2011年11月15日火曜日

第二回「南三陸町を支えるキリスト者ネットワーク」会議

11月14日(火)に8月に結成された「南三陸町を支えるキリスト者ネットワーク」の第二回の会議が開催されました。場所は、普段、私たちイザヤ58ネットの支援チームが宿泊場所にしている仙台バプテスト神学校で午後1:00から4:00までの大変密度の濃い会議でした。日帰りで出席してきました。
 第一回の会議は、8月に南三陸町にある、避難所にもなっていたホテルで開催されました。その時は、80名くらいの人数で、様々な団体や支援活動をしている教会の代表者が参加していました。一度でも南三陸に支援活動をしたグループも参加してたので、主な大きな団体の活動報告とネットワークを結成する主旨説明で終わって、踏み込んだ話はできませんでした。
 しかし、今回は、30名くらいの人数で、出席した団体も絞られていました。理由は、幾つかあり、他の福島での支援会議と日程が重なったり、また、支援の働きの力点を他に移したグループがあったこと、さらに、支援活動の資金が底をついて、働きを休止したグループなどがあったりしたために、今回は継続的に南三陸町に支援活動をしているグループに絞られた感じです。

仮設住宅への支援について 
 それぞれの活動報告が、具体的な場所などを挙げて報告がなされました。おもしろいことに、それぞれが重点的に支援活動をしている仮設住宅が重ならないで、お互いの活動に気を使ってうまくすみ分けができているようでした。また被災者の個人名などがでてきて、それぞれが被災者たちとの個人的関係が築かれはじめてきて、証しのチャンスが広がっていることです。
 この支援ネットワークの特徴は、震災当初から南三陸町に入って支援活動をしていた代表者の仙台のN牧師が行政とパイプができていることです。行政がどのような支援を私たちに求めているのかを常に訪問して、率直な意見交換をしていることです。
 そのような中で、仮設住宅への支援活動で浮かんできた課題が「支援の均等化」という問題です。企業などが支援を送ってくるのですが、ある意味で事前情報をしっかりつかんでいないこと、単に企業イメージをアップさせるために、ドーンと物資を送ってきて、「もう、この仮設住宅には物資はいりません」と訴える仮設の自治会長がいたりする反面、何も支援がこない小さな仮設住宅、あるいは、かなり山間のめだたない場所にある仮設住宅などがあり、「私たちを見放さないでね・・・」と訴える仮設の代表の声などがあることです。また一般の大きな企業や支援団体の支援物資が、仙台のリサイクルショップに箱ごと売られているという報告もありました。つまり、必要なものを必要な量を支援するという事前調査をしないで、物資を送ってきても、「今必要なのは物よりも現金だ」という被災者もいるということです。
 今回、そのような一般の支援活動で見られる問題が起きないように、お互いの支援活動が重複しないように、緊密な情報交換のネットワークが必要とされています。
行政と被災者、地域コミニティーのパイプ役 
 また、行政となぜ緊密に連絡を取り合うのかというと、実は、南三陸町だけでなく、三陸海岸の町の行政の問題は、町の職員たちも被災者だということです。被災者は、町の行政に当然のように支援サービスを求めてきます。しかし、行政組織が壊滅して、立て直ししながら被災者対策をしていく行政は必ずしも行き届いた行政サービスができない面もあります。さらに大きな問題は、それぞれの行政分野の専門担当だった人たちが、被災して死んでしまったりして専門知識に乏しい人が担当することにもなっているそうです。たとえば、それまで下水道課の職員が、福祉関係の担当にならざるおえないという事態があるわけです。
 キリスト者ネットワークでは、そのような行政の側にも大きな悩みをかかえ、個人的にも大きなストレスを抱えている職員が少なくない現状の中で、行政の側の必要、また被災者の側の必要などを聞きながら、キリスト者として平和の絆の構築を目指していくためです。次回の会議には、被災者の代表や行政の代表も出席してもらうことを目指しているそうです。

