2011年5月10日火曜日

第二次派遣と第一次現地報告

5月16日(月)から19日(木)に第二次支援ボランティアチームが派遣されます。今回は、今市グループと群馬、栃木グループの二箇所から仙台を拠点に、石巻のルーテル同胞教団の宣教師が支援している活動に合流します。今回は、重機の扱いができる方も加わって心強いチームです。
第三次派遣は、6月13日ごろ予定しています。
今回は、第一次支援活動の報告を掲載します。

現地報告

現地の視察を通して感じたこと 中川信嗣
4月20-21日に現地調査及び現地でのボランティアのために、イザヤ58ネットの3名で東松島市に行って参りました。その時の様子について5つのことをご報告いたします。
第一は「静」。風光明美で名高い観光地を抜けるとそこは別世界でした。まず感じたことは「不気味な静けさ」でした。その不気味さとは、生活の息づかいが聞こえない静けさでした。それは、心を締め付けるような、あるいは悲しみの中に引きずり込むような静けさでした。
第二は「絆」。私たちが、片付けの手伝をさせていただきましたお宅は、退職したご夫妻が、海辺を見ながら余生を過ごしたいという願いで建てられた、海を間近に望む場所にありました。しかし今、奥様は避難生活をされ、ご主人がその家に戻ることは二度とありません。親族の方々が来て、何かを確かめるかのように、母屋をのぞき、何かを思い起こそうと庭を踏みしめながら歩んでおられました。どんなことを思い、また何を自分たちに言い聞かせているのか。改めて家族の絆を見ました。
第三は「重」。今回のボランティアを通して改めて感じたことは、九五年の阪神・淡路大震災の時と違って、ヘドロの除去という作業が行く手を阻んでいることでした。家の下にまで入ってしまった重いヘドロを除去しなければ、建物が残っていても住めない。そのためにはどれほどの費用がかかるのか。そんな家族のつぶやきを聞いた時、残されたものにとっての辛い現実をみたような気がしました。
第四が「命」。被災地は痛いほどの悲しみや絶望にあふれていました。しかし、ヘドロをすくいあげると、そこには虫の幼虫が、その庭の中には、美しい梅の木が、そして、仙台の宿泊所で、朝の到来を告げたのは、ウズイスのさえずりでした。希望を感じさせるいのちの足音でした  
第五は「援」。私が、出掛けることを誰よりも心配したのが妻でした。余震も続く中で、家族のことが気にならないわけではありません。そんな中、あるボランティアの方に起きた一つの出来事にハッとしました。その方の家族にちょっとした問題が起きたという連絡が入りました。すぐに近所に住んでいる教会員の方に自宅に行ってもらい、事なきを得ました。この出来事は、もう一度、現地に行くボランティアばかりでなく、ボランティアを送りだすために周りの支援が必要なことを思わされました。一人一人のボランティアのあり方があり、それを考えていきたいと思います。
最後に、その家の片付けを終えて、少し先の地区に入りました。そこは、規制が解除されたばかりの場所でした。そこには、今なお、言葉で表すことができない状況が残されたままでした。その現実を目の前にして、改めて復興のために「息の長い関わり」の必要を思わされました。引き続き、イザヤ58ネットの働きを通して、私たちにできることをさせていただきたく思います(この原稿は、アサパル大泉第328号に掲載させていただきましたものの一部変更して掲載いたしました)。

2 件のコメント:

  1. はじめまして。
    尾島キリスト教会の者です(匿名で失礼します)
    尾島キリスト教会での復興支援チャリティーコンサートで
    現地の状況報告をお話いただけるとのこと、ありがとうございます。祈りつつ心待ちにしております。
    ブログでこちらのサイトのリンクを貼らせていただきました。
    事後報告で申し訳ありませんが、よろしくお願いします。
    ブログはこちらです
    http://fukuinnnokisya.seesaa.net/

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  2. コメントありがとうございます。
    まだまだ手探りですが、とにかくFDKでは初めてのことです。この運動が息長く続けれればと願っています。

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