2012年6月26日火曜日

奇妙な静寂の中を・・・石巻大曲地区


石巻祈りの家訪問

6月25日
 私たちイザヤ58のチームは25日(月)から6名のメンバーで、石巻祈りの家の阿部さんのお宅を訪問しました。今回は3名の女性、男性3名という編成です。今回の目的は、いままで関わった石巻の復興の様子や今後の支援活動のための現地を見ることと、仮設の訪問が目的です。
 いつも、忙しい中で、私たちを歓迎し、また支援活動についての現況を丁寧な説明を阿部さんがしてくださりとても感謝です。また、阿部さんからいろいろな支援活動の情報を聴くことができ、今後のイザヤ58の支援の参考となる情報を得ることができました。
 今回、衝撃的なことは、石巻の被災地が、ほとんどきれいに整地され、ガレキが撤去されている地区がほとんどであることは、前回の訪問でも見ることができました。石巻の一望できる山の頂上にある後援から港や町を見ても、きれいに整地されています。
 しかし、今回、阿部さんに、大曲地区という東松島に隣接する地区案内されたに行った時、そこは、震災直後から二三ヶ月経過した時のままの光景がありました。そこは、かつては瀟洒(しょうしゃ)な住宅が建っていたと思われる住宅街であったようですが、津波の直撃を受けて、危険なガレキなどは撤去されてはいても、建てて間もないと一目でわかる家々が廃屋になっている光景です。見渡すかぎり見える家は、ゴーストタウンのような光景で、地面は、うっすらねずみ色になっています。海水による塩が地面に浮き出ているからです。
 聞こえるのは、私たちの話し声と、風の音、廃屋の垂れ下がった雨樋(あまい)が風に揺れてカタカタと音を立てている音しか聞こえません。鳥の鳴き声も聞こえません。音が吸い込まれていくようです。
 おそらく、その地区は、再び人が住めるような地区になれないのではと思われます。行政も廃屋を撤去したいようですが、持ち主の行方がわからず、手つかずのようです。
 石巻祈りの家の支援は、現在、パッチワークサークル、歌を歌う会などを教会関係者、被災者たちと持ち、被災者たちが話しをする場、また支援グループと協力して学習支援などをしております。
 今後の支援の大切なポイントとしては、定期的に確実に訪れて、地域や被災者たちと関わりを持つことであることを痛感しました。 
築まもない廃屋がつづく大曲地区


  

奇妙な静寂が支配する大曲地区

犠牲者のために献花されたであろう枯れた花束


2012年6月22日金曜日

南三陸町に「クリスチャンセンター」オープン!!

  宮城県南三陸町は、宮城県の北端、岩手県境に位置する漁業の町です。今回の震災で、町の約80%が消失してしまいました。現在町内の仮設住宅は58カ所、約5800人の方が住まい、さらに約2000人の方が、町の外での生活を余儀なくされています。町では、住宅のあった地域の高台移転を計画していることもあり、1年以上たった今でも、津波をかぶってしまった地域の復旧は全く進んでいませんでした。職場を失った方々も多く、町を離れる方も多く、人口は被災後1万7千人から1万1千人に激減しています。狭い仮設住宅には、年配の方や、震災の傷を抱える子どもも多く、将来に対する希望や先行きの見通しが立たず、年齢を問わず命を絶ってしまう方も少なくないようです。
そのような中で、イザヤ58ネットが支援協力している「南三陸キリスト者ネットワーク」では、
支援と宣教の拠点としてクリスチャンセンターを南三陸町志津川地区に開設し、その開所式が6月8日に開催されました。
センターは、高台の志津川高校のすぐ下にあり、志津川湾に向かって町が見下ろせる位置にあります。しかし、津波はそこをのみ込み、津波の引いた後、その周囲にも亡くなられた方が多数発見されたとのことでした。
「南三陸キリスト者ネットワーク」では、世話人の中澤竜生基督聖協団西仙台教会牧師、森谷正志 仙台バプテスト神学校長などが中心となって、震災直後の物資提供中心の「命をつなぐ」支援、さらに、心のケアや人間関係構築の「命を育む」支援、寄り添う支援を継続かつ誠実に果たしてきました。イザヤ58ネットもその働きに協力し、多くのボランティアが活動してきました。被災された方のニーズに応答するきめ細かな働きは、地元の方々との絆を深め、キリスト教会に対する信頼を深めてくれました。

