2014年5月26日月曜日

「宣証」とは何でないか

 休暇の佐渡の妻の実家でブログアップの原稿を書きました。ちょっと忙しかったのでしばらく間が空いてしまいました。けっこう、教団以外の先生方や宣教団体の方々が読んでくださっている方がいて感謝です。

 さて昨年、南三陸の支援に関わる仙台SBS(仙台バプテスト神学校森谷師)、かけ橋(聖協団、中澤師)、子供支援ネットSOLA(バプテスト教会連合国分寺バプテスト教会、米内師)、南三陸町を支えるキリスト者ネットワーク(聖協団目黒教会、横山師)、聖協団清瀬教会(菅谷氏)の諸先生と共に、従来の福音宣教の考え方と違う切り口で被災地の宣教を考える宣証ネットワーク、YSP21がスタートしました。
そして、小さいものでありますが、昨年のローザンヌ日本員会宣教シンポジウム、JEA総会シンポジウム、第三回東日本大震災国際神学シンポジウムの分科会で鈴木が理解する宣証について講演させていただきました。

 最近、リバイバルを強調する超教派グループのニュースレターが送られてきました。代表的な先生が巻頭メッセージの中で「宣証」という言葉を使ってメッセージが記されていました。JEAや国際神学シンポジウムで「宣証」という言葉をあえて使用させていただきましたが、接点のないリバイバル系のニュースレターに登場したことには、多少の面映ゆさを感じました。「え、この先生まで使い始めたの?」というのが率直な感想でした。

 しかし、その先生のメッセージを読み、その宣教団体の活動方針やスタイルを考えると、私の理解する「宣証」とちょっと違うかなとも思いました。もちろん、新しい小さな支援ネットグループYSP21が言いだしたことなので、いろいろな方が、それぞれの様々な概念を持つことは当然のことです。YSP21の仲間の中でも森谷流宣証論、中澤流宣証論、米内流宣証論、そして鈴木流宣証論があっていいでしょう。

 いま、盛んに聖学院大学のメインラインの先生方や福音派の中でも「ホーリースティックな福音」とかローザンヌが発信している包括的福音という概念も、それぞれが重なる部分もあれば、ちょっと違う視点があるわけです。そして「宣証」をそのような福音理解の延長の中で理解する方もいるかもしれません。
 「鈴木先生、『宣証』と『宣教』と何が違うのですか、なぜ『宣教』と使わず『宣証』と言うのですか」とよく聞かれます。ちょっと禅問答のような言い方ですが、「『宣教』というと、『救い』というテーマを中心にして語られ、欧米の宣教論の発想がどうしてもついてまわるので、そこから違う視点から理解してもらいたい。そして『宣証』という言葉は支援の現場から始まっています。それぞれの先生の支援や教会の活動の現場から入っているので、目のつけどころがそれぞれ違う部分があります。たとえていうと一つの森に入るのが森谷口から入っていく道、米内口という入り口、中澤竜生口と言われる入り口、そして小さな入り口である鈴木口があるのです。更に「『宣教』は聖書から入ってから対象に向かって働きかけていきますが、『宣証』は対象の現実、生活、社会の課題から入って聖書を出口とするアプローチです」と。本人もわかっているのかハッキリしないトボケタ言い方になっています。
 この辺の禅問答的神学理解はどこからきているかというと私の恩師の大野キリスト教会宣教牧師の中澤啓介先生の「被造物管理の神学」、いわゆる中澤神学の影響があると思います。脱線になりますが、ぜひ中澤師の「被造物管理の神学」に牧師たちは注目していただきたいと思っております。私の「宣証」の理解はそのような神学の影響があることは事実です。

 しかし、いろんな入り口なのですが、おそらく、YSP21の先生方に一つ一つ確認はしておりませんが、それぞれ「宣証」という言葉の使用に同意している先生方の働きや語っていることで共通していることがあるということは私なり推察して言えます。

 それは「『宣証』とは何でないか」ということです。
 第一に、「宣証」は震災支援をきっかけに始まった目に見える教会員の数が増える教会成長論や伝道論ではないということです。
 震災支援の始まった当初、「リバイバルのチャンスだ」という声を聞きました。そういう部分もあるかもしれませんが、そのリバイバルとは何かと考えた時に、震災前の東北の教会が30名前後の教会が平均、あるいは自立さえ困難な教会があったことを考える時、それがたちどころに40名、50名、1000人の教会となる被災地の教会成長論ではないということです。
 JEA総会でシンポジウムなどでの私の講演が終わってから、多くの先輩先生方から、また宣教団体の方から講評や質問をいただきました。その中で、教会成長に熱心な若い先生から「鈴木先生、とても貴重な発題ありがとうございます。これで、さぞかし、先生の教会も成長間違いなしですね」と言われました。思わず苦笑いせずにはいられません。なぜかというと、私どもの教会も、教団も相変わらず牧師に献身する人の減少、教会学校の子どもの減少や教会会計のやりくりに悪戦苦闘しています。余裕で支援活動をしているわけでもないし、「宣証」ということの理解を牧師がもてたからといって、自分の教会の受洗者が震災前に比べて倍になりましたなどとかっこよく報告できるわけではありません。苦労は相変わらずです。要するに「宣証」によってたちどころに教会が倍、倍ゲームのように成長するような魔術的な力はないということです。
 また大きな教会へ、大きな教会へと信徒を動員する「繁栄の神学」に基づいた教会成長論ではないということです。

