2012年10月27日土曜日

ある日の電話


 ある日、教会でいつものように仕事をしていたら、一本の電話がありました。婦人の声で遠慮がちに「あの・・・、イザヤ58ネットのことで・・・」という言葉から始まり、自分がパッチワーク教室をしていたが事情があって教室を閉めることになった。しかし、教室で使っていたパッチワークの教材などを何とか有効に使えないかと思い、インターネットで調べたら、イザヤ58のブログにたどり着いたというわけです。パッチワークに使う布や教科書、型紙を提供したいという申し出でした。

ブログを見て、送ってくださった物資

 イザヤ58では、ご承知のように被災地支援の一環として中古ミシンを、被災者たちのパッチワークサークルに支援を続けています。そのような中で、インターネットを通して、少しでもお役に立つならという申し出に感謝しております。同じころ、東京の清瀬の聖協団清瀬教会(南三陸町を支えるキリスト者ネットワークの世話人教会の一つ)から連絡があり、ミシン一台都合がつきそうという連絡をいただきました。

中味はパッチワーク用の布地でした

 表面的には、被災地はがれきもかたずいて、現在は多くの場所が更地になっている場所が増えてきております。しかし、あいかわらず、家屋の修繕、被災地での子供支援、物資の支援の必要は変わりません。石巻祈りの家では仮設の方々のパッチワークサークルへの支援、また被災者たちに寄り添った支援活動をしております。また蔵王キリスト教会(保守バプテスト)では、私たちイザヤ58が最初に支援活動をした地である東松島町での、被災者たちの親からの要望で子供支援の一環として「子供英会話教室」をしております。また聖協団清瀬教会では、女川でフードバンクを始めていることを教えてくれました。現在、被災地では、被災者たちの医療補助が出ておりますが、それも近々に打ち切られるとのことです。そのしわよせは病気のために仕事ができない被災者や、母子家庭などの経済生活を直撃すると思われます。そのような方たちへの食料支援活動をしております。また国分寺バプテスト教会の子供支援グループ「SOLA」は、専任のスタッフを置いて、石巻や南三陸町での子供支援を続けております。
 
 前回、ブログで報告した「台湾地震での台湾の教会の一致した支援活動」についてのセミナーにあるように、今後、私たち東北の震災支援も、一つ一つの支援グループや活動は小さくても、お互いに連携して、息の長い支援とじっくりと地域にキリスト者のよきわざを浸透させ、地域によき隣人としてのキリスト教的文化の伝染的な影響を広げる試みが大事であると思われます。それについては、10月28日のクリスチャン新聞掲載のオピニオンと「台湾地震に学ぶ『支援と宣教』」のセミナーレポートの記事をお読みいただければと思います。
 
 復興が遅れているとはいえ、仮設住宅から復興住宅への移行は時間の問題でしょう。その時に、どれだけ、隣人としての働きが浸透しているかが問われると思われます。
 
 
 
 
 
 
 

 

2012年10月2日火曜日

台湾台中大地震・・・その後の台湾キリスト教会

10月1日(月)、イザヤ58ネットが参加する「南三陸町を支えるキリスト者ネットワーク」主催による、あるセミナーが開催されました。それはポスターの画像にあるように「クリスチャンにできる一致と力」というテーマで、台湾台中大地震の時に、台湾のキリスト教会が教派の壁を越えて、一つの支援組織のもとで、被災地支援をした経験を通して「地域教会教会による支援と宣教」についての台湾のキリスト教界で、指導的役割を担っている「夏忠堅先生」をお招きして、台湾のキリスト教会が教派を超えて一致して支援活動をし、その後の宣教によって、台湾の宣教事情にどのような影響を与えたかについて聞き、南三陸町での各支援グループの協力、また宣教のあり方について考えるという主旨で、セミナーが開催されました。

