台湾台中大地震と台湾キリスト教会
1999年9月21日1時45分(現地時間)ごろ、台湾中部南投県集集(チチ)付近を震源として発生したマグニチュード(M)7.7(アメリカ地質調査所による表面波マグニチュード)の大きな地震。現地では集集地震とよばれている。この地震により、死者2188名、全壊建物9878棟(同年10月1日6時00分現在、台湾内政部による)その他、大きな被害があった。その時、台湾のキリスト教会は、一致して救援活動を戦略的に行い、被災地では、支援する教会は自分たちの教会名で行うのではなく、支援活動をまとめるための組織「中華基督救助協会」という名のもとにボランティアたちが支援活動をしたそうです。実は、台湾のキリスト教会の40年ほど前は、それぞれの教派が自分たちの立場を強くだす傾向があって、それは今の日本と変わらない状況であったようです。しかし、震災支援での一致した救援活動の下地は1990年代に、各教派が協力して「2000年運動」という一つの宣教協力の運動が起こり、その一つとして、台風などの災害時にボランティアをまとめる専任スタッフ一人の小さな委員会を設けたそうです。それが「中華基督教救助協会」でした。
夏先生は、その200年運動の全体をまとめる責任者であったのですが、当初、災害救援などの組織を設けることは消極的であったそうです。
また、台湾では災害というのは今の季節でおなじみの台風による洪水や土砂崩れなどで、地震などは想定していしていなかったそうです。しかし、救助協会ができてすぐ、台湾大地震が起きたのでした。救助協会はすぐボランティアを各教会に募り、被災地に送りだしました。
その時、教会にはいくつかの約束をさせたそうです。第一には、支援グループはすべて「救助協会」の名を使う。個々のキリスト教会名は出さない。
第二は、支援活動の一年目は、ボランティアは自分がクリスチャンであることは言ってもいいが、福音を語らない。決心を促さない。二年目は、証しをしてもいい。三年目になったら、関心を持つ人に伝道をしてもいい。地域の文化、家庭の文化を尊重する。被災地での支援センターとなる場所では、礼拝などに使わない。そして、三年後に、支援してくれている教会に、支援センターに近い場所に教会を開設することを要請し、支援センターに来た被災者などの関係者に教会を紹介する。というものだそうです。
左側:夏先生、右側:通訳のインマヌエル総合伝道団の蔦田康毅先生 |
そして、震災時に26カ所の支援センターがあったが、落ち着いた後、救助協会は、震災被害からシフトを変えて、独居生活をしている老人や貧困家庭の援助、共働きの家庭の子供支援などに活動を変えて、現在全国で80カ所以上の支援センターがあるそうです。
セミナー期間中に、台湾に宣教師として奉仕していた日本人牧師から聞いた話ですが、現在、教派を超えた協力は、継続されて、驚いたことに、中には長老派の教会が献身者をホーリネスの神学校に送り、卒業後、その卒業生を長老派の教会の牧師として派遣していることもあるそうです。
もちろん、台湾の地震と東日本大地震とを単純に比較はできません。面積的にも、被害規模も違います。しかし、夏先生が講演で盛んに強調していたことは、聖書的教会、初代の教会がどうであったのか、小さな教会であっても一致することによって地域に大きなインパクトを与えることができる。そのためには、私たちの持っている西欧的な宣教論ではなく、東洋人の宣教論に基づいて、
地域文化を対立的にとらえるだけでなく、理解も必要であるということが、参加者に多くの示唆を与えたと思います。
今回、仙台周辺の牧師や支援グループ関係者など約50名ぐらいの参加者であったが、時間的に、どう協力していくかについては、十分話す時間がなかったのが残念であるが、今後の支援と宣教、さらに小さな教会が多い地方での震災に関わらず、地域に仕えていく教会のあり方、また共に協力する意味について洞察する機会が与えられたことは感謝でした。
単に、被災地での活動にとどまらず、支援する教会の地域での宣教についても、イザヤ58としても、支援して下さる教会と共に、この経験を自分たちの地域での教会の役割というものを考えていきたいと願っております。
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