 第二に、「宣証」の最大関心事は、「何を語るか」から始まっているのではない。まず相手の必要、考えに対してディベートから始めるのではなく、まず相手の生活スタイル、考えをまず尊重することから始まる。キリスト教以外の宗教を断罪視しない。
 今年の2月に、JEA,TCU,聖学院大学、その他支援団体共催の第三回東日本国際神学シンポジウムが開催されました。メインの講師はフラー神学校の教授たちでした。そこで、私も 「宣証」について分科会でお話をさせていただきました。
要点をまとめると
1.    私たちのキリスト教の宣教は欧米の神学の影響を受けている。明治時代以来、キリスト教は西洋の宗教と多くの日本人が考えている。日本の文化脈化で大事な事は、異教社会の中で対話力を持つ事が大事である。
2.    偶像崇拝である日本の宗教を「悪霊」視した考えだけでは対話が成り立たない。
3.    「宣証」は「・・・ism」ではなく「・・・ist」に関心を持つ。これはYSP21の諸先生の問題意識を鈴木流に神学した結果です。アジアの文化の中で福音の真理を問いかけた名著「水牛神学」(著:小山晃佑/教文館)の中にある「仏教(Buddhism)ではなく仏教徒(Buddhist)に」という項目の中で小山師は以下のようなことを述べています。                     
 <仏教徒を理解したければ仏教を研究しなければならないことはいうまでもない。しかしながら我々の究極的な関心は仏教徒を理解することに向けられるべきで、仏教の理解ではない。キリストの福音にとって肝心なことは仏教ではなく、仏教徒である>
4.    東北の素朴な仏教的な信仰を持つ人たちの使う言葉、理解する言葉での中で語られることが大事である。

 「宣証」は他宗教に対してキリスト教を対抗させるためにメッセージを発信するところから始まっていない。ということです。最大関心事は、まず相手の人格に「寄り添う」ことからスタートします。私たちの持っている教えを伝えることから始まるのではなく(注:語らない、伝道しないということではない)、相手の言葉のフレームをまず理解する事から始まります。

 ユダヤ教のラビの問答に「誰もいない森の中で大きな木が折れて倒れた時、その音はするか」というのがあるそうです。みなさんはどう答えるでしょうか。「音はする」でしょうか「音はしない」でしょうか、そしてなぜそう答えますか?
答えは「音はしない」です。「音は誰か聞いている者がいた時に初めて発生する。聞く者がいないなら音はしない」というものです。
 私たちは今まで、伝道するといいながら実はキリスト教会の中だけしか通じない言葉を使ってはいなかったでしょうか。実際に、様々な社会的出来事に対してキリスト教会が発信するメッセージは教会の中ではわかるが、一般社会の中では何も効力のない、また一般社会ではわかりにくい言葉で発信してはいないでしょうか。震災支援は、そのような意味で「キリストの愛」とか「隣人を愛する」というメッセージがわかる言葉として発信できたことではないでしょうか。
 


 「宣証」を使うけど「宣教」は使ってはいけないなどというものではありません。そうではなく、この機会に、我々が福音というものをどう理解しているのか、そしてそれは本当に正しい福音なのかということを、支援活動を通して学んだ本質的なこと考え、どう自らの遣わされている日本の様々な地域にある教会の形成に役立てることが大切ではないかと考えます。
 「宣証」は被災地でも、また私が牧師として奉仕している教会でも、まだ実証されているものではありません。しかし、日本の教会は震災を通して多くのことを問われていると思います。震災支援の経験を一過性のものにしてはならないと考えます。
 同時に、被災地で支援と伝道の関係を神学することは、多くの教会の指導者が感じている日本の伝道の閉塞感を打ち破るためには、今までの当然と思われていた宣教(宣証といいながらこのように宣教という一般的な意味で使用していますが)の方法や福音の理解と提示の枠組みを根本から問い直す機会となればと願っています。
 これだけ多くの犠牲者がでて、これだけ多くの人的、物的材を支援に注ぎながら、その経験から何も学べない教会であるなら、教会は多くのことを問われるであろうと思います。



2014年5月21日水曜日

足下の準備はできているか

あなたの教会は大丈夫ですか?

久しぶりのブログアップです。ちょっとお休みしていて申し訳ありません。ちかぢか「宣証」についての問い合わせがあったことから、それに関してはは後日、ブログで連載します。
 本日は、ぜひ教団の牧師、教会の方々にご一読していただきたい本の紹介です。いのちのことば社で発売されている「危機対応/最初の48時間」です。
 福音伝道教団は群馬県に多くの教会があり、大きな地震があまりないと思いますが、この本は地震だけではなく様々な災害、事故などの危機管理について記してある本です。
 私たちの教会では、3.11以降、独り暮らしの高齢者への対応などを対策を建てております。またクラッシュジャパンなどから、横浜地区での次に必ず来ると思われる首都圏直下型地震への対応ネットワークづくりの協力を要請されて、これから周辺の教会に声をかける予定です。
 福音伝道教団の諸教会でも、ぜひ災害対応の危機管理体制を考えてください。



6月支援活動予定
日程 6月26日(木)から28日(土) 

内容は、石運び+ビニールハウス撤去(南三陸)と仮設訪問(南三陸と石巻)の予定です。

問い合わせはメールにてお願いします。
担当:大泉教会:中川牧師

2014年3月6日木曜日

3.11あの日を忘れてはいけない

また3.11がやってくる

再び、3月11日がやってきます。私たちイザヤ58ネットは2014年度を前にして、今年の活動について3月1日(土)、佐野オリーブ教会(栃木・佐野市)で会議を持ち以下のことを決めました。
  1. 引き続いて南三陸、石巻の支援関係者との連携をもって支援を継続する。
  2. 必要な物資、資金を支援する。
  3. 今まで、福島に関しては様々な事情で支援の対象とはなっていなかったが、今後、支援をできるところからする。まず、実情をブログ、ニュースレターで福島の被災の実情を知らせ、また福島の関係支援グループと連絡を密にする。
  4. 福島の支援のための献金の窓口となる。
  5. 4月に、仙台SBSより南三陸からのボランティア支援要請があるので募集活動をする。
  6. 3月11日の追悼の日が近づいている中で、イザヤ58として祈祷文を作成しブログで発表する。(以下に掲載)