 さらに、中には、私たちイザヤ58の支援活動に「バーベキュー大会」「芋煮会」などの活動を聞いて「なんだ、支援といっても、食べたりする活動じゃないか(笑)」と思う方があるいはいるかもしれません。これらのイベントの企画の主旨は、被災地では、それまでの地域コミニティーが壊れてしまっている問題もあるからです。支援物資の配給の問題で、隣近所の関係、あるいは町内会が壊れてしまったり、集まる場所がなくなったりしています。
 以前に大森地区で支援とバーベキュー大会をしたのは、地域の区長が「昔のような、隣近所が和気わいあいとした関係に戻したい・・・」という願いから、私たち支援グループと被災者の親睦というより、被災者同士のつながりの再構築という意味で企画しました。
 また、仮設住宅は、抽選で場所が決まるため、いままでの隣近所の人ではなく、それぞれが違う地域から来た人たちが集まっているのです。お互いが知らなかった人たちが、同じ集落で生活をする、当然、孤独死などが問題になります。私たちキリスト者として支援は、そのようなパイプ役になることではないかと思います。
 今回、被災者の協力してくれる方が、南三陸町の全部の仮設住宅のある場所をグーグルマップで掲載した地図を作成してくれて、私たちネットワークに提供してくれました。
 大きな仮設住宅、小さな15世帯ほどの仮設住宅、それらすべてがわかる資料をキリスト者ネットワークは持っています。その地図を見ながら、イザヤ58ネットの活動も、きめ細かい働きのお手伝いができると思います。
イザヤ58ネットを支援してくださっている方々のすごさ 
 今回「キリスト者ネットワーク」の二回目の会議に出席して感じたことは、「イザヤ58ネットを支援してくださっている方々のすごさ」ということです。前にも述べましたが、第一回のネットワーク会議に比べて、参加グループが絞られた理由の一つに、支援活動の資金が底をついて休止したグループもあります。もちろん外国からの資金援助のパイプの大きい支援団体や教会もあるのですが、イザヤ58ネットという関東に限られた教団の教会が中心になって、物資を三回も送り、また、4月からほぼ毎月、支援チームを送ることができるのは、この働きのために支援してくださっている諸教会の信徒の力が本当に大きいということを、会議に出席して痛感しました。本当にありがとうございます。
 日赤や大きなNGOへの義援金という援助の形もありますが、イザヤ58ネットという小さなグループへ献金や物資支援してくださった方々に確実に言えることは、みなさんが献げてくれた物資や献金がいきつく場所がどこなのか、具体的にわかることではないかと思います。今回17日に持って行く支援物資は、南三陸町の波伝谷(はでんや)という地区の仮設住宅で、まだ支援が行き届いていない山間の15世帯ほどの仮設住宅とできたら他に二カ所の仮設に物資を送りたいと願っています。また物資支援のための献金から乾燥機を二カ所の仮設住宅に設置するための購入資金として使う予定です。設置が終わったらブログで報告したいと思っております。

2011年11月8日火曜日

11月17日からの支援

 10月29日に開催されたイザヤ58ネット特別集会には、多くの方々が出席されたことを主催者として感謝しております。
 その集会で受けた様々な霊的な思いを心に留めて、私たちは冬を迎えようとしている被災地の支援に目を転じております。
 今回は11月17日~20日の予定で、冬の支援物資を南三陸の幾つかの仮設住宅に持って行きます。避難所時代もそうであったのですが、どうしても目につく避難所(テレビなどで放映された避難所など)や規模の大きな避難所などには物資は届きやすいのですが、小さな避難所は支援の過疎状態が生じてきていました。同じように仮設住宅にもその現実は変わりません。
 今回、私たちは南三陸の幾つかの支援が十分に届いていない山間の小さな仮設住宅地域に物資を届けます。私たちが今後のことで心配していることは、震災で津波などで直接的に亡くなった犠牲者の2倍~3倍の方が被災後の避難生活の中で、病疾患や自殺などで亡くなるという統計的な事実です。そのことをいつも念頭において、今後の支援活動をしていきたいと願っております。
 具体的支援は今回の支援で今年の活動は、終了しますが、イザヤ58ネットのスタッフは、できるだけ現地に赴いて、来年1月以降の活動のため、ほかの支援グループとの情報交換や、ネットワークづくりに努めていきたいと考えております。
 今、他の支援組織と連携を考えていることは、ある小さな仮設住宅の自治会長からの要請で、これから冬になって、被災地では洗濯物が天候の関係で外で乾かせないことが多いので、乾燥機をなんとかしてもらえないかという要請がきております。
 仮設住宅の集会所に設置して、いくらかの使用料金をとって、その貯めたお金は、仮設住宅の自治活動に使えればという考えだそうです。
 今、コインランドリーなどにあるような乾燥機を業者に問い合わせております。幾つかの支援組織と費用を出し合い、支援できないか検討しております。イザヤ58ネットの物資支援のための指定献金から、その費用の一部をイザヤ58ネットで負担することを検討しております。仮設住宅での最初の冬を過ごす被災者、なんとか自分の家があるが、依然と復旧が必要な家屋、まだまだ支援の必要性は、物心両面で必要と思われます。
 しかし、同時に、キリスト教団体、教会の支援がキリストを証しする働きとして、今までにない東北の人たちの心が開かれる反応が見られます。息の長い支援と、キリストの愛を伝える宣教の活動が神様の知恵をいただきながら、すすめていければと願っております。

