2011年7月26日火曜日

南三陸大森地区第二次物資支援

再び、7月14日に、南三陸大森地区へ、物資支援を有志によって運ぶことができました。第一次と同じくらいの物資を2トントラックに満載して運ぶことができました。
右側遠方の山の斜面の集落が大森地区です。

 第一次は、「本当に来てくれるのだろうか?」という不安が現地にあり、今か今かと物資を待っていました。少しでも必要なものが欲しいという気持で、少し殺気だっているような雰囲気があったそうでしたが、今回は、同じ支援グループ(イザヤ58ネット)ということで、落ち着いた雰囲気でした。


物資の到着を待ち受けていました。
 このブログを掲載した時は、ボランティアが現地に行っている時です。
 今回は、大森地区で、地区の責任者と仙台SBSのM先生とが話し合い「少し、明るいことをしたい」ということで、地域の人たちとバーベキュー大会を計画しております。地域の人たち150名ほどが参加して、懇親を通して地域との信頼関係を築いていければと思います。
 昨日、コロラドのある教会のアメリカ人の方からブログを毎回、感動して読んでくださっているとのメールをいただきました。英語に翻訳して、自分の祈りのグループで分かち合って下さっているそうです。地味な働きですが、物資の支援だけでなく、人と人をつなぐ双方向の支援の応援者がいることを主に感謝したいと思います。

2011年7月12日火曜日

言葉を失うことから始まるもの

 イザヤ58ネットのブログなのに恐縮ですが、今回、すこしブログの担当者の個人的な思いをお分かちさせてくださることをお許しください。
 「震災から四ヶ月」たちました。しかし、いまだに支援物資が必要な所があり、イザヤ58ネットでは皆様からの支援物資をお預かりし、再び2トン車満載にして南三陸地方に運びます。四ヶ月たっても、まだ物資支援が必要であるという現実が、震災の大きさを物語っております。残念なことですが、恐れていた予測が徐々に顕在化して、もう被災者の中から自殺者が出てき始めております。せっかく津波や地震、そして、あの寒さの中を耐えてきた人が、現実の避難生活の中で心が折れてしまい、「お墓に避難します」と遺書を書き残し自殺してしまった方がいます。本当に心が痛みます。
 当初から、私たちの支援活動と深く関わっている仙台SBSも、単なる物資の供給だけ、支援の量よりも、支援の質ということを課題にしていた中で、私たちもその考えを大切にして共に協力していきたいと願っております。単に物を支援することだけではなく、傍らに寄り添う支援を目指す働きとは何かを、問いながら支援活動をすすめ、その先にある神さまのみこころを見いだすことができればと思います。
 私たちは、四ヶ月前、テレビで次々と家や車、そして人が津波で飲み込まれていく光景をライブで見ていました。現在の情報技術は、ちょっと前に起きた出来事を伝える時代から、今、現実に起きている光景を私たちに知らせます。そして、私たちはその今起きている現実に言葉を失う経験をしました。
 しかし、テレビで見たこと以上に、被災地で被災した後のすさまじい傷跡を見たり、助かった人たちから被災の現実を聴くと、更に深い沈黙を経験します。孫と避難していた祖母が、もう歩けなくなり、やっと高台の階段に来た時「もう、自分は歩けない・・・、お前は逃げろ」といって階段の踊り場の所で座り込んでしまい、津波にのみ込まれた話しを聴きます。自分の家族を助けられなかった無念さ、そして、助かっても、家族を失い、生活の基盤も失ってしまった人たちの喪失感・・・。
 四ヶ月たって、私たちイザヤ58ネットでは、ささやかですが、援助の行き渡っていない援助の隙間となっている地域への物資の支援などに関わっています。同時に、被災地の心の隙間をどう関わっていくかが今後問われていくでしょう。そのような人たちに、今までのような福音提示では表面的で、単なる支援の側の自己満足に終わってしまうのではとも考えさせられます。私たちは、どのような言葉をもって、福音を提示して、心の隙間を埋めていく働きをしたら良いでしょうか。また、キリスト者として、どのように接したらいいのでしょうか。
 福島原発事故被災で、避難を余儀なくされた教会の牧師S先生は、行く先々で「先生と同じように、自分が立たされたら、自分はどうしたらいいのか考えさせられる」「そのような中で、何を説教したらいいのか自分には言葉が見つからない」と言われるそうです。自分も同じことをS先生に言ったことがあります。
 「言葉を失う経験」、もしかしたら、自分にはその経験が必要なのではと思わされております。今、私は今年のクリスマスのアドベントの説教の準備をしています。その中で、聖書の中に「言葉を失う経験」をした記事があることに気がつきました。それは、あの祭司ザカリヤが神殿で妻のエリザベツが身ごもることを主から示された時、それを信じられなかったザカリヤが、話すことができなくなった記事です。彼は、しばらく人に話すこともできず、沈黙の時を経験しなければなりませんでした。その沈黙の中で、彼は主の取り扱いを受け、主の言葉を信じることができなかったことへの悔い改めが求められました。
 今、自分は無理に語るのではなく、必要なのは、この大きな震災の出来事の前に、多くの言葉を語る前に、主の前に黙して聴くことが求められているのではと示されています。そして、そこから「新しい言葉」を主からいただく必要があるのではと思われます。私たちは、この震災の経験からどのような「新しい言葉」を聴くことができるでしょうか。
 あの南三陸の被災地に行ったとき、確かに音は聞こえるのです。自衛隊がガレキをかたづけているブルドーザの音、自動車が通る音、しかし、人の話し声が聞こえない。生活の音が聞こえませんでした。奇妙な沈黙が支配しているのです。その沈黙の経験を通して主から新しい言葉を聴き取りたいと願わされております。
 キリスト教哲学者ピカートという人の「沈黙の世界」という本があります。その中でこのような言葉がありました。「沈黙と信仰とのあいだにはある種の関係が存在する。信仰の領域と沈黙の領域とは、相い依って一体をなすのである。つまり、沈黙は、そのうえで信仰という超自然的なるものが成就されるところの自然的土台なのである」。主からの言葉を聞くために、時にはザカリヤの経験が必要なのではないかと思われます。
 斥候(ものみ)よ、夜はなにのときぞ。
 斥候(ものみ)よ、夜はなにのときぞ。
 ものみ答えていふ・・・
 朝(あした)来たるとも
 なほも夜なるべし。
 汝もしとはむ(問う)とおもはば問へ。
 なんじら帰り来たりて また問ふべし。
             (イザヤ書)
 
