2011年8月8日月曜日

7月ボランティア派遣報告

第三次全体報告
 今回の支援活動の大きなものは、南三陸の被災者たちとの、バーベキュー大会を実施したことです。
これは、単に支援チームと被災地の方々との交流ということ以上に、地元の地区の中心的な方たちが、願ったことでもあります。この地区は、津波で全壊した家などがある地域でないのですが、そのためかえって支援物資が行き渡らず困窮していた所でした。十分な支援を受けない中で、地元の人たちとの間もギスギスした雰囲気がでて、何とか昔の和気あいあいとした地域に戻したいという願いで、地域同士の人たちの懇親と
少しでも明るいことをと願ってのことでした。
 また、石巻での復旧活動もお手伝いをすることができました。一方、南三陸に行ったチームは、行政の人や避難所の人たちとの情報交換をしてきました。
今、被災地での今後の課題は、自殺者がでるのではという不安があり、そのケアを行政も避難所のリーダーも心配していることです。
現実には、支援の40%は、支援団体の支援に頼っているのが現状です。また、町としての機能が完全に壊滅しているため、人々が集まる場所もないのが現状です。
 南三陸の一番大きな避難所である志津川高校の避難所も8月一杯で閉鎖となるそうです。
 一方、石巻では、津波の跡は海岸部では、まだ傷跡がなまなましく残っており、復旧活動もまだまだ続けなければならない状態です。
イザヤ58ネットでは、9月5日~8日の第四次派遣のボランティアを募集しております。

活動報告
25日
13名が3台の車に分かれて、午前9時半頃に足利を出発。途中、那須高原SAや安達太良SAなどで合流することもありましたが、基本的にそれぞれのチームで昼食をとり仙台へ。
午後2時過ぎに仙台バプテスト神学校へ到着。午後3時より打ち合わせ、特に次の日のバーベキューの買い出しや期間中の流れを確認した。
午後4時より、バーベキューの材料の買い出し班と、バーベキューの道具の準備班、食事班に分かれて活動。
午後6時より夕食。自己紹介を兼ねて仙台SBSのM先生ご夫妻を交えての歓談。M先生ご夫妻とは四日間食事を共にすることができた。夕食後7時より、材料(玉ねぎ)や物資(ネギ)の下準備、片付け。午後8時より、バーベキューの担当やチームの活動の確認の打ち合わせ。
26日
食事担当責任者のY姉を中心にお弁当の準備。午前7時よりディボーション。マタイ24章1-14節がO師より開かれる。朝食を終えて、午前8時より野菜切り、おにぎり、出し物の練習等、それぞれの役割を果たす。カンバーランド希望の丘のO姉がチームに加わる。荷物を積み込み、午前11時に南三陸へ出発。蔵王バプテスト教会のT師加わる。 ホテル観洋に、午後1時に到着し昼食。午後2時に、3名のメンバーがT師たちとともに旭が丘へ。残りのメンバーは森谷師ご夫妻とともに、大森地区へ。コンサートの会場づくり、屋根づくり、バーベキューの準備など、それぞれが役割を果たしつつ、大森の方々や他のボランティア団体との交わり。
午後4時よりバーベキュースタート。100名程度の方々が参加。K兄の手品や賛美、小澤師の賛美と解説に続いて、韓国からいらしたゴスペルデュオ「宝を入れた土の器」のコンサートが行われる。数名の子どもたちと遊ぶ。午後7時に終了。午後9時に仙台バプテスト神学校に到着。簡単な打ち合わせを行う。
27日
お弁当の準備。6時半よりディボーション。詩篇90:16-17節がM.N姉より開かれる。朝食後、石巻チーム10名は、7時20分に出発。9時半に石巻へ到着。ルーテル同胞のベンソン宣教師と阿部一さんと合流。また、前日に続きT師、A兄、またY兄、S姉が加わり「畑のヘドロかき」と「土に混じった携帯のパーツ除去」、「雑草等の片付け」の三班に分かれて活動。午後12半より昼食。途中、第一次派遣(5月)の際にお世話になった中川さんと再会。午後1時半より活動を再開。午後3時半に片付けを始めて、午後4時に帰途につく。帰りに、視察の時(4月)に関わったT師のご実家及び野蒜地区や東松島の現状を視察。午後7時仙台到着。外食先で、チームのメンバーの証を交換し合う。
南三陸チーム3名はM先生ご夫妻は南三陸へ。現地でカール兄の賛美と手品や「宝を入れた土の器」のコンサートが行われるが、途中雨で中断する。働きを終えて、仙台で外食。両チームがそろったところで、午後9時半より全体ミーティングを行う。
28日
お弁当の準備。午前6時より掃除や帰りの準備。6時半よりディボーション。第一ペテロ4章7-11節がカール兄より開かれる。朝食をとり、帰りの荷物を積んで7時20分に石巻チーム11名が出発。9時30分到着。現地で4名の外国人ボランティアと1名の日本人ボランティアが加わり、前日に続き、「畑のヘドロかき」と「土に混じった携帯のパーツ除去」、「建物内の片付け」の三班に分かれて活動。午後12時半より昼食。午後2時、横浜のカンバーランドから来たM姉と別れて、足利に向けて出発。午後7時足利に到着。
南三陸チームの3名は午前8時半に出発。10時40分に到着。避難所のリーダーから様々なことを教えられる。また被災地の現実の姿や課題を目の当たりにする。12時30分に出発。他のチームと同じく午後7時に到着。
ボタンティア参加者の報告
 回初めて参加させていただきました。最初から舞いあがっていて周りに迷惑をかけていたことが多かったと思います。実際に被災地に行ってみて、テレビの映像で見ていたものが、3Dの立体に広がり、声も出ない気持ちになりました。このことは、自分の中で一生忘れられない経験になったと思います。神様がなぜ、このような悲惨なことをなさったのか、私には理解できないが一生の祈りの課題として、少しでも神様の声を聞くことができるようにしていければと思っています(大間々T.Y兄)

