸から20戸くらいの小規模の仮設住宅で、海岸沿いの漁師の家庭の被災者たちの仮設です。
 この地区の方々を訪問して、いつも思うことは、あのような大変な経験をして、家を失っていながらも、明るい、前向きな姿勢を持つ90代のお年寄りや、婦人たちの親しみやすい笑顔にこちらが励まされます。
 私たちのチームの方がかえって元気づけられることが少なくありません。もっと話しをしたかったという感想を参加者からも聞きました。


水戸辺仮設住宅でのジャガイモ、たまねぎの提供
  




元気な水戸辺のお年寄りたちとの歓談


2012年7月14日土曜日

「6月第九次支援活動に参加して」、「次の支援活動予定」

今回、6月25日から27日にかけて、石巻、南三陸町波伝谷仮設住宅への訪問しました。今回は、石巻の大曲地区を視察することができ、復興と言われている今であっても、復旧すらなっていない場所を知ることができました。今回は女性3名の参加者からの感想を掲載させていただきます。また、8月に予定している物資支援と訪問の予定をお知らせいたします。
   

 被災地ボランティア  第九次派遣に参加して                                                  

 境キリスト教会   A.O夫人

「どうにかして被災地に入りたい」そんな思いが、イザヤ58ネットの働きで、今回実現できたことを感謝しています。

被災地の視察 
石巻で献身的に支援しておられる「祈りの家」の阿部さんの案内で、被災地を視察しました。実際に、ガレキの山・車の山・でこぼこの道・鉄骨だけが残った家・重機の音・波をかぶって変色した木々などを見て、津波の大きな破壊力を感じ取りました。土台だけを残して、すべて流されてしまった地区を見るのもつらいですが、大曲地区には、建てて間もないであろうと思われる家が点々と残っておりました。地盤沈下で、海水が溜まっているような所を避けながら歩き、玄関先に散乱した大小様々な靴・割れた窓から、ボロボロになって風に揺れているカーテン・放置された子ども自転車・家の中には傾いたピアノ・・・それらを見ると、普通の生活が、あっという間に流されてしまった現実に、心が震えました。今、なんとか命だけは助かって、仮設住宅や避難先で生活している人達は、なんと重いものを抱えてしまったのだろうと感じました。阿部さんの「寄り添っていくしかないですよ」という言葉が印象的でした。   


波伝谷地区仮設でのお茶っこの会

仮設住宅でのお茶会
南三陸町戸倉地区の被災した人たちがいる小さな仮設住宅を訪問し、集会場でお年寄り達8人と、お茶を飲んだり、話したり、一緒に童謡を歌ったり出来たことは感謝でした。「歌っこなんが、歌ったこと、ねがったなあ(無かったなあ)」という東北弁を聞き、そんな余裕など無かったんだなあと思いました。1人のお年寄りが民謡を歌い、もう1人の女性が、それに合わせて踊ってくれました。そんな中、元気に話し、踊ってくれた、その女性が、お茶を飲みながら「この間、うちのお父さんが見つかってなあ」と声を詰まらせました。そばにいた人が「○○さんは、踊りも歌もうまかったなあ」と思い出を語りました。私は「そうでしたか」と受け止めることしか出来ませんでした。お互いに、よく知り合っている漁師町の仮設住宅だからこそ、話がはずんだのでしょう。最後に、「今日は、いがったなあ(良かったなあ)」と言ってもらえたことは感謝でした。

今後の課題
集会場まで歩いて来られなかったり、閉じこもりがちな被災者に対して、どう関わりを持っていったらよいか、工夫が必要であり、また、時間をかけて顔なじみの関係を築いていくことの大切さを感じました。それは、私たちが生活している地域の中でも、どのような人間関係を結んでいくかという課題でもあり、主の導きや知恵を祈り続けたいと思います。 



被災地を訪問して

                 福音伝道教団浦和教会 M.Y夫人


「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。──【主】の御告げ──それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ」(エレミヤ書29章11節)

 カレンダーのその日の箇所に書かれていたこのみことばを目にした時、神さまの導きと示され、イザヤ58ネットの今回の参加を決めました。
 長年、心身の体調がすぐれなかった私でしたが、昨年癒されてやっと夢が実現しました。
 あらかじめイザヤ58ネットのボランティアを体験された方から話を伺っていましたので備えがあり、祈りの中で神さまも守ってくださり地震や津波の被害の跡を視察した時に、悲惨な状況であったことは想像し心は痛みましたが、不思議な平安が与えられ続けました。
 一番心に残ったことは波伝谷の仮設住宅方との“お茶っこの会”の集いでした。
5歳から高校時代まで東北ですごした私にとって、その方たちの話す東北弁が理解できました。向き合う一人ひとりの顔の中に親戚のおばさんや近所のおじいさんたちの面影がありなつかしく感じられました。
 全てが準備されてこの日、この場所での出会いであったと思わせられ、これからも引き続きこのつながりを大切に定期的に訪ねることで深めて関わっていきたいと願っています。
地元のお祝いや祭りで歌う民謡に手拍子に合わせて踊る




イザヤ56ネットの支援活動に参加して

                             希望の丘教会 H.S姉


 今回イザヤ58の6月支援活動に参加し、被災地を直接見させていただきました。石巻祈りの家の代表の阿部さんに石巻市内を案内していただき、積まれた瓦礫(がれき)、山積みされている破壊された車を見、また南三陸町の津波の被害にあった病院を見ると、「ここに今まで大勢の人が生活していたのに一瞬の津波によってと・・・」と言葉が出ませんでした。
 石巻の大曲地区を見た時は、とりの残されたように被災した家が残っていて、壊れた食器や献花されたものであろう枯れた花束見ると、胸のつまる思いでした。失ったものを思うと生活が戻ってきている今、被災に会われた人たちが心に負った重みや、先の見通しが見えない不安と向き合いながら生活していのだと思いました。
 現地で、ボランティアのあり方について話を聞き、自立を妨げることのないよう、公平になるように細心の注意を払って関わっていることを知りました。
 南三陸町の波伝谷地区の仮設住宅の訪問では、一緒に童謡などを合唱して歌い、また地元の民謡などを歌いました。歌いながら踊りだす方もいました。その踊っていたハキハキと話していた婦人が「この前、やっと夫の遺体が見つかった。だから地震後初めて、こうやって踊る気になった」と周りの方と一緒に踊り、また歌ってくださったことがとても心に残りました。
 宿泊場所の仙台バプテスト神学校の森谷先生が話してくださったなかで、「キリストを信じるクリスチャンの大きな支援の中に今回の関わりのような一つ一つの支援があり繋がっている」という言葉がとても印象に残っています。
 祈っていく時も、大きな繋がりを意識し、出会った方々を思いながら、祈っていきたいと思います。
 今回、このように参加させていただいたのは、阿部さんご夫妻、森谷先生をはじめ現地で支援活動をしている方、また現地の方と継続した関わりを持ち祈り働かれているイザヤ58ネットの働きによって関わらせていただきました。
 それらのことへの感謝の思いと、神さまの光が一人でも多くの人に届きますように祈っていきたいと思っております。