.11東日本大震災の日を忘れないための

我らの祈り

 It is written under the Japanese prayer  in English

震災支援グループ イザヤ58ネット一同
 

イザヤ書58章10~12節


58:10 飢えた者に心を配り、悩む者の願いを満足させるなら、あなたの光は、やみの中に輝き上り、
   あなたの暗やみは、真昼のようになる。
 58:11 【主】は絶えず、あなたを導いて、焼けつく土地でも、あなたの思いを満たし、あなたの骨を強くする。
   あなたは、潤された園のようになり、水のかれない源のようになる。
 58:12 あなたのうちのある者は、昔の廃墟を建て直し、あなたは古代の礎を築き直し、
   「破れを繕う者、市街を住めるように回復する者」と呼ばれよう。


  天の父なる神さま、いま私たちはあなたを「アバ、父よ」と呼べる恵みとあなたの深い愛に感謝と信頼の信仰によって、祈ります。どうか私たちの祈りに耳を傾け、あなたの恵みと憐れみを注いでください。

 東日本大震災から三年目を迎えようとしています。あの3月11日以来、月日が流れましたが、瓦礫が片付いていながらも今なお被災地において立ちすくんでいる人々がいます。地震により地が揺れ、その生活の土台が崩れ、横からの津波によって町や村、家々がなぎ倒され押し流され、たくさんの尊いいのちが奪われました。そして原発事故による上からのふりそそいだ放射能の影響による健康被害に脅えている人々がいます。またいわれのない風評被害の差別を受けている人々、地域があります。生活のめどの立たない中で、今なお人々の心は傷ついています。

 目に見えるところでは、瓦礫で埋まっていた道路に車が通り、寸断されたガスや電気、水道などのインフラは回復し、少しずつ復興が進んでいるように見えますが、人々の心はなお痛んでいます。愛する家族やかけがえのない人々を失った人々の上に、家や仕事、大切な財産を失った人々の上に、将来の希望を失った人々の上に、また震災からくる絶望から心病む方々のうえにあなたの深いあわれみを豊かにお与えください。心の傷が癒されるように御手を触れてください。

 その一方で、震災はもはや過去の出来事のように忘れ去られようとしています。また被災地から遠く離れているところからくる私たちの忘れやすい私たちの罪、無関心を装う私たちの罪をお赦しください。安全神話の中で事故が起こった原子力発電所を、再び動かそうとする我が国の為政者たちの判断力の中にあなた様の力が介入してくださり、人間的な目先の合理性によってではなく、真に安心と安全な最善なエネルギー政策の施策の道を選ぶことができるように導いてください。

 原子力エネルギーの恩恵を受けながらも、原発事故によって被っている多くの被災地の苦しむ人々、故郷の絆が津波によって断ち切られた人々の痛みを忘れて、自分たちの安寧を考え、それのみを祈りがちな私たちの自己中心の罪をどうぞお赦しください。あなたが慰めを与え続けておられる人々のもとに、私たちもまたとどまり、風化させることなく、彼らと岩手、宮城、福島の教会と共に寄り添い続けることができるように、あなたの愛を与えてください。 

 御子イエスさま、あなたの十字架によって私たちの救いが与えられました。その十字架の贖いを通してあらわされたあなたの愛によって、私たちは慰めを受け、励まされ、今生かされていることを信じています。どうか今なお深い悲しみの中にある人々、疲れ果てている人々、恐れの中にある人々、生きる力を失いかけている人々に、あなたの慰めと、十字架の愛を豊かに注いでくださいますように。

 私たちは、あなたの十字架の苦難の向こうに、復活の勝利があることを知っています。復活の希望があることに信頼しています。どうか傷ついた人々が、絶望した人々が、あなたにある希望に生き、立ち上がることができますように。

 そのために、希望と慰めの福音を託されたすべての教会を祝福してください。福音を語るために遣わされているキリスト者たちを祝福してください。すべてを包み込むいのちのことばを語ることができますように。人を生かす福音を語ることができますように。

 何よりも言葉以上にキリストの愛に生きる姿をあらわす福音を飾る生き方を示すことを通して人々が福音に生きることができるようにしてください。 

 聖霊なる主よ、あなたは、慰め主として、助け主として、私たちの内に住んでいてくださることを感謝します。どうか今、慰めと励ましを必要としている人々、被災地の兄弟姉妹たち、また「世の光」「地の塩」として被災地の支援活動をしているキリスト者たちを励ましてください。

 どうか私たちを遣わしてください。災害を通して、あなた様は社会の弱者を露わにして教会が目を向けるべき方向を指し示してくださいましたので、私たちは祈りをもって、財や具体的な支援の物質をもって、また許されるなら私たち自身をもってあなたが必要とされるところにお遣わしください。あなたの慰めを届ける器として私たちを用いてください。また派遣の霊を注いで被災の現場に向かう思いを与えてください。

 また彼らのために祈りの手を挙げ続け、支援の働きを続けることができますように愛の一致による力を与えてください。

 引き続きイザヤ58を支援する諸教会、キリスト者を祝福してください。またあなたの恵みと愛に結ばれ、心を一つに祈りの手を上げ続け、支援の働きを続けることができますように。共に働く諸教会、諸教団、さまざまな宣教団体、支援ネットワークの働きを祝福し導いてください。その中でイザヤ58を支える諸教会が被災地だけでなく、足下の私たちの町の弱者に寄り添う主の弟子としてよく隣人に仕えることができるようにしてください。そのために必要なすべての能力、財、人材を与えてくださいますように。

私たちは主ご自身が弟子たちに教えてくださった祈りを私たちの祈りとしてささげます。


主の祈り。

天にましますわれらの父よ。

願わくは、御名をあがめさせたまえ。

御国をきたらせたまえ。

御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ。

われらの日用の糧を今日もあたえたまえ。

われらに罪を犯すものを、われらが赦すごとく、われらの罪をも赦したまえ。

われらをこころみにあわせず、悪より救い出したまえ。

国と力と栄えとは、かぎりなくなんじのものなればなり。  アーメン。


 Prayer for the third year 3.11 East Japan great earthquake disaster

Our heavenly Father, we thank you that we have been given the gracious gift of calling you 'Abba, Father' as in faith and thanksgiving we pray, according to your deep love. In your love and compassion, we humbly ask that you listen to our prayers.