 今回の派遣に加わることができたことを感謝しています。少しでも人の役に立つことができたとすれば、本当に幸いなことだと思います。教会の礼拝や祈り会での祈り、一人一人の祈り、みことば、現地のキリスト者の働き、教団や牧師の働き、物資支援集めなど、主にあるいろいろな働きがお互いに影響し合い強め合って、様々な形で隣人を助ける働きとなっているのだと思います。キリスト教界では、被災地域へと進出する動きがあると教わりました。困難の中にある人に対して具体的に支援をしながら、みことばを宣べ伝えようということなのだと思います。炭鉱労働者の救いのためのマイナーズミッションという働きがあると聞いたことがありますが、状況が少し似ているように感じました。M師が話されていた「宿題」を記しておきたいと思います。津波の被害にあった場所では、体の比較的弱い方や不自由な人が生き延びて、比較的健康な人が被害にあう、というケースがあったそうです。その理由は、健康な人が不自由な人を安全な区域へ連れて行き、また危険区域に入って行って別な人を連れ出す、そのことを繰り返しているうちに津波の被害にあってしまったからだそうです。それはなぜか、それで本当に良いのか考えてみてください、という内容だったと思います。(本庄M.Y兄)

今回のボランティア活動を終えて、四日間を通して,被災された人たちのお役に立ててうれしかったです。いくつかのプログラムも楽しく出来ました。南三陸や石巻は崩れなども沢山ありましたが、被害を受けた人たちのため、沢山の人たちで助け合いました。僕はバーベキューの手伝いや力仕事の手伝いなどを行いました。バーベキューの仕事が大変でしたが、仕込みなども自分でいろいろやって、みなさんの笑顔をみることが出来て良かったです。途中、少し疲れたけれどとても良い体験が出来たと思います。石巻では畑の中の作業を行いましたが、泥が大変で、土の埃が一杯あって辛かったです。掘るのにも非常に大変でしたが、少しはみなさんの力になれたらと思いがんばりました。この四日間のボランティア活動を振り返ってよい体験が出来ました。(太田Y.K兄)

「南三陸町の皆さんの笑顔」
 今回のボランティアで印象に残っているのは、南三陸町の方々とバーベキュー&ミニ・コンサートの時を持ったことです。出発前に「ウクレレ持って来て下さい」と声をかけて頂き、打ち合わせとして童謡の演奏をすることになっていました。正直いいますと現地の人々の状況が分からず、どんなことを話し、どんな顔をしてウクレレを弾けばいいのだろうかと心配もありました。ところが南三陸町の方々は私たちボランティア一行を温かく受け入れて下さり、笑顔で迎えて下さいました。コンサートも前日になって韓国からプロフェッショナルのゴスペル夫妻デュオが参加してくださることになりました。その前座として、K兄がギターを弾き、歌うとともに手品を披露しました。その後、前座パート2が私でカールが場を和ませていたことで意を新たにし、ウクレレ漫談をしました。讃美歌と童謡について話し、讃美歌「まもなくかなたの」が俗謡「タンタンたぬき」を生みだしたエピソードを語りました。誰もが知っている童謡「ふるさと」を弾くと皆さん声を合わせて下さいました。言うまでもなく、その後のゴスペルデュオのコンサートは素晴らしく圧巻でした。歌と演奏の素晴らしさだけでなく、クリスチャンとしての証にあふれていました。その間、少し離れた所で、バーベキューがイザヤ58ネットのメンバーによって用意され、焼きあげられました。メンバーの一人一人が奉仕に徹し、焼きあがったバーベキューのおいしかったこと。余韻を感じるおいしいバーベキューでした。コンサートの感動とバーベキューの味わいに南三陸町の人々が見せて下さった笑顔がこちらのメンバー一人一人を笑顔にしてくれました。この関わり、交わりが長く続けられますように。心から思いました。(熊谷K.O牧師)

 私は日系二世でアルゼンチンに生まれました。生まれて初めてボランティアに参加して、一人一人の交わりがありました。テレビの映像と、実際に自分がここにきて目にしたものが違っていることを感じました。ボランティアは、からだの仕事もありますが、違ういろいろなボランティアもあるし、また交わりもあります。色々な教会の人々も参加しているので様々な話を聞くことができるのも良かったです(太田T.H兄)

無事に任務を終える事ができてほっとしています(足利T.Y牧師)

 自分は学生であらゆる面で経験が浅く、資格なども持っていないので、自分に役に立てる場があるかどうか不安でした。けれども、それぞれのメンバーにそのメンバーの個性に応じた役職が割り当てられ、学生の自分にも適切な働き場がありました。今回の働きは現地の人々に安らぎや癒しをもたらすということがメインであったように感じました。特に二日目のバーベキューは震災で心身が疲れ切っているであろう現地の人々に安らぎを与えられるような良い働きであったと思います。現地の人々からの感謝の言葉はとてもうれしく感じました。自分は今まで行いのない信仰に悩んでいましたが、聖書の言葉をもとにしている今回のボランティア活動は、行いを持った信仰の第一歩を踏み出せたように思います。また実際に被災地を見る事が出来たことで今回の地震に対してより深い関心を持って「自分に何ができるか」を考えていくことができると思います。今後もこうした活動は続いていく必要があると強く感じました。(小山K.D)

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