 

今後の支援予定


8月8日(水)~10日(金)  物資支援と訪問

 


メーカーが同じではありませんが、このようなミシンを支援します

石巻、南三陸町大森地区の被災地での、パッチワークサークルの方々への支援として、イザヤ58ネットでは、中古電動ミシン11台を業者の方のご好意で格安に購入することができました。整備されてすぐに使用できるものです。

 現地の方の希望では、新品よりも使い慣れた中古ミシンを希望されていましたが、思いもかけず、入手ルートを開拓することができました。今後も、希望する被災地でのサークル活動のために中古ミシンを支援していきたいと考えております。

 私たちの支援の方針は、被災者たちの自立を損なわず、むしろ、明日に向かって歩みだすための手助けをすることです。

 パッチワークサークルは、石巻祈りの家の支援活動の中で、被災者たちが集まり、互いに何かを作り出すことをしながら交わり、生活の張り合いを見出していただくために祈りの家が主催しています。また、南三陸町の大森地区でも、同じようなサークルがありましたが、津波でミシンなどがなく手縫いで婦人たちが集まってパッチワークなどをしているということを聞き、ご希望を聞いて支援することになりました。

 このような活動を通して、日々の生活に、互いにサークル活動をしながらコミニティーの再建のお役に立ちたいと願っております。今後、他の地区でも必要があれば、できるだけ応えていきたいと思っております。

 

2012年6月26日火曜日

奇妙な静寂の中を・・・石巻大曲地区


石巻祈りの家訪問

6月25日
 私たちイザヤ58のチームは25日(月)から6名のメンバーで、石巻祈りの家の阿部さんのお宅を訪問しました。今回は3名の女性、男性3名という編成です。今回の目的は、いままで関わった石巻の復興の様子や今後の支援活動のための現地を見ることと、仮設の訪問が目的です。
 いつも、忙しい中で、私たちを歓迎し、また支援活動についての現況を丁寧な説明を阿部さんがしてくださりとても感謝です。また、阿部さんからいろいろな支援活動の情報を聴くことができ、今後のイザヤ58の支援の参考となる情報を得ることができました。
 今回、衝撃的なことは、石巻の被災地が、ほとんどきれいに整地され、ガレキが撤去されている地区がほとんどであることは、前回の訪問でも見ることができました。石巻の一望できる山の頂上にある後援から港や町を見ても、きれいに整地されています。
 しかし、今回、阿部さんに、大曲地区という東松島に隣接する地区案内されたに行った時、そこは、震災直後から二三ヶ月経過した時のままの光景がありました。そこは、かつては瀟洒(しょうしゃ)な住宅が建っていたと思われる住宅街であったようですが、津波の直撃を受けて、危険なガレキなどは撤去されてはいても、建てて間もないと一目でわかる家々が廃屋になっている光景です。見渡すかぎり見える家は、ゴーストタウンのような光景で、地面は、うっすらねずみ色になっています。海水による塩が地面に浮き出ているからです。
 聞こえるのは、私たちの話し声と、風の音、廃屋の垂れ下がった雨樋(あまい)が風に揺れてカタカタと音を立てている音しか聞こえません。鳥の鳴き声も聞こえません。音が吸い込まれていくようです。
 おそらく、その地区は、再び人が住めるような地区になれないのではと思われます。行政も廃屋を撤去したいようですが、持ち主の行方がわからず、手つかずのようです。
 石巻祈りの家の支援は、現在、パッチワークサークル、歌を歌う会などを教会関係者、被災者たちと持ち、被災者たちが話しをする場、また支援グループと協力して学習支援などをしております。
 今後の支援の大切なポイントとしては、定期的に確実に訪れて、地域や被災者たちと関わりを持つことであることを痛感しました。 
築まもない廃屋がつづく大曲地区


  

奇妙な静寂が支配する大曲地区

犠牲者のために献花されたであろう枯れた花束


2012年6月22日金曜日

南三陸町に「クリスチャンセンター」オープン!!

  宮城県南三陸町は、宮城県の北端、岩手県境に位置する漁業の町です。今回の震災で、町の約80%が消失してしまいました。現在町内の仮設住宅は58カ所、約5800人の方が住まい、さらに約2000人の方が、町の外での生活を余儀なくされています。町では、住宅のあった地域の高台移転を計画していることもあり、1年以上たった今でも、津波をかぶってしまった地域の復旧は全く進んでいませんでした。職場を失った方々も多く、町を離れる方も多く、人口は被災後1万7千人から1万1千人に激減しています。狭い仮設住宅には、年配の方や、震災の傷を抱える子どもも多く、将来に対する希望や先行きの見通しが立たず、年齢を問わず命を絶ってしまう方も少なくないようです。
そのような中で、イザヤ58ネットが支援協力している「南三陸キリスト者ネットワーク」では、
支援と宣教の拠点としてクリスチャンセンターを南三陸町志津川地区に開設し、その開所式が6月8日に開催されました。
センターは、高台の志津川高校のすぐ下にあり、志津川湾に向かって町が見下ろせる位置にあります。しかし、津波はそこをのみ込み、津波の引いた後、その周囲にも亡くなられた方が多数発見されたとのことでした。
「南三陸キリスト者ネットワーク」では、世話人の中澤竜生基督聖協団西仙台教会牧師、森谷正志 仙台バプテスト神学校長などが中心となって、震災直後の物資提供中心の「命をつなぐ」支援、さらに、心のケアや人間関係構築の「命を育む」支援、寄り添う支援を継続かつ誠実に果たしてきました。イザヤ58ネットもその働きに協力し、多くのボランティアが活動してきました。被災された方のニーズに応答するきめ細かな働きは、地元の方々との絆を深め、キリスト教会に対する信頼を深めてくれました。