It is now the third year since the Great East Japan Earthquake. In the days gone by since that March 11th, as much debris has been hauled away, there are people even now in the affected areas who are still clearing away rubble. As people experienced the shaking of the foundations of their lives due to the earthquake tremors, there was much more terrible loss of life from the tsunami, leveling towns and villages, sweeping away houses and tossing them aside.

There are people who have had their health threatened by the radioactivity of the nuclear power plant accident. And there has been the damage experienced by unwarranted prejudice against people who have had to evacuate. Even as they are in the midst of reconstructing their lives, their hearts are wounded. As far as what is visible, the rubble has been cleared from the roads so that cars may pass, the infrastructure of electrical supply, water supply and so forth has been repaired, and the overall restoration has been continuing. However, people's hearts are still in pain.

On top of losing family members and other irreplaceable friends, many people have lost their homes, possessions and livelihoods, their hope for the future, and have fallen into despair and emotional devastation because of the disaster. Lord, out of your deep compassion, give them in abundance what they need. Touch their wounded hearts with your hand, Lord, and heal them. Help them to put the disaster in the past and help them to forget it and leave it behind. And please forgive those of us who are far away from the affected areas, who have sinned by easily forgetting and being indifferent to their situation.

We ask you, Lord, to intervene and deliver us by your power from the judgment of our country's statesmen as they spread once again the myths of safety following the nuclear power plant accident, and rather than using short-sighted and human rationality, guide us toward choosing truly safe and beneficial energy policies. Lord, we pray that you forgive us for our self-centeredness in ignoring the pain of those affected by the nuclear plant disaster and tsunami, as they have been cut off from their home towns, even as we have benefitted from the nuclear energy produced there. As you, Lord, continue to give comfort, give us your love so that we will work with you and not abandon the churches of Iwate, Miyagi and Fukushima, but hold them closely as you do.

Jesus, Son of God, by your cross you have given us our salvation. By your sacrifice on the cross, we believe we have been given consolation and encouragement in this world. We pray that somehow those who are suffering deep sorrow, those who are suffering great fatigue, those who are in the midst of fear, those who have lost their power to exist, may receive your comfort and be filled with the loved you expressed on the cross. We know that you achieved victory in the resurrection even as you faced the suffering of the cross. We put our trust in the hope which comes from your resurrection. May those who are wounded, those who have lost hope, live in your hope and be able to stand once again. For this purpose, please bless all the churches who have been entrusted with the hope and comfort of the gospel. Please bless all believers who share the gospel. Please give them the words of life that bring everything together under you, Lord. May they be able to share this gospel which brings newness of life. And beyond all words, please cause the living presence of Christ's love to be seen in the lives of those who live in this gospel.

Holy Spirit, as the Comforter, as the Helper sent by the Father, we give thanks that you live inside us. Please encourage believers in their support efforts to bring comfort and encouragement in tsunami-affected areas, to be the "Light of the World" and the "Salt of the Earth," to those needing it, including our brothers and sisters in Christ. Please use us in this way, Lord. 

Using the disaster, Lord, you have exposed the weaknesses of our society, and you are indicating another direction for your church. Use us as vessels of your comfort. Give us an anointing of the sending Spirit to fill the disaster victims where they are. As we continue to raise our hands in prayer on their behalf, give us unity in love as we respond with support assistance. 

Lord, we ask your blessings on those churches and believers who have continued to offer aid through the Isaiah 58 group. bound by your grace and love, praying that they will continue to be of one heart and be able to keep up the support work. We pray for your blessing and guidance on all the work of the various churches, denominations, mission groups and support networks. We ask you to enable those churches who have supported the Isaiah 58 group to continue in serving as disciples not just the disaster victims, but all neighbors in our towns who are weak and needy. We ask that you supply all of the necessary talent, resources and manpower. 

We pray as our prayer the prayer that Jesus himself taught his disciples to pray, saying,
 
Our Father, who art in heaven,
Hallowed be thy Name.
Thy Kingdom come.
Thy will be done in earth,
As it is in heaven.
Give us this day our daily bread.
And forgive us our trespasses,
As we forgive them that trespass against us.
And lead us not into temptation,
But deliver us from evil.
For thine is the kingdom,
The power, and the glory,
For ever and ever.
Amen.
Translation by Frank Daugherity 

2014年2月8日土曜日

2月のお知らせ

展示コーナーと詩の朗読
(祈りの家阿部氏撮影)
2014年がスタートして、被災地の支援グループの活動は今年もそれぞれの支援方針、活動計画に従ってスタートしております。前回のブログでお知らせしましたが、南三陸での支援活動では、いのちのことば社、南三陸町を支えるキリスト者ネットワーク他いくつかのグループの協力で「星野富弘詩画展 in 南三陸」も感謝の内に実施することができました。
 来展者も700名を超えたとの報告を受けております。この実施に係わったYSP21の森谷先生、中澤先生、平田姉、またいのちのことば社関係者などの労に感謝したいと思います。詩画展に来られた被災者様は多くのコメントを残してくれました。どのコメントも感謝と励まし、希望に繋がるものでした。とくに、詩画に囲まれたコンサートは、暖かく微笑ましい空間を醸し出してくださったと聞いております。
阿部氏撮影
震災から3年がたとうとしております。時間が経つとどうしても、被災地への関心が薄くなります。また、支援をしている教会も今後の継続についての様々な意見がでることだと思います。