台湾台中大地震と台湾キリスト教会

1999年9月21日1時45分(現地時間)ごろ、台湾中部南投県集集(チチ)付近を震源として発生したマグニチュード(M)7.7(アメリカ地質調査所による表面波マグニチュード)の大きな地震。現地では集集地震とよばれている。この地震により、死者2188名、全壊建物9878棟(同年10月1日6時00分現在、台湾内政部による)その他、大きな被害があった。その時、台湾のキリスト教会は、一致して救援活動を戦略的に行い、被災地では、支援する教会は自分たちの教会名で行うのではなく、支援活動をまとめるための組織「中華基督救助協会」という名のもとにボランティアたちが支援活動をしたそうです。
実は、台湾のキリスト教会の40年ほど前は、それぞれの教派が自分たちの立場を強くだす傾向があって、それは今の日本と変わらない状況であったようです。しかし、震災支援での一致した救援活動の下地は1990年代に、各教派が協力して「2000年運動」という一つの宣教協力の運動が起こり、その一つとして、台風などの災害時にボランティアをまとめる専任スタッフ一人の小さな委員会を設けたそうです。それが「中華基督教救助協会」でした。
 夏先生は、その200年運動の全体をまとめる責任者であったのですが、当初、災害救援などの組織を設けることは消極的であったそうです。
 また、台湾では災害というのは今の季節でおなじみの台風による洪水や土砂崩れなどで、地震などは想定していしていなかったそうです。しかし、救助協会ができてすぐ、台湾大地震が起きたのでした。救助協会はすぐボランティアを各教会に募り、被災地に送りだしました。
 その時、教会にはいくつかの約束をさせたそうです。第一には、支援グループはすべて「救助協会」の名を使う。個々のキリスト教会名は出さない。
第二は、支援活動の一年目は、ボランティアは自分がクリスチャンであることは言ってもいいが、福音を語らない。決心を促さない。二年目は、証しをしてもいい。三年目になったら、関心を持つ人に伝道をしてもいい。地域の文化、家庭の文化を尊重する。被災地での支援センターとなる場所では、礼拝などに使わない。そして、三年後に、支援してくれている教会に、支援センターに近い場所に教会を開設することを要請し、支援センターに来た被災者などの関係者に教会を紹介する。というものだそうです。


左側:夏先生、右側:通訳のインマヌエル総合伝道団の蔦田康毅先生
  震災前、台湾のキリスト教人口は、全国で3%であったそうですが、震災後、現在は5%で、中心都市の台北は人口の10%がクリスチャンであるそうです。
 そして、震災時に26カ所の支援センターがあったが、落ち着いた後、救助協会は、震災被害からシフトを変えて、独居生活をしている老人や貧困家庭の援助、共働きの家庭の子供支援などに活動を変えて、現在全国で80カ所以上の支援センターがあるそうです。
 セミナー期間中に、台湾に宣教師として奉仕していた日本人牧師から聞いた話ですが、現在、教派を超えた協力は、継続されて、驚いたことに、中には長老派の教会が献身者をホーリネスの神学校に送り、卒業後、その卒業生を長老派の教会の牧師として派遣していることもあるそうです。
 もちろん、台湾の地震と東日本大地震とを単純に比較はできません。面積的にも、被害規模も違います。しかし、夏先生が講演で盛んに強調していたことは、聖書的教会、初代の教会がどうであったのか、小さな教会であっても一致することによって地域に大きなインパクトを与えることができる。そのためには、私たちの持っている西欧的な宣教論ではなく、東洋人の宣教論に基づいて、
地域文化を対立的にとらえるだけでなく、理解も必要であるということが、参加者に多くの示唆を与えたと思います。
 今回、仙台周辺の牧師や支援グループ関係者など約50名ぐらいの参加者であったが、時間的に、どう協力していくかについては、十分話す時間がなかったのが残念であるが、今後の支援と宣教、さらに小さな教会が多い地方での震災に関わらず、地域に仕えていく教会のあり方、また共に協力する意味について洞察する機会が与えられたことは感謝でした。
 単に、被災地での活動にとどまらず、支援する教会の地域での宣教についても、イザヤ58としても、支援して下さる教会と共に、この経験を自分たちの地域での教会の役割というものを考えていきたいと願っております。