クリスチャンセンター開設式
そのような中で、センター構想を聞いた地元のノンクリスチャンの方が、土地を無償で提供してくださるなど、多くの協力の中でクリスチャンセンターは実現したのです。
開所式では、森谷師は、これはゴールでなくスタートだ。クリスチャンはこの地になくてはならない存在。重要なのは愛する心であると説き、中澤氏は、これは被災者の方々の「力」の結果。私たちは、被災者の方々と共に心を合わせてこの町を盛り上げていこうと挨拶をしました。当日は地元の若者も多数出席し、近くの共同食堂「さんさカフェ」のスタッフの方々も全面的にサポートしてくれました。出席者は100名を超え、建物に入りきらず、センター前のデッキに、そして、外にまではみ出す実に賑やかな、楽しい開所式でした。
クリスチャンセンターは、この地域の被災者に寄り添い続ける支援活動の拠点です。また、誰もがいつでも来られる場所であり、聖書の話が聞けて、神様を礼拝し、子どもたちにも様々なプログラムを提供し、救いの喜びがわき上がる場所となることを目指している。中澤牧師は、「町には何にも負けることのない光が必要です。人々には永遠に輝き続ける光が必要です。町には教会が必要です。人々には教会が必要です」と説き、2年後には、この地域の国の緑地化計画に伴い、高台に新しい教会を建て移転するという。
クリスチャンセンターは、その名称を「愛・信望館」と名付けられました。この名称は、地元の人からの要望と期待を背負って名付けられたとのことです。
神様の恵みが確かにこの地にあることを覚えさせられました。神様のさらなる祝福とあわれみを願わずにはいられない。
                                                    (イザヤ58ネットワーク スタッフ 鈴木 真輔)

2012年6月15日金曜日

5月支援活動報告Ⅱ「お茶っこさぁ・・・来い」

仮設を訪問して  
今回、私たちは多くの仮設住宅を訪問することができました。山間の車が一台やっと通れるかという坂道を通り、山林を抜けたところに10戸から30戸くらいの仮設が少なくありません。
そのような中で、住民の方とお話を聞きます。そのようなお話の中には、今後の支援のあり方に対する方針について考えさせられる話しを聞くことがあります。
まず、仮設住宅の心ある住民の方が異口同音にいうことは「もう物資はいい。気をつけないと自立を妨げることになる」という声を聞きました。南三陸町に、救世軍などの援助で仮設の商店街ができました。地元の人たちが商業活動をすすめていくなかで、物資支援は、逆に地元の商業活動の妨げともなる部分も起きるわけです。
女川の福祉協議会の方との懇談でも、また南三陸町でも、聞かれることは、被災者たちの自立ということです。ある初めて訪問した仮設で私たちのチームの一員が聞いたことですが「支援物資を持ってきてくれるのはありがたいが、物資を置いていくだけで、自分たちの話を聞いてくれない」という声を聴きました。今後、大々的なイベントはどうしても大きな仮設住宅に集中してしまい、小さな仮設で、被災者たちとコンタクトをとることが少ないようです。イザヤ58としては、前からの方針で支援の届きにくい場所に必要なものを届けるということがありましたが、今後は、小さな仮設をこまめに定期的に訪問するようにしたいと考えております。大森地区には継続的に関わりを持ちながら、南三陸町の戸倉地区のいくつかの仮設に訪問を重ねたいと考えております。
お茶っこさぁ来いや
波伝谷仮設住宅を訪問しました。ここには自治会長さんの持っている土地(津波で波をかぶったところですが)を仮設の人たちの畑仕事を通して生活の張り合いをもってもらいたいという会長さんの願いで仙台SBSがアメリカからの支援チームによって、畑の開墾をしました。本当は、今回の支援では、そのチームの後を引き継ぎ、イザヤ58がする予定でしたが、アメリカのチームががんばって、開墾を終わらせていました。しかし、少しの作業があるということで波伝谷を訪問したところ、自治会長さんが不在でしたが、仮設で一人の男性の老人の方と話すことができました。最初、立ち話をしていたのですが、「オラの家さ来い、お茶っこさ来いや」と誘われました。初めて、仮設住宅の中にお邪魔することができました。そのお年寄りの方が、お茶を飲みながら、昔からある地域のコミニティーの集まりである”講”について話をしてくれました。
とても興味深い話だったのですが、東北弁の会話で、私には80%ぐらい、また会話に出てくる”講”のしくみについてわからず帰ってきました。
お年寄りから聞いた”講”について
支援から帰ってきて仙台SBSの森谷先生から、東北の地域で根付いている”講”について詳しく聞くことができました。
三陸地方には江戸時代から脈々と息づいている”講”という地域の相互扶助の集団のしくみ、また時代によっては行政組織の末端の役割を担っていたそうです。それは、子供から年寄りまで、この地域に住む人たちがかかわる、地域共同体で、それは地域の祭りや祖先供養など宗教的活動も含む集まりです。
まず、子供たちは、子供行事を通して子供の様々な活動を通して地域の子供の集団を形成します。青年は青年団に属し、地域の祭りなどの手伝いや、青年団活動など通して地域とのかかわりを強めます。結婚している男性は’契約講”に属します。地域の共同財産の管理(山林や漁業組合ができるまでは、漁業権の管理、船の共同使用)、祭りの実行などにかかわります。
女性は結婚すると、観音講に入ります。男性は、自分の子供が結婚すると契約講を出て、今度は”六親講”という講に入ります。六親講は、冠婚葬祭の差配や、村全体の秩序を守る長老として存在します。
女性は、自分の子供が結婚すると今度は”念仏講”に入ります。年代と家督によって属する集団が違います。男女ともに孫が結婚してはじめて、これらの集団から離れます。
わかりやすく年代の集団の流れを示すと以下のようになります。
男性:子供行事→青年団<結婚>→契約講→(子供の結婚)→六親講→(孫の結婚)
→講から離れる
女性:子供行事→青年団<結婚>→観音講→(子供の結婚)→念仏講→(孫の結婚)
→講から離れる

これらの集団構成は、ある意味、個人が常に地域の共同体に組み込まれ、それは宗教行事ともかかわっている面があり、昔はこの秩序を乱す者を、この”講”が制裁を加える制度が存在していて、戦前に禁止を通達されたという”村八分”などもそれにあったようです。
これらは必ずしも、否定的な側面ばかりではありません。東北という地域での相互扶助作用がこれらの集団活動を通してあったわけです。しかし、今回の震災は、それらの伝統的コミニティーが壊れ始めている面があります。弱者(年寄り、子供)の相互扶助作用が働かなくなっている部分が大きな問題になると思われます。
キリスト教の伝道を考えるとき、これらの昔からある地域のコミニティー文化を無視していくと、かえって地域の摩擦をおこし、キリスト教に対しての反発も考えられます。欧米の宣教師たちからもたらされた、従来の宣教神学をとらえなおし、文化の理解と、地域宣教をどう取り組むか、あるいは聖書的コミニティーをどう伝えるかが、支援と宣教を考えるうえで大切だと思われます。
そしてそのような宣教のとらえなおしは、東北の被災地域だけでなく、私たちの足元の宣教にも深くかかわる福音の文化脈化の大切なテーマとなるのではないでしょうか。