救援と救済のジレンマ

昨年、福島のFCC(福島キリスト教協議会)の先生と支援についての情報交換をした時にお聞きしたことで、また南三陸、石巻の被災地での支援活動をしている関係者からも聞いていることは支援を支える支援者や教会内部から「そろそろ、支援もいいけど自分の教会の伝道の方に」とか「教会の牧会の方に関わってくれ」などと教会の信徒の方に言われる先生方がいるとのことでした。
 岩手、宮城、福島の震災は神戸の震災の時と異なり、復興というものが見えるまでには、長期にわたることでしょう。さらに、福島の原発の事故が加わっている中で、半端な期間ではすまない現実があります。
 被災地に何回か行く中で、「ジレンマ」ということが一つのキーワードとなって心に残ります。
もともと震災前から過疎地域の多かった東北、また特に日本の習俗と密接に関わる生活スタイルを持つ人々の目に映っているキリスト教への理解(偏見も含みますが)と私たちが当然信じて教えられ、教えている福音理解とのギャップ。さまざまなジレンマを目にします。また小さな20人から30人ぐらいの規模の多い日本の教会の現実を見るとき、日本の教会が抱えるジレンマという課題があることが支援を通して知ることができました。
l  被災者の中にある宗教団体から受ける援助へのジレンマ。
  阪神・淡路の震災の時にも様々な宗教団体が支援に関わりましたが、被災者たちのアンケート調査で、宗教団体からの援助を受けることに警戒があることがわかります。特に、オウム真理教の事件以来、一般の人たちの宗教に対する警戒が強いことは周知の事実であります。また援助と宗教活動を取引のようにするのではという警戒心があることも事実でしょう。しかし、その反面、特に今回の東北の震災は阪神・淡路の時と比べものにならない位の甚大な被害を広範囲に受けています。そのような中で、被災者たちの心は将来に対する不安、家族や知人を一瞬のうちに奪われたことからの「生きる意味」「命の意味」などへの問いかけなど物理的な支援では満たされ得ないことを被災者たちも理解しています。
支援の側として、福音を支援の取引のように見えるアプローチに見られないように「寄り添う姿勢」を持つことが肝心です。
l  教会の側の救援と救済のジレンマ
被災地にある教会は東北という習俗が顕著に渾然一体となっている地域の中で、また過疎地も抱えている地域で、もともと教会自体が大きい教会が多いわけではありませんでした。このような中で震災を受け、当初は救援物資の集積場所、被災者たちへの支援物資のハブのような役割を担っていましたが、教会の牧師や信徒の中にもだんだん支援疲れが出てくるのは当然です。彼ら自身が被災している人たちなのです。またちょっと被災地から離れている地域の教会でも、信徒の中には「支援活動もいいが、自分たちの教会の伝道や牧会も・・・」という思いも出てくる中で、今後の救援活動と教会活動の両立に苦心する牧師たちがおります。
 全国的規模の教団などでは、自分たちの教団内の教会が被災地にある場合は、リアルに仲間の教会の支援活動に協力する、援助するという考えが説明しやすい。しかし、イザヤ58を送り出している福音伝道教団などを例にとるなら、北関東という限定された地域にある教会の牧師たちは、自分の教会活動と支援活動との両立に神経を使います。多くの信徒がイザヤ58を通して東北に向かいましたが、残念ながら教団の牧師はそれほど多くはいません。「百聞は一見に如かず」と言います。ぜひ現地を視察していただき、被災者や支援活動の先頭に立っている現地の教会の牧師の声に耳を傾けていただきたいと思いますが自分の教会のことが手一杯と考える先生が多いようです。「教会を牧師が留守にするなんて・・」という声にならない声に気を使います。
 私自身も教団の仲間の牧師から「先生、そんなに東北に関わって、教会は大丈夫ですか?」と問われます。けれど、私は自分の遣わされている横浜の教会での教会形成と東北の支援を通して宣教を考えることを別とは考えられないのです。
 この三年間、自分の教会で訴えてきたことは「信仰義認」や私たちの団体が大切にしている聖化は「自分の救いの達成」「自分の霊的満たし」だけという自己完結的クリスチャンを育てる教理ではないということでした。ジョン・ウェスレーの聖化は内側に向かいながら外にも向かうものであると理解しております。それはどのような聖化論に立つ者であってもそうではないでしょうか。しかし、「自らの霊的満足」「内側と外側の人間に対する態度の使い分け」というものが見え隠れします。教会の中に起こる不祥事に対して、身内の仲間を「かわいそうだ・・・」と思いながら、その不祥事に対しての対社会的責任や問われている責任に大しては無頓着な身内意識が私たちの中に見え隠れしがちなことは、支援を外のことのように考え、教会の働きを別個のものという考え持ってしまうことでも脈絡は一にしているように思われます。 
そのような神学的課題と足元の教会形成を考えた時、具体的には毎年の教会総会で支援活動と自分たちの教会の関係について議題にあげて、牧師が関わることの承認を求めております。また「教会に神学を取り戻す」というテーマで、神学がとかく一部の聖書学者や牧師の専門領域のように見る教会体質の脱皮をはかり、日常の信仰生活の中で、聖書に書かれていることと信仰の原則と現実をどう当てはめるかという問答をすることを教えながら教会の課題克服に微力ながら取り組んでいます。そうでないと異教社会の中に置かれている日本での教会形成の力とはならないでしょう。力のない説教は説教を止めていることと同じように、力のない神学は神の国の学たりえないのではないでしょうか。
 支援活動の経験から、地域の中にある教会の存在の意味、足下の教会の宣教のあり方が問われています。何故教会に対して忠実な福音を信じている信徒が、牧師が被災地に出向くことに消極的なのか。なぜ社会的なことと教会的なこととに意識の乖離があるのか…。なぜ霊的な信仰を求めながら身内に対しては必要以上に甘くなるか、また反対に必要以上に呵責のない批判が飛び交うのか。なぜギリシャ語釈義には一生懸命で恐ろしく正確な聖書解釈をするが、恐ろしく退屈な説教しかできず、個人伝道もできない牧師を育ててしまうのか。
 また偶像崇拝に囲まれている東北での宣教を考える時、土着化とシンクレティズムの関係。他宗教は本当に悪なのか。悪霊なのか。対話の余地はないのかなど。なぜ「聖書信仰」という名の下で福音派は過度な護教主義的に陥るのか。支援活動をしてずっと自問自答していたことでした。
 尊敬している私の神学校の恩師の聖書学者が「数年前に起きたスマトラ沖地震で多くの被害を受けた南アジア、東南アジアのキリスト教会で取り上げられた神学的なテーマは『その時、神は何をしていたか』であった。しかし今、日本の教会に問われていることは『その時、教会は何をしていたのか』である」とおっしゃっていた。
「救援と救済」の神学的理解を牧師自身がしっかり学ぶ必要があると痛感しております。そして、その延長線上に「教会とこの世」「神の国とはただ来世のことだけか」ということが教会に問われていると思われます。キリスト者、教会というコミニティーがこの世とどう関わるのかということが問われているのではと思われます。
 今、多くの心あるキリスト者が感じている日本政府の右傾化に対して教会が何をするのか、神学的に何を考えなければならないかということは震災支援を通してこの世とどう関わるのかという課題と地下水脈のようにつながっていると思うのです。
 今後、その面でもイザヤ58の代表としては「教会とこの世」、「支援を通して足下の宣教をどう考えるのか」、「異教社会の中にある教会」などについての宣教神学的なことの見解を発信して、皆様と神学的問答をしていかないといけないと考えております。そしてそれは象牙の塔の論議ではなく被災地のまっただ中で、また遣わされている地域の現場で神学し、実践していく者として論議し発信したい。もし、そのような場があるならばぜひお招きください。またご意見があればお知らせいただきたい。おおいに紳士的に論議したいと思います。