クリスチャンセンター開設式
そのような中で、センター構想を聞いた地元のノンクリスチャンの方が、土地を無償で提供してくださるなど、多くの協力の中でクリスチャンセンターは実現したのです。
開所式では、森谷師は、これはゴールでなくスタートだ。クリスチャンはこの地になくてはならない存在。重要なのは愛する心であると説き、中澤氏は、これは被災者の方々の「力」の結果。私たちは、被災者の方々と共に心を合わせてこの町を盛り上げていこうと挨拶をしました。当日は地元の若者も多数出席し、近くの共同食堂「さんさカフェ」のスタッフの方々も全面的にサポートしてくれました。出席者は100名を超え、建物に入りきらず、センター前のデッキに、そして、外にまではみ出す実に賑やかな、楽しい開所式でした。
クリスチャンセンターは、この地域の被災者に寄り添い続ける支援活動の拠点です。また、誰もがいつでも来られる場所であり、聖書の話が聞けて、神様を礼拝し、子どもたちにも様々なプログラムを提供し、救いの喜びがわき上がる場所となることを目指している。中澤牧師は、「町には何にも負けることのない光が必要です。人々には永遠に輝き続ける光が必要です。町には教会が必要です。人々には教会が必要です」と説き、2年後には、この地域の国の緑地化計画に伴い、高台に新しい教会を建て移転するという。
クリスチャンセンターは、その名称を「愛・信望館」と名付けられました。この名称は、地元の人からの要望と期待を背負って名付けられたとのことです。
神様の恵みが確かにこの地にあることを覚えさせられました。神様のさらなる祝福とあわれみを願わずにはいられない。
                                                    (イザヤ58ネットワーク スタッフ 鈴木 真輔)