2011年11月3日木曜日

10月29日イザヤ特別集会「東日本大震災・・・あれから八ヶ月」

 10月29日(土)、秋晴れの中、群馬県太田市の太田キリスト教会で、「東日本大震災・・・あれから八ヶ月」というイザヤ58ネット特別集会がもたれました。特別講師として福島第一原発から数キロしか離れていない場所に教会があり、あの3月11日の震災による原発事故により、すべての教会員含め七万人の住民がすべての家財も家もおいて、津波と放射能被害から避難せざるおえなかった人たちの教会、福島第一バプテストの主管牧師の佐藤彰先生をお迎えして、震災を境に一瞬にして様相が一変し、避難に次ぐ避難を教会員を連れ、まさに出エジプトのイスラエルの民が荒野をさまよったように、教会ごと避難所から避難所に転々とした「流浪する教会」と呼ばれた群れの苦悩とその中で受けた神様からの教え、恵みをお話していただきました。出席者は、主催側の予想をはるかに上回り170名の出席者でした。
「この集会の主旨」
 今回の集会は5月頃から、イザヤ58ネットで企画が検討されていました。それは、震災直後は生々しいニュースが私たちの元に入ってくる。しかし、時が経つにつれて関心や意識が風化してしまうのではないか。さらに、祈りの手を挙げ続け、支援を続けることの大切さを訴えようと考えられていたものでした。
 私たちイザヤ58ネットの支援は、主に南三陸町、石巻が中心となっています。宮城や岩手と並んで福島も震災で大きな被害を受けております。私たちは、それらの地域を忘れてはなりませんが、残念ながら、私たちの組織の規模や支援体制では、手が届かないのが現状です。しかし、私たちは原発被害にあった人たち、震災にあった福島の地域の癒しを岩手、宮城とともに祈り続けていきたいと思います。
「佐藤先生のお話」 
 佐藤先生は、教会が原発が建設される前からあった教会、その教会が震災に遭うまで、着実に地域に根ざし、様々な教会の活動があり、豊かな交わりの共同体が形成されていった様子を、震災の日の二時間前には子供たちの特別集会の様子なども映しだされたスライドを交えながらお話をされ、そして一転して、震災直後の津波に襲われた地域や、2008年に建設された会堂の中が震災でメチャメチャになり、そこから60数名の教会員と共に転々と避難生活をしていった中で、この事態をどう聖書を通して神様が語りかけたかを順々に聖書の言葉を示しながら語っていただきました。
集会を企画して 
 今回、イザヤ58ネットの活動の報告も予定しておりましたが、十分に報告の時が時間的にもてませんでしたが、多くの人が、震災から八ヶ月が経過した現在も、被災地への関心、支援の継続的な実施について強い関心を持っておられることが伝わり、主催者側としては大きな励ましとなりました。
 またイザヤ58ネットの活動に関わった牧師たちには、佐藤先生の危機的な状況の中で、群れを支えていく牧会者としての霊的姿勢に深く教えられました。
イザヤ58ネットの今後 
 今後のイザヤ58ネットの活動予定は、11月17日(木)~20日(日)に南三陸の仮設住宅への支援物資を送りながら被災者への傾聴活動、地域コミニティー再建の一助としての仮設住宅におられる方の交わりの形成をお手伝いします。また石巻の被災住宅の再建の支援活動を予定しております。
 今回の支援チームが今年最後の派遣となります。しかし、「南三陸町を支援するキリスト者ネットワーク」が建ち上がり、私たちも、そのネットワークに加入しましたので、そのネットワークの会議などに出席し、来年以降の活動について模索検討したいと思います。今後とも、イザヤ58ネットの働きのため祈りと具体的支援をお願いします。

2011年10月19日水曜日

第五次派遣報告

 ブログを久しぶりにアップしました。今回は、10月の第五次派遣チームの方々の報告を掲載します。

今回のボランティア活動は思い出に残りました。ありがとうございました。(Y.K兄 O教会)