いまだにこのような景色が続く南三陸町の中心









2012年5月29日火曜日

5月28日~31日支援活動報告1

このブログは仙台の私たちの支援拠点で、宿泊場所である仙台バプテスト神学校で、ブログを書いております。
 今回のチームは、夫婦1組、他男性4名計6名のメンバーです。
5月28日(火)
初日は、まず石巻祈りの家の阿部さんのお宅を訪問し、仙台SBS森谷先生ご夫妻と合流して阿部さんの案内で、石巻と南三陸町の間にある女川町の被災状況のリサーチをしました。
集合地点の館林を出発した時は、半袖で十分でしたが、途中福島から雨で、気温が下がり、5月下旬とは思えない寒さでした。

復興支援センターコーディネーターの方との懇談
  雨模様の中、女川町の社会福祉協議会の復興支援センターを訪問し、女川のボランティア支援の様子を復興支援コーディネーターの方としばらく情報交換と懇談の時を持ちました。
 私たちイザヤ58ネットとして、被災地の行政の側の復興関係の方との懇談は初めてでしたが、いろいろ支援も役所の窓口が支援の性質によって違い、南三陸町のようにキリスト教系の団体が存在感を示している場所でないところの難しさを感じました。
 同時に、南三陸町キリスト者ネットワークの働きの大きさを痛感しました。
5月29日(水)

仮設の住民への声かけは大事な活動です
 二日目、南三陸町クリスチャンセンターを訪問しました。6月8日の開所式に向けて、センターの建物の建設の突貫工事をしている中、6月8日の開所式の案内チラシを配る活動をしました。単に、配るのではなく一戸一戸声かけをして、お話をしながら案内をします。南三陸町ではキリスト教の支援グループですというと、すぐ応じる家庭が少なくありません。広間は男性が働きにでかけているので、高齢者は小さな子どもがいる主婦の方がほとんどですが、声かけをして、人によっては話し相手が欲しい方もいますので、チラシを渡して10分、30分近くお話をしながら一戸一戸の訪問です。本日は4カ所の仮設を訪問し、不在の家庭もありますが、丁寧にお話を聞きながらの開所式の案内を配りました。
南三陸町クリスチャンセンター

2012年5月11日金曜日

南三陸クリスチャンセンター開設式

私たちも参加している「南三陸町を支えるキリスト者ネットワーク」では、宣教と支援の拠点としてのセンターを南三陸町の志津川に開設することになりました。
 イザヤ58ネットも、応援し、積極的に関わって活動の拠点として、また地の皆様へたちの集まれる場として用いられることを願っております。


開所式の案内です。
   前にもブログでお知らせしましたように、支援の段階が、地域のコミニティーの再建として、人々が集まれ、また希望と慰めの福音の発信する拠点として、超教派的に活動をしていく場所ともなります。 
 もし、開設式に参加したい方がおりましたらご連絡ください。










南三陸町クリスチャンセンター開設式 6月8日(金) 
開所式 13:00 コンサートとメッセージ コンサートゲスト:上原令子さん

2012年5月4日金曜日

イザヤ58から5月と6月派遣のお知らせ

いつもイザヤ58の働きのためにお祈りくださり感謝します。遅くなりましたが、お問い合わせのあった5月、6月の派遣予定をお知らせします。
5月支援活動日程
5月28日(月)~31日(木)
*予定では、シーズン限定の働きとして、牡鹿半島の漁業、ワカメ関連の作業があります。収穫は4月一杯ようですが、塩蔵ワカメ関係は5月一杯続くとのことです。曜日関係なく働き続けるとのこと、ただし雨の日(ワカメは雨にあたるとだめになる)は休みとなります。難しい仕事ではないとのことです。手早く、一生懸命やり続けられるかだけです。
ただ、現地に行って必要は日ごと変化します。変わることもあることをご承知ください。
6月支援活動日程
6月25日(月)~28日(木)
*今のところ、仮設住宅訪問と傾聴活動を中心に考えております。南三陸町の支援センターが完成している頃だと思いますので、そのことを踏まえて計画を検討します。

*日程をおわかりのようにウイークデーの日程となっておりますが、今後、週末であればという方についても検討したいと思います。
 また、3月にお問い合わせがありました、夏休みや学校の休みに合わせて、学生や学校関係者で支援活動に興味のある方、お問い合わせ下さい。
*牧師のみなさんへ
一度、ぜひ被災地に訪問してみませんか?またもし可能ならば礼拝説教の奉仕をご検討ください。もしそのような先生がおられましたら、できたら教会員数人と同行するとよいと思います。

首都圏の支援関係者の皆様に
 先日、在京の教会の東北支援のチームの責任者から、私どものブログを見て問い合わせがありました。そのチームは、今まで大きな支援団体に合流する形で支援をしていましたが、その支援団体が働きを縮小したために、自分たちの活動の窓口を新たに探す必要が生じ、私どもの活動に関心を持ってくださり、お問い合わせしてくれました。
 現地に活動拠点のない、首都圏の支援グループ、また具体的支援(物資、資金)が一つのグループでは小さいとお考えの支援関係者、お互いの働きの特徴を尊重しながら協力して、息の長い支援活動を共にしませんか。
 私どもイザヤ58ネットと幾つかの首都圏の支援グループは「南三陸町を支える首都圏支援ネットグループ」をつくっていきたいと願っております。
お互いの支援組織の価値観を尊重しながら、「宣教と支援」の新しいパラダイムのチャンネルを築きませんか。
 ぜひ、関心のある方のお問い合わせを期待しております。