l  第三回東日本大震災国際シンポジウム開催
支援活動に関わる教会の中にも「救援と救済」について「宣教とは何か」「福音提示のアプローチとは何か」について考えないといけないのではと考えます。その神学的なテーマについてカトリック、メインラインの教会、福音派の支援関係者たちが集まり震災、支援について意見交換するシンポジウムが2月15日(土)、17日(月)に東京お茶の水キリスト教会館で開催されます。ぜひ参加をしましょう。イザヤ58も鈴木が分科会で発題をします。


おわびと報告///イザヤ58 代表 鈴木真

 ここで皆様に知らせをします。このような場で個人的なことをお知らせすることで、このブログを読む方が戸惑いを覚えるのではと逡巡したのですが、公にお詫びをしなければならないことがあるので公表いたします。
 昨年、7月末に人間ドックで検査をうけたところ、潜血反応があるということで前立腺肥大の疑いで、専門医に検査を継続的に受けている最中、10月末に、血尿が大量に出て病院でCT検査をうけたところ左腎臓に癌があり手術しないといけないと告知されました。
 11月に福島で宣教フォーラムの主題講演を依頼されていたので手術を延期できないかと医師に尋ねましたが、急ぐ必要があると言われ、11月5日に急遽、左腎臓の全摘出手術を受けました。経過は良好で11月15日に退院して自宅療養をしておりました。しかし、福島の宣教フォーラムをどたんばでキャンセル事態となりました。誠に申し訳なく思います、関係者にお詫びします。
 12月の第一主日の礼拝で退院後初めて説教の奉仕を再開しましたが、さすがに時期尚早の感がありました。いわゆる抗がん剤の治療はなく定期的に経過観察をすることになりました。クリスマス礼拝から体力を持ち直して、現在、C-BTEアンテオケ・スクールの次世代リーダー養育の訓練を受けている兄弟が月に二回の礼拝説教を奉仕してくださり、教会員の信頼を受けております。
 現在の体調はすこぶるよく、無理をしない範囲で通常の教会奉仕をしております。これから三か月ごとの精密検査の経過観察ということになっております。むしろ教団の様々な責任から病気を理由に解放されて、教会の次世代リーダー育成と震災支援に専念できて極めて元気であります(教団関係の先生、ごめんなさい)。
 妻も震災の前の年に大腸がんの宣告を受けて現在治療中であります。おかげさまで妻の方は今年で四年目になり再発もなく経過は順調に回復しております。夫婦そろって癌になることに摂理の神の働きがあると信じております。
この度の入院手術の時、JEA宣教委員会のホーリネス教団の中西先生がわざわざ手術の前日に病室まで訪問してくださりお祈りをしてくださいました。また、術後三日目に、まだ起き上がれない状態の時にも同委員の永井敏夫先生が病院に訪問していただき励ましていただきました。すっかりJEAの末松先生はじめ宣教委員会の先生方に牧会をしていただいた感じです。
また、相模大野バプテスト教会牧師で、私の神学校の恩師である中澤啓介先生より、今後の私のライフワークと教会の今後について適切な助言をいただきました。東北の仙台バプテスト神学校校長の森谷先生、YSP21代表の中澤竜生先生、国分寺バプテストの米内先生からも励ましのメールをいただき、また石巻祈りの家の阿部代表などがこまめに活動の様子のニュースレターやFace Bookなどを通してしらせてくださったり、C-BTEの仲間の山形の先生からも入院療養中の留守の教会の礼拝説教の奉仕の応援も申し出てくださった先生もおられ、病気の中で気の弱くなった自分に大きな励ましをいただきました。このような親密な関係をもてたのもひとえに震災支援という共通の問題を共に担っているという同労者意識であると思います。また入院前後の一人静まる時を神さまから与えられ、これまでの奉仕と今後の生き方について取り扱われる貴重な経験をさせていただきました。
福島のキリスト教連絡会の木田信嗣先生や住吉先生などにご心配とご配慮をしていだき誠に感謝です。福島の宣教フォーラムをドタキャンのような形となってしまいましたが、代わりに突然の講師依頼を引き受けてくださいました同盟教団の朝岡勝先生がすばらしい講演をしていただいたことに安堵しました。福島の先生方、教会の皆様、誠に申し訳ありませんでした。
今後は、神さまに自分の時を握られていることを覚え、またこの機会に教団の様々な働きは次の世代に委ねる機会として、神さまから足下の教会の次世代指導者の育成と震災支援とそれに係わる神学的な研鑽に自分の時を注ぎたいと思います。また「宣証」という課題の実証の活動をしながら、被災地の中で苦闘している先生方や教会を励ます働きをしたいと考えております。
イザヤ58の支援者の皆様、まだまだ岩手、宮城、福島の復旧と被災者たちへの支援が必要であります。私もできる限り支援活動に係わる所存です。ご理解とご支援を引き続きお願いいたします。
そのようなことを踏まえ、イザヤ58の年度の会議を以下のように開催します。支援関係者の先生、福音伝道教団の支援に係わった信徒の皆様のご出席を賜り、今後の支援方針についての意見交換をしたいと思います。ぜひご出席ください。