 
 
 
 

 
 

2011年7月4日月曜日

働きの内容は毎回変わる

 早いもので、私たちの支援ネットが活動を始めて、三ヶ月以上が過ぎています。感謝なことに、徐々に関心を持って下さる方が増えていることは感謝です。私たちの支援ネットは、大規模ではなく、また震災地域に自分たちの属する教団の教会があるわけではなく、現地の支援ネットとのコンタクがあって、具体的、そしてタイムリーな支援ができるわけです。その意味で災害復興支援SBSネットとの連携は、とても重要であるし、この支援ネットと関係を持つことができたことは本当に感謝なことです。
そして、背後の祈りの支援と具体的な献げものがあって、現地の活動ができます。同時に「百聞は一見にしかず」といいますが、実際に被災地域に行かれたボランティアの方々は、色々な意味でインパクトのある経験をいたします。
 本当は、教会の牧師先生方をバスをチャーターして、現地の被災の過酷さを見ていただき、一度、「言葉を失う経験」をしていただいた方が良いのではとも考えたりもします。しかし、それは気をつけないと被災地域観光ツアーのようになり、かえって良くないのではとも考えます。
 個人的なことですが、自分が被災地域の教会の牧師だったら、何をするのだろうか。教会員が亡くなる、教会員の家族がなくなっている中、どのような祈りの言葉があるのだろうか。そこで語る説教は何だろうか。注解書もない、教会堂もない。あるいは、被災している中での、教会の支援活動に忙殺されている牧師や教会員・・・。自分だったらどうするだろうか・・・。しかし、そのような自問自答も、実際に見てきた中で、被災者と会話をしたり、現地で奮闘している教会の方々との話しがあって、リアルになってくる部分があります。
 どうしても、現地と離れている私たちの認識にギャップが生まれてきます。 たとえば、ボランティ活動をしてきた方々の報告を教会で聞きます。あるいは活動について聞きます。その活動の内容は毎回違っています。ある時は、被災者の家の後片付け、ひたすら泥かきの肉体労働、ある時は、子どもと遊んだり、物資を手渡す活動。毎回違います。その部分を送り出す教会、先生方は十分に理解していただきたいと思います。
 「子どもと遊んだんだ・・・、その程度だったらできるから・・・」と考えるのも、支援が身近になっていいのですが、反面、注意も必要なのです。それらの活動は、ボランティアに応募した方々の特徴を見て、現地の支援ネットのSBSの方が注意深く、支援先と内容を私たちスタッフと連絡を取り合って決めた結果なのです。