2012年4月19日木曜日

コミニティーの再建のための足がかり

 私たちイザヤ58ネットは、このブログの紹介にある聖書の言葉から、その名がつけられました。
このブログの紹介にもイザヤ書58章10節が掲げられております。そのような中、震災から一年が過ぎ、私たちの働きも、仙台SBSや南三陸町を支えるキリスト者ネットワークと関わり、その働きのポイントが変わってきております。当初は、イザヤ58章10節にあるように、緊急の食料や衣類、また壊れた家屋の片付けや再建のお手伝いでした。文字通り<飢えた者に心を配り、悩む者の願いを満足させるなら、あなたの光は、やみの中に輝き上り、あなたの暗やみは、真昼のようになる>という10節のように、物資支援や壊れた家屋の修繕のための支援活動が中心でしたが、これからは、むしろイザヤ書58章の12節の聖書の言葉のような働きにウエイトがかかってきていると思います。
12節には<あなたのうちのある者は、昔の廃墟を建て直し、あなたは古代の礎を築き直し、
 「破れを繕う者、市街を住めるように回復する者」と呼ばれよう>
とあります。
 具体的にいいますと、今までは、被災者への直接的支援でした。彼らが生きていくための必要な支援でありました。しかし、これからは地域のコミニティーの再建のために必要な支援に関わっていく必要があるということです。
 最近、仙台SBSは大森地区での地域の人たちの集会所の必要性の声に心をとめて仮設の集会所の建設の支援を始めております。津波で町内会館などが津波で亡くなり、地域の人たちが集まる場所がなくなり、それまでのコミニティーが壊れてしまっている現状があります。そのような地区の人たちが集まれる場所の確保はとても大切です。
 南三陸町を支えるキリスト者ネットワークでは、南三陸町の震災支援のための支援センターを作って欲しいとの地元の被災者たちの要望で、飢餓対策機構の支援で「宣教センター」を志津川高校の丘の下に、仮設ですが設置することにしました。支援者グループの拠点として、また町のコミニティーの再建のための足がかりとしてのセンター建設を着工をしました。土地は、地主の方が貸してくださり、建てるところまできました。
プレハブの施設建設に着工しました

 仮設住宅がある志津川高校の丘の下に、センターを作り始めております。南三陸町を支えるキリスト者ネットワーク(イザヤ58も加わっているネットワークです)代表の中澤先生から送られてきた着工の様子を紹介します。
  
 6月初旬には開設式となります。この施設が支援の拠点、またキリストを証しする拠点として、また地元の人たちの集まれる場所として用いられることを願っております。
 キリスト教支援団体が、地元地域と溶け込んで支援活動をしているモデルになれればと願っています。開設式にはイザヤ58ネットも出席したいと考えております。具体的日程がはっきりしましたらお知らせします。参加希望の方はお知らせ下さい。

 

飢餓対策機構の支援工事関係者によって建設中です

後ろの建物が志津川高校です


 

2012年3月26日月曜日

突然の訪問者

桜の花の開花を待ち遠しくしている方が多いと思いますが、いつもイザヤ58ネットのご支援、お祈りをしていただいていることを感謝します。東北の桜の開花はいつごろになるでしょうか。
 第七次の支援も終わり、ホットしているところですが、次の支援のついての検討をしております。今回の支援は、南三陸町が中心でしたが、私たちは石巻の祈りの家の働きも絶えず支援の関心を持ち続けていきたいと思います。
 今回は、祈りの家への訪問と、現在の石巻の状況について、お話を伺いました。引き続いて祈りの家は、必要な所に物資も支援しておりますが、新しい支援の段階で、ファミリーフォーカスの宣教師ご夫妻が協力して祈りの家の近くの仮設住宅の婦人たちへのパッチワーク、キルトの制作サークルをつくり仮設住宅の方々の支援、また子どもたちへの学習支援を通して、被災者たちの心に対する支援活動を始めております。
被災者のストレスのステージの段階は変わる
 震災の支援活動に関わってわかることは、被災者たちのストレスは、その支援の段階が進むことによって変わります、また逆の言い方をすれば、彼らのストレスの段階が変わっていく中で、支援のあり方を変えないといけないことです。
 当初は、とにかくサバイバルのためのストレスが極度に頂点に達していました。一瞬に家族を失なったり、住む場所を失っなって、着の身着のまま避難し、水もなく、食べるものもなく、暖を取るのもままならないといった状態でした。そのような人への支援は衣類、食料、暖房備品などでした。やがて、避難所に一通りの物資が行き渡ると、被災者たちのストレスの段階が変わります。それは避難所での生活での窮屈さや避難所からプライバシーが確保できる住居となります。そして仮設住宅の生活となります。仮設住宅での支援は物資の支援と同時に、避難生活からのストレスを和らげる活動、イベント企画や傾聴活動なども加わります。
 また住宅の一部などが損壊している在宅被災者などのストレスは、地域コミニティーが壊れてしまったことから、物資の支援が届かなかったり、壊れた家屋の修理などの作業などからの疲れなどが心身のストレスから始まりました。そして、その後に来るのが、将来への不安(仕事、地域コミニティーの崩壊から来る不安)へのストレスです。
 時間が経つにつれて、物資の不足から来るストレスは和らげられるでしょう。しかし、将来への不安、漫然と仮設で暮らすことへのストレスへの対処が求められます。
 そのような中で、人が一緒に集まり、おしゃべりしながらキルトを作ることを通して、日常生活にはりをつくっていく支援は、大変有意義なことと思います。
地域コミニティーの再建
 大森地区に訪問し、地元に人との交流で、わかったことは、地区の公民館が津波で流され、地域の人が集まる場が亡くなったり、地区にあった班が、被災でバラバラになって、班として成り立たなくなったりして、それまでの相互扶助や交流のコミニティーが壊れてしまっていることです。
 震災前、地区には、いろいろなサークルや催し物が公民館でありました。特にお年寄りの方などの生活の張り合いとなっている場が失われてしまっていることです。
 前回も、そうですが仙台SBSのM先生が支援の一つの目的は、そのような地域の壊れてしまったコミニティーの再建に、支援を通してお役に立てないかということがあり、イザヤ58も物資支援や交流などにお手伝いをしています。しかしそのためには、物資支援がコミニティーを壊す原因とならないように最大限の配慮をしております。
 石巻の祈りの家では、支援と地域との関係作りが非常にうまくいっている方法を用いています。その関係でキルト制作の交わりの場を提供しています。今のキルトづくりの課題は、電動ミシンが足りないことだそうです。
私たちと地元の関係づくり
 大森地区、波伝谷地区も何回か訪問させていただき、お茶を飲んだりして、いろいろなお話をしております。一緒に笑い、お互いに耳を傾け、そのような関係の中で、私自身が教えられていることがいくつかあります。
  • 支援と伝道を決して取引のようにしてはいけない。支援をするということは、一歩間違えると人と人の関係を優越的な立場からの援助という無意識な意識が働いてしまう危険があります。私たちキリスト者は、福音を信じることはその人の真の幸せを得ることであると信じておりますが、相手の尊厳を最大限配慮をしていく必要があります。
  • 地域全体に、時間をかけてキリスト教に対して、その存在を認めてもらう段階を忘れてはないらないでしょう。
  • 相手の尊厳の中には、長い間培ってきた習俗一体となった信仰心にも、一定の理解を示すことが大事です。東北の海岸部の地域には「龍神信仰」があります。今回の支援活動で言われ印象的なことは「キリストさんにすごく助けられた。キリストさんが好きになった。でも、龍神さまも好きなんだよね」という言葉です。そういう素朴な心をまず受けとめていくことが大事であると思います。地元の文化、考え方を理解していきましょう。
突然の来訪者 
 実は、このブログは3月25日(日)の夜に書いておりました。25日にとってもびっくりすることが
私たちの教会でありました。日曜の礼拝が終わり、午後3時頃、教会員の二人の方と教会の午後の奉仕も終わり、一息ついてお茶を飲んでいたとき、一人の30代の男性が訪れました。「こんにちは・・・あの~、私、南三陸町の者なんですけど・・・」と遠慮がちにドアをあけて入ってきました。
最初、意味がわからずキョトンとしていたら、以前にブログで紹介した、ご両親が南三陸町の大森地区に住んでいて、母から「キリストさんに助けられた」ということを聞き、いろいろ調べて、私たちイザヤ58の連絡先を調べてハガキをいただいたSさんでした。実は今回の大森地区に支援に行った時、地元の人に、「この中で、シンガポールにお仕事でいっている方のご親戚や家族がおられますか」と聞いたところ「自分の親戚にいる。先週休暇で帰ってきたらしい」と教えていただきました。
その方にハガキをいただいたお礼をお伝え下さいと言ったばかりでした。
 そのSさんが、お礼に訪ねてきてくださったのです。わざわざ横浜まで来て下さり会いに来て下さったことに、本当にビックリと恐縮したしだいです。お茶を飲みながら町のことや、ご家族のことを話すことができました。
「明日、シンガポールに戻ります・・」と言ってお別れしましたが、メールアドレスを交換して、今後の交わりに期待したいと思います。
 別れ際、南三陸町の地元の写真愛好家が撮影した、被災前の南三陸町の景色や生活風景、そして震災後の変わり果てた町の様子を撮影した様子と、東北の震災に対する思いを詩にした本をいただきました。
 その本には、南三陸町の震災前の美しい海岸、町並み、住む人たちの生活の様子が映された写真が何枚もありました。私自身は、荒涼とした震災後の町の姿しか知らなかったのですが「こんな、素朴なきれいな町だったんだ・・・」と、そこに住んでいた人たちが、今の町を見る時の無念さを思うと、こみ上げるものがありました。
 できたら、その南三陸町の写真家に連絡をとり、その美しい町の風景の写真をブログでぜひ紹介したいと思いました。そこには、日本のわすれかけた美しい素朴な地方の町の原風景が見える気がします。