今回の第5次派遣の一員に、加えられた事を主に感謝します。私は、全日、石巻のNさん宅に遣わされました。ベンソン師のご指導のもとでの作業でしたが、とても、丁寧で細かい所や、見えない部分にも気を配っての指導で感動しました。壁や床はがしが終わり、骨組みだけになった家の中の、洗浄、消毒を、Nさんの家族三人と一緒にすることが出来ました。作業終了後には、「きれいになりました。ありがとうございました。」と感謝され、御家族の表情も明るくなり、私たちも元気をいただいた気がしました。皆様の献金や御祈りに支えられ、その働きに参加できた事を、感謝しております。(K.K兄 Tキリスト教会)

 今回、参加してみて皆でチームになって協力し助け合い、励ましあい、希望を持って先に進むことの大切さを知り、その中で神様の愛を感じることが出来ました。仙台SBSの森谷先生のお話のコロサイ4章5,6節のみことばがとても印象的でした。(A.O姉 Fキリスト教会)

あの地震から約7ヶ月、石巻市でのボランティア活動、被災された方々との交わりの中での一言。5月頃に見た、被災された方々の落ち込んだあの姿はなかった。復旧が少しずつ進み、一人一人の笑顔が戻ってきているのが、第一印象でした。ボランティア活動もその都度、場所、ご奉仕、内容も異なっていますが、家族それぞれのまなざしが伺われ、家屋、その他の復旧にも、私たちと一緒に行動し、さらに近所の人達の協力や団結力をうかがうことができました。時も経ち、ボランティア活動もまばらになる中、イザヤ58ネットが、被災地全体の一部かも知れませんが、復興に少しでも、お役にたっていることは感謝です。引き続きご奉仕が守られ、続けられる様お祈りしております。今回御奉仕して下さった9人、スタッフの上に、健康が守られる様、お祈りしています。(K.H兄 T教会)

教会の方々の祈りと5月に参加した主人の後押しがあり、ひとりでは何も出来ないけどイザヤ58ネットを通じて、今回の9名のメンバーの中に加えていただけたことを感謝しています。特に印象に残ったことは、東北の方々のしなやかな強さと芯からの温かさです。1日分の小さな活動を終えて、私たちの車が現場を去る時、そこでいつまでも手を振り続けて下さる姿がありました。私もこの方々のために、祈り続けるものでありたいと思わされました。(M.S姉 S.O教会)

休暇をいただき、参加しました。一つ一つの地道な作業、又、人とのつながりを丁寧にしておられる牧師、宣教師の方々や迎え入れてくださった被災地の方々の温かさに触れ、受けることの多い4日間、宮城がぐっと近くなった旅でした。(Y.H宣教師 F教会)

南三陸町でのイモ煮会は80名くらい集まったようです。表面は皆さん明るく見えますが、最後に残った人たちと南三陸町の航空写真の前で、町並みが美しくあった時の写真と、被災後の写真を見比べながら、「なつかしいね。全部なくなってしまったものね。」との言葉に、痛みと重さを感じました。そのような中でたくましく生きている姿に、こちらが励まされるようでした。石巻市では、返ってその一軒の家の方の所に二日間関われたので、掃除の活動の合間にもったお茶の時間に、当時の生々しい証言を伺うことができました。そして何よりも、「毎日こうして来てくれて、私たちのことを覚えていて下さることがどれほど生きていく希望になるかわからない。本当にありがたい。」との言葉に、人間は全てを失ったようでも、生きていく希望と力がもてるのだなと感じました。やがてその人たちに真の希望である神の愛が届くことを祈るばかりです。(H.Y牧師 S教会) 

最終日に、7月に続いて南三陸町へとやって来ました。ボランティアを受け入れてくださっている、仙台バプテスト神学校の森谷先生が山形の出身ということで、南三陸町の皆様に芋煮をごちそうしたいと、準備をして出かけたのでした。南三陸町の港周辺は、7月に来た時と変わらない、いやガレキの山が更に高く積み上げられているためか、以前にも増しての殺風景。しかしガレキの中で営業を開始した仮設のガソリンスタンドに立ち寄り、復興に向けてのパワーを感じました。      
さて、南三陸町の港から、しばらく進むと、小高い山があり、その中腹にある大上坊の集会所が、芋煮会の舞台となりました。地域の方々が20名ほど集いました。私は事もあろうに、芋煮の鍋を準備する時に重い物を持ち上げて、ギックリ腰になってしまいました。そのために私は、作業班から脱落してしまうのでした。ところが、集まっている方々が、助けの手を差し伸べてくださったのです。家に帰って腰のバンドを持ってきてくださったり、ギックリ腰経験者から体操を教えて頂いたり…この時の皆さんは、とっても輝いて見えました。きっと、助けられることよりも、助けることで、生き生きと輝いたのではないかと思います。
 作業はできなかった私ですが、芋煮を皆さんといただき、持っていったウクレレを弾きました。姉妹方の賛美歌に合わせて、メンバーの一人がクリスチャン・フラを披露してくれました。また皆さんと童謡を歌うと、涙を流している方々がおられました。助け合い、励まし合うことの温かさを教えられたギックリ腰も、たまには良いなと感じています。
(K.Y牧師 Kキリスト教会)


