2012年3月26日月曜日

突然の訪問者

桜の花の開花を待ち遠しくしている方が多いと思いますが、いつもイザヤ58ネットのご支援、お祈りをしていただいていることを感謝します。東北の桜の開花はいつごろになるでしょうか。
 第七次の支援も終わり、ホットしているところですが、次の支援のついての検討をしております。今回の支援は、南三陸町が中心でしたが、私たちは石巻の祈りの家の働きも絶えず支援の関心を持ち続けていきたいと思います。
 今回は、祈りの家への訪問と、現在の石巻の状況について、お話を伺いました。引き続いて祈りの家は、必要な所に物資も支援しておりますが、新しい支援の段階で、ファミリーフォーカスの宣教師ご夫妻が協力して祈りの家の近くの仮設住宅の婦人たちへのパッチワーク、キルトの制作サークルをつくり仮設住宅の方々の支援、また子どもたちへの学習支援を通して、被災者たちの心に対する支援活動を始めております。
被災者のストレスのステージの段階は変わる
 震災の支援活動に関わってわかることは、被災者たちのストレスは、その支援の段階が進むことによって変わります、また逆の言い方をすれば、彼らのストレスの段階が変わっていく中で、支援のあり方を変えないといけないことです。
 当初は、とにかくサバイバルのためのストレスが極度に頂点に達していました。一瞬に家族を失なったり、住む場所を失っなって、着の身着のまま避難し、水もなく、食べるものもなく、暖を取るのもままならないといった状態でした。そのような人への支援は衣類、食料、暖房備品などでした。やがて、避難所に一通りの物資が行き渡ると、被災者たちのストレスの段階が変わります。それは避難所での生活での窮屈さや避難所からプライバシーが確保できる住居となります。そして仮設住宅の生活となります。仮設住宅での支援は物資の支援と同時に、避難生活からのストレスを和らげる活動、イベント企画や傾聴活動なども加わります。
 また住宅の一部などが損壊している在宅被災者などのストレスは、地域コミニティーが壊れてしまったことから、物資の支援が届かなかったり、壊れた家屋の修理などの作業などからの疲れなどが心身のストレスから始まりました。そして、その後に来るのが、将来への不安(仕事、地域コミニティーの崩壊から来る不安)へのストレスです。
 時間が経つにつれて、物資の不足から来るストレスは和らげられるでしょう。しかし、将来への不安、漫然と仮設で暮らすことへのストレスへの対処が求められます。
 そのような中で、人が一緒に集まり、おしゃべりしながらキルトを作ることを通して、日常生活にはりをつくっていく支援は、大変有意義なことと思います。
地域コミニティーの再建
 大森地区に訪問し、地元に人との交流で、わかったことは、地区の公民館が津波で流され、地域の人が集まる場が亡くなったり、地区にあった班が、被災でバラバラになって、班として成り立たなくなったりして、それまでの相互扶助や交流のコミニティーが壊れてしまっていることです。
 震災前、地区には、いろいろなサークルや催し物が公民館でありました。特にお年寄りの方などの生活の張り合いとなっている場が失われてしまっていることです。
 前回も、そうですが仙台SBSのM先生が支援の一つの目的は、そのような地域の壊れてしまったコミニティーの再建に、支援を通してお役に立てないかということがあり、イザヤ58も物資支援や交流などにお手伝いをしています。しかしそのためには、物資支援がコミニティーを壊す原因とならないように最大限の配慮をしております。
 石巻の祈りの家では、支援と地域との関係作りが非常にうまくいっている方法を用いています。その関係でキルト制作の交わりの場を提供しています。今のキルトづくりの課題は、電動ミシンが足りないことだそうです。
私たちと地元の関係づくり
 大森地区、波伝谷地区も何回か訪問させていただき、お茶を飲んだりして、いろいろなお話をしております。一緒に笑い、お互いに耳を傾け、そのような関係の中で、私自身が教えられていることがいくつかあります。
  • 支援と伝道を決して取引のようにしてはいけない。支援をするということは、一歩間違えると人と人の関係を優越的な立場からの援助という無意識な意識が働いてしまう危険があります。私たちキリスト者は、福音を信じることはその人の真の幸せを得ることであると信じておりますが、相手の尊厳を最大限配慮をしていく必要があります。
  • 地域全体に、時間をかけてキリスト教に対して、その存在を認めてもらう段階を忘れてはないらないでしょう。
  • 相手の尊厳の中には、長い間培ってきた習俗一体となった信仰心にも、一定の理解を示すことが大事です。東北の海岸部の地域には「龍神信仰」があります。今回の支援活動で言われ印象的なことは「キリストさんにすごく助けられた。キリストさんが好きになった。でも、龍神さまも好きなんだよね」という言葉です。そういう素朴な心をまず受けとめていくことが大事であると思います。地元の文化、考え方を理解していきましょう。
突然の来訪者 
 実は、このブログは3月25日(日)の夜に書いておりました。25日にとってもびっくりすることが
私たちの教会でありました。日曜の礼拝が終わり、午後3時頃、教会員の二人の方と教会の午後の奉仕も終わり、一息ついてお茶を飲んでいたとき、一人の30代の男性が訪れました。「こんにちは・・・あの~、私、南三陸町の者なんですけど・・・」と遠慮がちにドアをあけて入ってきました。
最初、意味がわからずキョトンとしていたら、以前にブログで紹介した、ご両親が南三陸町の大森地区に住んでいて、母から「キリストさんに助けられた」ということを聞き、いろいろ調べて、私たちイザヤ58の連絡先を調べてハガキをいただいたSさんでした。実は今回の大森地区に支援に行った時、地元の人に、「この中で、シンガポールにお仕事でいっている方のご親戚や家族がおられますか」と聞いたところ「自分の親戚にいる。先週休暇で帰ってきたらしい」と教えていただきました。
その方にハガキをいただいたお礼をお伝え下さいと言ったばかりでした。
 そのSさんが、お礼に訪ねてきてくださったのです。わざわざ横浜まで来て下さり会いに来て下さったことに、本当にビックリと恐縮したしだいです。お茶を飲みながら町のことや、ご家族のことを話すことができました。
「明日、シンガポールに戻ります・・」と言ってお別れしましたが、メールアドレスを交換して、今後の交わりに期待したいと思います。
 別れ際、南三陸町の地元の写真愛好家が撮影した、被災前の南三陸町の景色や生活風景、そして震災後の変わり果てた町の様子を撮影した様子と、東北の震災に対する思いを詩にした本をいただきました。
 その本には、南三陸町の震災前の美しい海岸、町並み、住む人たちの生活の様子が映された写真が何枚もありました。私自身は、荒涼とした震災後の町の姿しか知らなかったのですが「こんな、素朴なきれいな町だったんだ・・・」と、そこに住んでいた人たちが、今の町を見る時の無念さを思うと、こみ上げるものがありました。
 できたら、その南三陸町の写真家に連絡をとり、その美しい町の風景の写真をブログでぜひ紹介したいと思いました。そこには、日本のわすれかけた美しい素朴な地方の町の原風景が見える気がします。

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