2012年3月17日土曜日

第七次支援3月12日~15日

出発前の積み込み

私たちはイザヤ58ネット第七次支援チームとして12日から仙台バプテスト神学校を支援拠点にして、仙台SBSの協力のもとに、南三陸町支援をしました。今回は南三陸町の大森地区への物資支援と波伝谷地区仮設の訪問傾聴活動が中心でした。
佐野オリーブ教会のご厚意で物資集積基地として受付をして、11日までに、多くの教会から物資の提供を受けました。今回の物資は食料品、日用生活消耗品に限定させていただきました。
当初、ワゴン車と乗用車で行くことを想定していましたが、予想外の多くの物資の提供を受け、結局、前回11月の物資支援の時に大活躍をしてくれたクレーン付き2トンロングトラックに物資を満載して行くことになりました。
 天気予報では、11日の夜から東北、北陸地方は大雪の予想で、どうなることやらと思いましたが、幹線道路は雪はないとのことの情報を得て、トラックチーム2名は仙台に直接向かい、他4名は今市教会に向かい、雪道対策のため今市教会のシオン堂のご厚意でスタット付きワゴン車を借りそれに乗り換え、乗用車、ワゴン車二台5名で仙台に向かいました。途中、雪がぱらつくことはありましたが、道路に積雪することはなく、順調に予定地の仙台バプテスト神学校に到着しました。
 今回のメンバーは、大学進学が決まった春休み中の青年と、トラックの運転はお手のもののT教会のK兄が初めて参加してくれました。
 到着した日は、夕方まで、大森地区と他の地区にまわす仕分けを行いました。
翌日13日、朝、南三陸町に向かいました。
 いつも思うことですが、高速道路で約100キロ以上の距離を走ります。関東で100キロはかなりですが、こちらの生活圏では通勤距離のようです。
地区の班長さんが集まっていました
「大森地区物資支援」
お昼過ぎに、大森地区に到着したら、各班長さんたちが待機していてくださり、それぞれの班の世帯ごとに物資を分けました。物資支援は、事前によく地元の代表の方と打ち合わせをしておかないといけません。他の地区で、ある団体が物資支援をして、不公平が出て、地域同士の関係が悪くなってしまうことがあります。感謝なことに、私たちイザヤ58は、大森地区でどこも支援が来てくれなかった時から何回か訪れ、バーベキュウをしたりしてよい関係が築けていることは感謝です。それも仙台SBSが現地の人と連絡を取り、必要な情報をいただけるからできることです。またイザヤ58も参加している、南三陸町支援関係のグループが、お互いの情報を共有するために「南三陸町を支えるキリスト者ネットワーク」を結成し、地元の人や行政にうまく関係を築いているネットワークの代表の聖協団の仙台の教会のN牧師との連携も大きな役割を担っています。今回の物資支援をブログに掲載したところ、首都圏の南三陸町支援関係で作った首都圏ネットワークの聖協団清瀬教会から大量のトイレットペーパーの提供を受けました。今後は、そのような南三陸町支援関係の支援グループとも協力して支援を継続することが大切だと思います。
14日「波伝谷訪問」
 14日に、多少の物資を持って、昨年11月に支援活動を初めてした波伝谷仮設住宅を訪問しました。前回、提供した乾燥機 はとても役に立っていると自治会長さんから感謝されました。
 今回の大震災の支援活動での大きな特徴は、被害が阪神・淡路大震災に比べて、それを上回る広い被災地域と被災者の数ですが、支援活動について阪神・淡路大震災に比べてのべで100万人以上のボランティアによる支援があったのが特徴です。特に、前回の震災に比べてキリスト教関係のNGO,NPO、そして多くの教会の支援活動は、めざましいものがあるといえます。
それは、阪神・淡路の震災の教訓が生かされていたことと思います。
 その教訓の中で、阪神・淡路の震災の時、仮設住宅の避難生活で、顕著な問題は、仮設住宅での孤独死、自殺が多かったことです。その教訓で、これからの支援活動の中心は、訪問して、いろいろな集まりを設けて話しを聴いてあげる、あるいは、こちらの話しも聴いてもらう傾聴活動がとても大切です。波伝谷の訪問は、地元の人たちの言葉で「せっかく来たんだから~、お茶っこさ~、出てくれや」という会でお話をすることです。「お茶っこの会」といいます。
 仮設では、毎日のようにそのような集まりがあります。それは、孤独死対策や、互いの様子を知るためにとても大切な役割があります。大きな仮設や、地域がバラバラな人が集まっている仮設は、私たちのような支援チームが企画しないと集まらない課題がありますが、この波伝谷は、こじんまりした仮設で、隣近所の被災者が集まっているので、とても元気な様子です。
 それでも、私たちが訪問する直前に、南三陸町で30代の方が自殺した話題が出ておりました。そのような意味で、何をするということよりも、寄り添う活動が大事であると思います。

