2012年6月15日金曜日

5月支援活動報告Ⅱ「お茶っこさぁ・・・来い」

仮設を訪問して  
今回、私たちは多くの仮設住宅を訪問することができました。山間の車が一台やっと通れるかという坂道を通り、山林を抜けたところに10戸から30戸くらいの仮設が少なくありません。
そのような中で、住民の方とお話を聞きます。そのようなお話の中には、今後の支援のあり方に対する方針について考えさせられる話しを聞くことがあります。
まず、仮設住宅の心ある住民の方が異口同音にいうことは「もう物資はいい。気をつけないと自立を妨げることになる」という声を聞きました。南三陸町に、救世軍などの援助で仮設の商店街ができました。地元の人たちが商業活動をすすめていくなかで、物資支援は、逆に地元の商業活動の妨げともなる部分も起きるわけです。
女川の福祉協議会の方との懇談でも、また南三陸町でも、聞かれることは、被災者たちの自立ということです。ある初めて訪問した仮設で私たちのチームの一員が聞いたことですが「支援物資を持ってきてくれるのはありがたいが、物資を置いていくだけで、自分たちの話を聞いてくれない」という声を聴きました。今後、大々的なイベントはどうしても大きな仮設住宅に集中してしまい、小さな仮設で、被災者たちとコンタクトをとることが少ないようです。イザヤ58としては、前からの方針で支援の届きにくい場所に必要なものを届けるということがありましたが、今後は、小さな仮設をこまめに定期的に訪問するようにしたいと考えております。大森地区には継続的に関わりを持ちながら、南三陸町の戸倉地区のいくつかの仮設に訪問を重ねたいと考えております。
お茶っこさぁ来いや
波伝谷仮設住宅を訪問しました。ここには自治会長さんの持っている土地(津波で波をかぶったところですが)を仮設の人たちの畑仕事を通して生活の張り合いをもってもらいたいという会長さんの願いで仙台SBSがアメリカからの支援チームによって、畑の開墾をしました。本当は、今回の支援では、そのチームの後を引き継ぎ、イザヤ58がする予定でしたが、アメリカのチームががんばって、開墾を終わらせていました。しかし、少しの作業があるということで波伝谷を訪問したところ、自治会長さんが不在でしたが、仮設で一人の男性の老人の方と話すことができました。最初、立ち話をしていたのですが、「オラの家さ来い、お茶っこさ来いや」と誘われました。初めて、仮設住宅の中にお邪魔することができました。そのお年寄りの方が、お茶を飲みながら、昔からある地域のコミニティーの集まりである”講”について話をしてくれました。
とても興味深い話だったのですが、東北弁の会話で、私には80%ぐらい、また会話に出てくる”講”のしくみについてわからず帰ってきました。
お年寄りから聞いた”講”について
支援から帰ってきて仙台SBSの森谷先生から、東北の地域で根付いている”講”について詳しく聞くことができました。
三陸地方には江戸時代から脈々と息づいている”講”という地域の相互扶助の集団のしくみ、また時代によっては行政組織の末端の役割を担っていたそうです。それは、子供から年寄りまで、この地域に住む人たちがかかわる、地域共同体で、それは地域の祭りや祖先供養など宗教的活動も含む集まりです。
まず、子供たちは、子供行事を通して子供の様々な活動を通して地域の子供の集団を形成します。青年は青年団に属し、地域の祭りなどの手伝いや、青年団活動など通して地域とのかかわりを強めます。結婚している男性は’契約講”に属します。地域の共同財産の管理(山林や漁業組合ができるまでは、漁業権の管理、船の共同使用)、祭りの実行などにかかわります。
女性は結婚すると、観音講に入ります。男性は、自分の子供が結婚すると契約講を出て、今度は”六親講”という講に入ります。六親講は、冠婚葬祭の差配や、村全体の秩序を守る長老として存在します。
女性は、自分の子供が結婚すると今度は”念仏講”に入ります。年代と家督によって属する集団が違います。男女ともに孫が結婚してはじめて、これらの集団から離れます。
わかりやすく年代の集団の流れを示すと以下のようになります。
男性:子供行事→青年団<結婚>→契約講→(子供の結婚)→六親講→(孫の結婚)
→講から離れる
女性:子供行事→青年団<結婚>→観音講→(子供の結婚)→念仏講→(孫の結婚)
→講から離れる

これらの集団構成は、ある意味、個人が常に地域の共同体に組み込まれ、それは宗教行事ともかかわっている面があり、昔はこの秩序を乱す者を、この”講”が制裁を加える制度が存在していて、戦前に禁止を通達されたという”村八分”などもそれにあったようです。
これらは必ずしも、否定的な側面ばかりではありません。東北という地域での相互扶助作用がこれらの集団活動を通してあったわけです。しかし、今回の震災は、それらの伝統的コミニティーが壊れ始めている面があります。弱者(年寄り、子供)の相互扶助作用が働かなくなっている部分が大きな問題になると思われます。
キリスト教の伝道を考えるとき、これらの昔からある地域のコミニティー文化を無視していくと、かえって地域の摩擦をおこし、キリスト教に対しての反発も考えられます。欧米の宣教師たちからもたらされた、従来の宣教神学をとらえなおし、文化の理解と、地域宣教をどう取り組むか、あるいは聖書的コミニティーをどう伝えるかが、支援と宣教を考えるうえで大切だと思われます。
そしてそのような宣教のとらえなおしは、東北の被災地域だけでなく、私たちの足元の宣教にも深くかかわる福音の文化脈化の大切なテーマとなるのではないでしょうか。

いまだにこのような景色が続く南三陸町の中心









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