日時:3月1日(土)午前11時より

場所:福音伝道教団佐野オリーブ教会

なお、昼食を用意しますので関係者の皆様の出席の有無をお知らせください。





2014年1月1日水曜日

昨年一年の支援を感謝。今年もよろしくお願いします。

 イザヤ58の支援者、教会、支援関係団体の皆様、新年あけましておめでとうございます。昨年一年、イザヤ58ネットの支援活動を支えてくださった福音伝道教団の支援者の皆様、また共に、支援活動を担い、支援協力、また個々の支援活動の情報を通して、イザヤ58の支援理解を聖書的に深めることに大きな力となった、岩手、宮城、福島の支援関係者、支援団体、宣教団体の情報提供に深く感謝します。

 クリスマスはいかがお過ごしでしたでしょうか。楽しいクリスス、そしてくつろいだお正月を迎えていることと思います。でも、ちょっとだけ、ちょっとだけでいいですから東北の被災地の仮設に住む人々、そして東北の支援活動をしている教会、団体の関係者のことを心に留めてくださればと思います。

 岩手県は、車での道は宮城の県境から青森の県境までのおどろくほど距離です。そのような中で「3.11いわて教会ネットワーク」に加わっている支援グループが東奔西走の支援活動をしております。そして宮城も三陸海岸の被災地、を東北ヘルプ、南三陸町を支えるキリスト者ネットワークに参加しているグループ(イザヤ58も入っております)、そして石巻祈りの家(阿部一代表)、ベンソン宣教師チームを支えている諸団体、諸教会が雪の中を、年末いっぱい活動をしております。彼らのために今年もお祈りください。
 またイザヤ58としては今年、福島の支援に係わる諸教会の集まりである「福島キリスト教連絡会:委員長/郡山福音キリスト教会牧師.木田恵嗣師」の働きのために祈りたいと考えております。福音伝道教団の関係者の皆様、福島支援についてのお考え、要望がありましたらお知らせください。

  私たちイザヤ58も皆様と神様に支えられて働きを継続されており、また2014年も働きをすすめていきたいと思っております。

1月、2月の主な支援関係の活動.イベント


 現在、いのちのことば社や他の支援団体と協力して、イザヤ58も関わっているYSP21(よきわざ宣証プロジェクト21)は、南三陸町と連携して「星野富弘詩画展in南三陸」を開催する予定です。
実行委員長は森谷正志先生、実施コーディネーターは南三陸町を支えるキリスト者ネットワーク代表 中澤竜生先生です。
*被災地の方々へ、星野富弘さんの詩画展を通して希望と慰めをという願いで企画されたものです。
 イザヤ58ネットも積極的に応援したいと思います。期間中ボランティアが必要です。応援してくださる方はイザヤ58ボランティアコーディネーターの中川牧師(大泉教会牧師/0276-63-2329)または代表鈴木(メール:macsuzuki316@gmail.com)までお知らせください。*注)鈴木への連絡はメールでお願いします
 また、この詩画展開催のための献金も受け付けます。お問い合わせください。

南三陸星野富弘展 

南三陸での開催地:南三陸町(歌津、志津川、戸倉)等

■ 開催時期:2014年1月23日~2月3日
■ 入場無料
■ 南三陸町図書館(1/23(木)~1/26(日))からスタート
■ 展示時間10時~17時/10時から詩の朗読/14時から詩の朗読、会場によりコンサートあり
■ オープニングセレモニー
日時1月22日(水)14時~15時半/会場 南三陸町ベイサイドアリーナ/ゲスト 岩渕まこと
■クリスチャンセンター南三陸 愛・信望館090-7661-3925(中澤)




 

2013年11月28日木曜日

11月被災地訪問と生活用品の支援活動報告 

イザヤ58は11月20日(水)~22日(金)の二泊三日の予定で、石巻、南三陸町仮設に、それぞれの現地支援グループのご協力で支援活動を行いました。
 今回の参加者は大泉教会の中川牧師を中心に男性4名のチームでした。
11月派遣のチームのメンバー
20
午前7時半 佐野オリーブ教会集合、8時半、中林篤朗師に祈っていただき、出発


午後1時過ぎ 祈りの家到着

午後2時 袋谷地東仮設住宅
※社会福祉協議会の方々、スタッフを入れて十三名々の参加。恒例のシオンの和菓子とともに、鈴木兄が煎茶をたて、原兄がそれをサポートして、皆様にお茶を楽しんでいただきました。さらに、相場兄のマッサージや、童謡・賛美を中川のギターの奏楽で一緒にいたしました。阿部一兄から促し受けて、中川が、イザヤ58ネットが、イザヤ書58章の御言葉をもとに有志で始められたこと、そこにある神様のメッセージと、私たちも皆様を忘れていないことを短くお話させていただきました。1時間半程度の交わりをの時間を持たせていただき、支援物資(洗濯洗剤と台所洗剤にクリスマスカードを添えて)30個を置いて参りました。9月に訪問していることもあり、顔を覚えてくださっている方々もおられました。引き続き関わりを持てればと願っています。