2012年6月15日金曜日

5月支援活動報告Ⅱ「お茶っこさぁ・・・来い」

仮設を訪問して  
今回、私たちは多くの仮設住宅を訪問することができました。山間の車が一台やっと通れるかという坂道を通り、山林を抜けたところに10戸から30戸くらいの仮設が少なくありません。
そのような中で、住民の方とお話を聞きます。そのようなお話の中には、今後の支援のあり方に対する方針について考えさせられる話しを聞くことがあります。
まず、仮設住宅の心ある住民の方が異口同音にいうことは「もう物資はいい。気をつけないと自立を妨げることになる」という声を聞きました。南三陸町に、救世軍などの援助で仮設の商店街ができました。地元の人たちが商業活動をすすめていくなかで、物資支援は、逆に地元の商業活動の妨げともなる部分も起きるわけです。
女川の福祉協議会の方との懇談でも、また南三陸町でも、聞かれることは、被災者たちの自立ということです。ある初めて訪問した仮設で私たちのチームの一員が聞いたことですが「支援物資を持ってきてくれるのはありがたいが、物資を置いていくだけで、自分たちの話を聞いてくれない」という声を聴きました。今後、大々的なイベントはどうしても大きな仮設住宅に集中してしまい、小さな仮設で、被災者たちとコンタクトをとることが少ないようです。イザヤ58としては、前からの方針で支援の届きにくい場所に必要なものを届けるということがありましたが、今後は、小さな仮設をこまめに定期的に訪問するようにしたいと考えております。大森地区には継続的に関わりを持ちながら、南三陸町の戸倉地区のいくつかの仮設に訪問を重ねたいと考えております。
お茶っこさぁ来いや
波伝谷仮設住宅を訪問しました。ここには自治会長さんの持っている土地(津波で波をかぶったところですが)を仮設の人たちの畑仕事を通して生活の張り合いをもってもらいたいという会長さんの願いで仙台SBSがアメリカからの支援チームによって、畑の開墾をしました。本当は、今回の支援では、そのチームの後を引き継ぎ、イザヤ58がする予定でしたが、アメリカのチームががんばって、開墾を終わらせていました。しかし、少しの作業があるということで波伝谷を訪問したところ、自治会長さんが不在でしたが、仮設で一人の男性の老人の方と話すことができました。最初、立ち話をしていたのですが、「オラの家さ来い、お茶っこさ来いや」と誘われました。初めて、仮設住宅の中にお邪魔することができました。そのお年寄りの方が、お茶を飲みながら、昔からある地域のコミニティーの集まりである”講”について話をしてくれました。
とても興味深い話だったのですが、東北弁の会話で、私には80%ぐらい、また会話に出てくる”講”のしくみについてわからず帰ってきました。
お年寄りから聞いた”講”について
支援から帰ってきて仙台SBSの森谷先生から、東北の地域で根付いている”講”について詳しく聞くことができました。
三陸地方には江戸時代から脈々と息づいている”講”という地域の相互扶助の集団のしくみ、また時代によっては行政組織の末端の役割を担っていたそうです。それは、子供から年寄りまで、この地域に住む人たちがかかわる、地域共同体で、それは地域の祭りや祖先供養など宗教的活動も含む集まりです。
まず、子供たちは、子供行事を通して子供の様々な活動を通して地域の子供の集団を形成します。青年は青年団に属し、地域の祭りなどの手伝いや、青年団活動など通して地域とのかかわりを強めます。結婚している男性は’契約講”に属します。地域の共同財産の管理(山林や漁業組合ができるまでは、漁業権の管理、船の共同使用)、祭りの実行などにかかわります。
女性は結婚すると、観音講に入ります。男性は、自分の子供が結婚すると契約講を出て、今度は”六親講”という講に入ります。六親講は、冠婚葬祭の差配や、村全体の秩序を守る長老として存在します。
女性は、自分の子供が結婚すると今度は”念仏講”に入ります。年代と家督によって属する集団が違います。男女ともに孫が結婚してはじめて、これらの集団から離れます。
わかりやすく年代の集団の流れを示すと以下のようになります。
男性:子供行事→青年団<結婚>→契約講→(子供の結婚)→六親講→(孫の結婚)
→講から離れる
女性:子供行事→青年団<結婚>→観音講→(子供の結婚)→念仏講→(孫の結婚)
→講から離れる

これらの集団構成は、ある意味、個人が常に地域の共同体に組み込まれ、それは宗教行事ともかかわっている面があり、昔はこの秩序を乱す者を、この”講”が制裁を加える制度が存在していて、戦前に禁止を通達されたという”村八分”などもそれにあったようです。
これらは必ずしも、否定的な側面ばかりではありません。東北という地域での相互扶助作用がこれらの集団活動を通してあったわけです。しかし、今回の震災は、それらの伝統的コミニティーが壊れ始めている面があります。弱者(年寄り、子供)の相互扶助作用が働かなくなっている部分が大きな問題になると思われます。
キリスト教の伝道を考えるとき、これらの昔からある地域のコミニティー文化を無視していくと、かえって地域の摩擦をおこし、キリスト教に対しての反発も考えられます。欧米の宣教師たちからもたらされた、従来の宣教神学をとらえなおし、文化の理解と、地域宣教をどう取り組むか、あるいは聖書的コミニティーをどう伝えるかが、支援と宣教を考えるうえで大切だと思われます。
そしてそのような宣教のとらえなおしは、東北の被災地域だけでなく、私たちの足元の宣教にも深くかかわる福音の文化脈化の大切なテーマとなるのではないでしょうか。

いまだにこのような景色が続く南三陸町の中心