今回、最も伝えたいこと
 14日の夜、私たちの滞在先に、南三陸町を支えるキリスト者ネットワークの代表のN牧師が来られ、しばらく支援活動の状況や南三陸町の状況についてお話を聞くことができました。そこで、N先生からとても大切なことを、私たちは問われました。「被災地に支援に来てくれることはとてもかんしゃですが、それと同時に、皆さんの地域で、このような震災が起きた時への教会の備えはできているのですか」ということです。「このような震災がおきたら三日間は、救援は来ない。自分たちで生き残ることを考えないといけない。その備えが、みなさんの教会にありますか。関東は次に大きな震災がくるんでしょう?」と言われました。

 同じことを波伝谷でのお茶っこの会でも被災者の方たちから言われました。「このことは伝えて欲しい。命あってこそだから、とにかく体一つで逃げることを教えるべきだ。それと、自動車の鍵はつけたままでということを徹底するべき」と言うことでした。
 波伝谷で亡くなった人の多くは、津波が来るまで30分ぐらいあったので、逃げたのに、また戻って貴重品を取りに行った人たちが亡くなってしまったそうです。また、自動車に鍵をかけて先ににげたため、後の車が逃げられず、車が流されたそうです。「そういうことをぜひ伝えて欲しい。こんな悲しみは私たちだけでたくさんだから」と言われました。
 イザヤ58ネットは、被災地への支援だけでなく、私たちの身の回りでおきた時にどう対処すべきかももっと今後の活動の中で考えていくことが大事であることを教えられました。











2012年3月1日木曜日

3月12日からの支援活動予定

3月12日から支援チームの派遣募集と、支援物資の募集をさせてただいておりますが、
少し、具体的にお知らせいたします。
予定としては、物資は、以前私どもが物資を数回に渡って届け、また地域の人たちの信頼を
築くことができてる南三陸町の大森地区に物資支援をいたします。支援物資がなかなかいかず
ここ数ヶ月ぶりの物資支援を受ける地区とのことです。
また南三陸町戸倉地区、石巻の支援活動も予定しております。
 今回、震災が起きて、丁度一年目となります。被災者たちにいろいろな思いや痛みが交錯するじきとなります。少しでも励ましの機会となればと願っております。
 今回、食料品、生活消耗物資に物資は限定させていただいております。
3月10日までに、佐野オリーブ教会にお届けいただければ感謝です。
なお、中古でもかまいませんので、国語辞典を集めております。ご協力ください。
皆様からの支援物資、献金はどこに届いているか確実にお知らせします。
佐野オリーブ教会
〒327-0821
栃木県佐野市高萩643-16
牧師:中林篤郎
0283-21-0603

なお、支援物資のための献金などのお志のあるかたは、イザヤ58ネット代表
鈴木真までお問い合わせください。

また、支援先との双方向の交流も願っております。もし、皆様の教会や支援物資を
提供して下さる方で、差し支えなければ、画像をお送り下さい。
どのような方が支援をして被災者の皆様を背後で支えているかを、支援先にお知らせしたいと願っております。
 先日、11月の支援活動に参加した群馬県のT教会のSさんという方がおります。
この方は、税理士で、ある時、年末の納税申告の相談窓口を設けて、納税相談をしたそうです。
ある一人の婦人が納税の手続きの相談に来た時、話のながれで、その方の実家が南三陸町で、津波被害にあって、波伝谷仮設住宅にいるとお話ししてくれたそうです。丁度、11月にSさんが行った支援先が波伝谷仮設住宅であったので、相手は、とても驚いたのと感激してくださったそうです。これからも波伝谷を見守ってくださいとその女性は喜んで帰って行ったそうです。
人の出会いとつながりは本当に不思議ですね。