午後4時頃 石巻出発

午後5時半過ぎ 支援物資の不足分と、仮設の集会場に置くための調味料セットの購入
 
※支援物資の特に集会所においていただく調味料セット
(醤油、酢、みりん、ほんだし、塩、料理酒)については、
5セットを中澤師(南三陸町を支えるキリスト者ネットワーク代表、YSP21世話人)
に託しました。

 


 
午後6時半頃 仙台の神学校に到着。明日の南三陸に持っていく支援物資の準備 

21

 
午前10時 中瀬の集会所へ到着

 
※森谷師が山形芋煮を準備してくださり、中瀬の集会所の方々に振舞いました。イザヤ58ネットから、このための支援献金をさせていただき、さらに、芋煮の準備や、集会所で食事をされた方々との交わり、また特に、仮設の中心的な存在のSさんから、これまでの状況、これからの見通しなど聞かせていただきました。心ない興味本位の報道などによる被災者の苦しみなどを含めて、引き続き、主にある隣人となる奉仕を考えさせられました。個人的なことですが、2年前(201110月第五次派遣。南三陸チーム6名<同日石巻に3名>)に中瀬で芋煮会を行った時にお会いしたSさんにお会いし、久しぶりでしたが、Sさんも覚えていてくださり、支援を継続することの大切さ、定期的な訪問の重要性を改めて考えさせられました。この仮設は人数が多いため、子どものおられる家庭に限定して、25個程度の支援物資をお届けました。

午後1時半 大久保仮設到着。Sさんを通して支援物資15個程度をお届けました。

午後2時 波伝谷仮設住宅

※波伝谷の仮設でお茶会。童謡と賛美、煎茶と和菓子、マッサージ、そして会話の交わりを持ちました。石巻の「袋谷地東」仮設と、南三陸の「波伝谷」仮設には、続いて関わりを持っており、少しずつ、覚えていただいているような気がします。特に「波伝谷」Ⅱは、これまでも、様々なイザヤを通してのチームが関わってくださっております。今回も支援物資を20個程度おいてくることが出来ました。
波伝谷仮設でのお茶っこ
 午後3時半 波伝谷仮設出発 

午後4時 津の宮仮設、水戸辺仮設を訪問し、それぞれ、20セットずつの支援物資をお届けました。

 ※この後、切曾木仮設によって、今回南三陸方面に用意いたしました120セットを配り終える予定でしたが、遅くなったため、残りは森谷師にお委ねして、神学校に戻りました。

午後7時過ぎ 仙台の神学校へ到着。しばらく、森谷師夫妻と今後の活動などについて話をしました。 

22
午前8時半 神学校を出発
午後1時 佐野オリーブ教会到着。中林師に感謝の祈りを祈っていただき解散


イザヤ58代表 鈴木より支援者、教会、支援関係団体の皆様
皆様の支えによってイザヤ58の支援活動は三年を迎えようとしております。復旧から復興へと呼ばれておりますが、最近の東北の地方新聞、河北新聞の掲載された記事によると、経済的理由で仮設住宅から退去できない被災家庭は仮設住人の35%であると報道されました。支援活動をしている関係者に「いつまでも支援をしていると甘えてくるのでは」という意見を言う方もいるそうです。被災者たちの自立を促しながらの支援は、直接的に支援活動をしている関係者の課題であります。しかしながら、現実を見ると、まだまだ被災者たちの困窮は事実であります。様々な声を聴きながら、支援活動をしております。引き続き、ご支援とお祈りをお願いします。 
 
また、東北の被災地での支援と宣教を問い続けている中で、ローザンヌ会議、JEA宣教シンポジウムで、支援活動を通しての足元の宣教をどう考えるのか、という発題をさせていただき各方面からお問い合わせが鈴木まできております。東日本大震災で問われる日本宣教という神学テーマについても、この時代に召された牧師として、宣教の神学について意見交換と神学的課題についての考えを発信をしていく所存です。

 
 
 

2013年10月29日火曜日

11月支援活動のお知らせ


1.被災地訪問  参加者募集 
 

日程 1120日(水)朝~1122日(金)夕

主な予定:石巻、南三陸でのお茶会

 仮設での交流が中心となりますので、よろしくお願いいたします。
募集人数 4(人数になり次第終了)  募集期間 113まで
参加について
☆費用:交通費、ガソリン代、宿泊費、食事の一部はイザヤ58ネットが負担します。

☆はじめての方はボランティア登録をおねがいします。
☆また信徒の方の参加は、所属教会の牧師に事前にご報告ください。
 

連絡先 大泉キリスト教会(中川信嗣) 〒370-0521 大泉町住吉308

 Email:ecc412sm@yahoo.co.jp 電話 0276-63-2329
2.生活必需品サポートセット
 
被災地訪問に合わせて、関係している仮設の方々に、物資の支援セットをお届けすることを計画しています。「やがて、仮設を出て新しい生活の基盤を立て直す上で、今は、少しでも出費を抑えておきたい」という声を受けて、クリスマスを前に、支援物資をお届けすることに致しました。ご協力いただける方は、1110日(日)までに、大泉教会(上記)まで、下記の物資をお届けください。不公平にならないように、物資を指定させていただきます。また、スタッフ奉仕の軽減のため、下記の物資以外、また募集期日を過ぎて届いたものに関しては、大変申し訳ございませんが、お断りさせていただきます。ご了解ください。


①台所洗剤 250ml前後の液体洗剤

②洗濯洗剤 1㎏前後の粉末洗剤 

尚、支援物資に関して物品の提供ではなく、物品購入のための支援金に関しては下記の口座で受け付けております。

献金振込先 ■ゆうちょ銀行・総合口座 … (記号)10750、(番号)22936321、(名義人)田島直秀
※イザヤ58ネットの専用口座ですが、送金の際は田島直秀まで必ずご一報ください。

イザヤ58ネット代表:鈴木真(戸塚めぐみ)

事務局・会計:田島直秀(小山聖書)
ブログ配信中:http://isa58net.blogspot.com/