2012年11月24日土曜日

あれから何回目のクリスマスかな?

もうすぐクリスマスです。このような中、イザヤ58ネットの群馬の教会のボランティアチームが東松島、石巻へ地元の教会の支援プログラムの応援にいっております。あいにくの寒い天候の中でがんばっております。
派遣チームから途中報告がありましたので以下に掲載します。
お祈り,ありがとうございます。
11次派遣の1日目、お陰さまでコンサートにて仕えることができました。
石巻市の上釜会館においてのコンサートは、50人弱が来訪するなど大盛況でした。
カール兄の司会にて、子供手遊びに始まり、賛美歌・クリスマスソング等10曲を中心に
イントロクイズや自己紹介を折り込んで進められました。
イントロクイズや「ふるさと」の合唱など、全員参加のプログラムは特に喜ばれていました。
コンサートに引き続けての交わりでは、「集まれることが非常にうれしい」、「知り合いも増えるし、何より楽しい」など、沢山のお礼の言葉をいただけました。
電気もない、WCも使えない所でコンサートができたのは、ベンソン先生ご夫妻の大きな支えがあったからです。発電機をはじめ、スポットライト、ファンヒーター、灯油など、言葉では言い尽くせません。岩手や埼玉からのベンソン先生応援スタッフ者も明るく・気配り上手で、助けられました。
以上(後方支援に感謝しつつ、ご一報まで)
11次派遣チーム(7名)



先日、あるセミナーの学びのため仙台に行きました。仙台の駅前は、表面的には震災の様子をとどめるものはありません。いつものような東北の中心都市としてのにぎやかさが目につきます。
震災直後、被災地では、がれきと津波の傷跡が歴然として、震災の衝撃は目に見えて圧倒していました。しかし、いくつかのことを支援地に行くごとに感じます。

当初は、ガレキの中で、被災者たちが避難所生活をしている様子が当然目につくわけです。ですから、被災者たちの気持ちや、現実の目に見える生活を伝えやすい部分がありました。

今、震災があって2回目のクリスマスを迎える中で、被災地の様子は、なかなか写真以外のものが伝えにくい部分があります。

第一に伝えにくいものは、復興の速度が時間の経過の割には遅いために、遅々としてすすんでいない現実です。ガレキや津波で破壊されたビルがそのままであった時から、それが片付いて、更地になっています。小学校や公共施設にいた被災者たちは仮設に移ったりしていきました。しかし、今年の春以降は、更地になったままの景色は変わりません。被災地に行って撮影する写真も、前と同じ景色です。また仮設住宅に入った方の生活は、入った当初と今も変わりません。復興のゴールというものが被災地の人たち、支援関係者も見えないというのが現実です。仮設での生活も、私たち震災被害のないところでくらしている者が見ると過酷です。ある仮設住宅の女性の自治会長さんは、お舅さんの介護ベットが狭い部屋の中にあり、その横のわずかなスペースの床に布団を敷いて膝をかがめて寝ております。大の字になって寝ていた時がなつかしいと言っておりました。また。受験期の子どもたちは、自分の勉強するスペースもない状態です。もう物資の支援ではなく、心のケアーだ、魂の救いだ、伝道だと強調するキリスト教団体もあります。それも大事です。確かに醤油や味噌や米は手に入るようになっています。でも被災者たちの側の、お米や味噌や醤油を買うわずかなお金も節約して、先の見えない将来に備えたい思いは支援の側にはなかなか見えにくいのです。

ある時、南三陸町を支えるキリスト者ネットワークでリーダーとして東奔西走している先生からメールをいただきました。「先生、南三陸町の被災者たちを助けてください」というものです。先生がイザヤ58ネットに要請したことは、仮設住宅の集会所に備えてあるお茶やコーヒー、また一緒に集会所で集会所で被災者たちが集まり食事をする時の調味料類を定期的に補充する支援をしたいとのことでした。普通の生活の中でしたら、町内会の集会所の共有している消費物の購入ぐらいは、町内会費や自治会費で、住民が負担するのが当たり前だろうと思います。しかし、500円も支出を惜しむ仮設住宅の人たちの中で、そういう気持ちがよくわかる自治会長さんたちが徴収のため頭を下げながら集めている姿があるのだそうです。そういう姿は私たちには見えません。

第二に、被災地域でも地域の意識の差が出てきている現実はなかなか見えないところです。一口に被災地域といっても、先ほど仙台の駅前は、震災の影響を表面的には感じさせません。しかし、石巻や東松島などの沿岸部は違います。未だにゴーストタウンのように持ち主のわからない壊れた家屋がある地域もあります。
南三陸町の高台にある住宅地域は普通の町なみです。震災直後は、そこに避難所がありましたが、今は普通の住宅地域となっています。しかし、一歩、坂道をおりると家一軒ない更地です。当然、同じ被災地と言っても住民の意識や感覚に地域差があることは私たちにわかりづらいところがあります。

そのような中で、私たちキリスト者の支援と宣教はどうしたらいいのか。私たち自身も、目に見えにくい地面の下にあるような被災地の現実に、キリスト者のよきわざとしての活動が、その目に見えない現実にじっくりと、そして確実に浸透していく働きが求められていると思います。
その地域の目に見えない現実、意識、地域文化に、乾いた大地に水が一見ゆっくりとではあっても、じわじわと浸透していくように、地域社会に支援を通してキリスト者の伝染的な影響を浸透させていく教会(permeate church)の形成が大事ではないでしょうか。
 


 
 

 
 

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