2012年2月27日月曜日

東松島の子ども支援と宣教への応援

私たちイザヤ58ネットは、主に南三陸町、石巻が主な活動をしておりますが、実は、イザヤ58ネットが立ち上げ最初に支援活動の地として入っていったのは、東松島地区でした。イザヤ58を立ち上げて先遣隊として、第一陣を送った時、津波で破壊された家屋などの復旧活動を最初にしたのは、蔵王キリスト教会(保守バプテスト)の牧師夫人のご実家でした。残念なことに、お父様は津波で亡くなったということでした。
 サマリタンパースやその他の団体と、その地域の復旧活動のお手伝いを数回のチームを送ってさせていただきました。その後、蔵王教会の方々が体勢を整えて、支援活動を始めましたので、私たちは、主に石巻、南三陸町での支援活動を仙台SBSのコーティネートのもとに関わるようになりました。
 イザヤ58の東松島の支援活動に関わった方々は、その後もやはり状況がどうなのかと気にかかっていたようでした。昨年、11月に東松島の響仮設住宅での蔵王教会の支援活動の芋煮会の応援に、私たちイザヤ58も参加する機会が与えられました。
 東松島での蔵王教会の支援活動は、石巻、南三陸町とはまた違った支援の性質で、すで支援活動と共に宣教的な活動も加味された働きをしていました。
 東松島は、被災前は、おそらく海岸沿いの松林に囲まれた風光明媚な所であったのではないかと思われます。しかし、昨年の11月に訪れた時も、相変わらず、一階の部分が津波で破壊された家が多く残っていました。おそらく、瀟洒な住宅が並んでいたのであろうと思われる町並みは、二階部分は新しそうな家ですが、一階部分は、無残に津波で壊されたコントラストが目に焼き付いております。
 そのような中で、被災した住宅を借りて、子どものための英語クラスなどを開くことを通して子ども支援と地域への福音の証しをしています。
 震災前は、海岸沿いの新興住宅街には、子どものための様々なおけいこごとの教室や、塾などがあったことでしょう。しかし、震災後は、まったくそのようなものもなく、子どもたちの日常性を取り戻す一環として、子ども英会話などを通して支援と福音の証しの拠点作りの活動をしています。
 本来ならば、教材費などの費用を父兄に負担を求めたいところですが、被災者たちの現状を考えると今はできない状態です。おそらく、一教会の支援活動としては、大きな負担と推測できます。
 イザヤ58ネットでは、昨年の12月の評価会で、支援の前線に立つ協力支援グループが孤立して燃え尽きることがないように、働きの全面に出るのではなく、サイドからも支えていく活動方針の一つとすることが言われました。その一環として、東松島の子供支援などの働きにも背後の祈りと応援をしていきたいと考えております。

震災後5月の東松島


方向が上と同じではありませんで、同じ川の震災前の景色です
  


2012年2月15日水曜日

支援物資の募集のお願い

イザヤ58を支えてくださる皆様、いつもご支援を感謝します。
先のブログで2月の支援の日程をお知らせしましたが、種々の事情で中止となりました。3月12日からの支援に一本化することになりました。
そこで、協力関係を持っている現地の支援活動の仙台SBSからの情報では、2月に被災者たちの失業手当が打ち切られるそうです。収入の当てが見つかった被災者はいいのですが、現実は、仕事などが少なく就労できる人は少ないのが現状です。
いままでは、ガレキの撤去などの日雇いの仕事もありましたが、それもなくなってきています。
今後、生活消費材や食料などの支援は、引き続き必要であると思われます。
イザヤ58ネットでは、以下の物資の支援を皆様にご協力をお願いしたいと思います。
募集の物資
生活消耗品
トイレットペーペー、洗濯洗剤、食器洗い用洗剤、入れ歯洗浄剤、大人用紙おむつ、など
食料品:お米、味噌、調味料類(塩、砂糖、醤油、ソース)缶詰など

また仙台SBSでは、仮設の方々からの要望で、国語辞典を求めております。仮設の方々が手紙などを書くための辞書類がなくて困っているそうです。そこで仙台SBSでは各仮設に数冊の辞書類を支援したいとのことです。皆様の家庭で、使っていない国語辞典などがあれば、ぜひイザヤ58までお送りください。
これらの物資は常時受け付けておりますが、3月12日からの支援で持って行けるものはもっていきたいと思います。

支援物資の送り先,献金などのお問い合わせは以下のところに問い合わせてください。

イザヤ58ネット代表:鈴木真 macsuzuki316@gmail.com

2012年2月2日木曜日

今後の支援

今、仙台におります。今後の支援について仙台SBSと打ち合わせを行いました。
いくつか、こちらにきて具体的にわかったことがあります。
昨年まで、震災以降、とにかくレスキューということで、支援が始まり復旧活動や物資の提供が起きなわれてきました。しかし、一年がたち大きな支援団体は、今後縮小の方向で、長くても6月ぐらいまでで働きは終了するようです。そして、今後は、草の根的支援活動が今後の大切な働きになるでしょう。
 昨年まで、「支援」が中心でしたが、それぞれが支援をしていく中で、聖書に興味を持つ人や自分の生き方を探る人たちが起こされてきて、「支援」活動にプラス「宣教」の活動がプラスされていくようになっていくでしょう。そのような中で、南三陸町では、南三陸町キリスト者ネットワークに地元の要望で支援の拠点となるセンターを設置して欲しいとの地元の人たちの要望で、支援センターをつくるならということで、土地を二年間貸してくださるという地主から申し出があるそうです。そこを拠点として、それぞれの支援グループや宣教グループが活動をしていく超教派の「クリスチャンセンター設置」の構想が生まれております。
 また物資支援の関係では、衣類などの支援は区切りがついたと思われますが、今後、被災者たちの失業保険が3月で打ち切られていきます。またガレキ撤去の作業の仕事なども終わり、収入のあてが無くなる人たちが被災者の中で出てくることが予想されます。
 イザヤ58ネットとしては、そのような食料(米、調味料、生活消耗品など)の物資支援を準備したいと思います。 
 また仮設住宅での傾聴活動として地元の人たちが集まる習慣(お茶っこの会)への企画参加、
東松島でのカフェミニストリー(コーヒーハウス)などを人の応援を検討していきたいと思います。
 2月末の派遣は、そのような現地調査的な要素がはいります。

2012年1月27日金曜日

2月、3月被災地支援派遣チーム募集案内



被災地ボランティア参加者募集 

「飢えた者に心を配り、悩む者の願いを満足させるなら、あなたの光は、やみの中に輝き上り、あなたの暗やみは、真昼のようになる。」 イザヤ5810

 いつもお祈りと尊い献金を感謝いたします。2月、3月の被災地ボランティアの募集を行います。志のある方が下記までご連絡ください。

2月派遣
 日 程  227日(月)から31日(木) まで
 リーダー 鈴木真師(戸塚めぐみ教会)   派遣人数 34
 募集期間 220日(月)まで
※人数が3名に満たない場合には派遣を見合わせる事もございます。ご了承ください。

3月派遣
 日 程
  第一次案 35日(月)から38日(木)まで
  第二次案 312日(月)から315日(木)まで
 リーダー  未定
 派遣人数 34
 募集期間 227日(月)まで
※日程につきまして、参加者が与えられる方を優先して派遣いたします。ご了解ください。
※人数が3名に満たない場合には派遣を見合わせる事もございます。ご了承ください。

ボランティア参加について
☆費用は、交通費、ガソリン代、宿泊費、食事の一部はイザヤ58ネットが負担します。
☆下記に連絡の上、登録を済ませ、必ずボランティア保険(天災B)に加入してください。
連絡先
鈴木真(戸塚キリスト教会) 電話 045-864-2423  Email: totsukagrace@ybb.ne.jp
ブログ配信中:http://isa58net.blogspot.com/