第五次派遣活動を振り返って(全体報告)イザヤ58ネットスタッフ N牧師

今回の活動は、9名のメンバー(男性6名、女性3名)でした。いつも神様の見事なチーム作りに驚かされますが、それぞれの持ち味を発揮しての活動がなされました。今回は、事前の打ち合わせの中で、チームを現地で二つに分けての活動でした。一つの働きは、これまでともに活動をさせていただきました石巻におけるベンソン宣教師と阿部兄との協力。もう一つが南三陸における森谷先生の働きとの協力の中で行われました。
石巻市では家屋の改築準備前の洗浄や消毒、およびその前段階のヘドロ掃除などの活動、南三陸ではいも煮会を通しての、仮設住宅のコミュニティーの方々との交わりを行ってまいりました。少し長くなりますが、日を追って、具体的な活動についてご報告いたします。

10月3日(月)足利―東松島市野蒜・東名―仙台バプテスト神学校
 9時過ぎに埼玉、栃木、群馬、東京よりメンバーが集まりました。万全を期して、栗原光兄がその賜物を生かして、出発前に車の最終チェックをしてくださり、出発いたしました。この日は移動日でしたが、次の日からのボランティア活動および被災地を見ておく目的で、東松島市の野蒜地区・東名地区を視察してから神学校に向かいました。
 東松島、野蒜はイザヤの活動が始まった時に視察隊三名がボランティア活動をした所でもあり、またその後も別のチームが訪れて祈りをささげた場所です。いまだ仙石線の電車が止まったままの場所を過ぎて、野蒜地区に入ると、今なお、その時の状況をとどめた家々とともに、段々と土台を残すのみの場所が広がりつつありました。重機が忙しく活動している様子を見るにつけ、ゆっくりですが、ここも変わりつつあることを見て取ることができます。4月に関わらせていただいたお宅も改築のための作業に入っており、この場所が主に用いられることを(そのお宅の娘さん夫婦は牧師をしておられ、神様の働きのためのこの家が用いられることを祈っておられます)引き続き祈らせていただきたいと思わされました。
 その後、一行は、松島を横目に神学校に戻りました。S姉を中心にY.H師、O姉の女性三名が中心となって夕食の支度をしてくださいました。四日間の活動中、女性陣が食事の労を取ってくださり、忙しい中、豊かな食卓を彩ってくださり感謝でした。この日の食卓には、森谷先生の奥様も加わってくださりました。ボランティア期間中、森谷先生ご夫妻との食事の交わりは、笑いあり、そして何より、被災地で関わりを持ち続けておられるご夫妻からの話を伺える幸いな時間でした。
 夜にはディーン・ベンソン宣教師(ルーテル同胞宣教師)が来られ、次の日の打ち合わせを行いました。ベンソン宣教師は震災後、石巻を中心に関わりを持ち続けておられます。第一次派遣メンバーが訪れた新館地区に一区切りをつけて、今は浦屋敷地区への働きが拡げられています。この働きの広がりの背景には、サマリタンズパースが準備した生活ボックス(包丁など1万円相当の最低限必要な生活用品が入った箱)を新館で配布した際、その地区からいらした方々と関わりが生まれ、この地区の五軒のお宅に関わっていました。
ベンソン先生の働きは、丁寧かつ確実な仕事です。何より先生の人柄や笑顔が地域の人々のよき証となっています。もちろん今は、直接、イエス様について語るという段階ではありませんが、主にある愛の実践を通して人々の心が開かれており、やがて福音の種がまかれ、実を結ぶ時が近づいていることを感じました。メンバーの一人一人が明日からの主にある働きに期待して、10時過ぎに就寝しました。

10月4日(火)神学校―石巻(裏屋敷)―神学校
 6時半より朝の祈り会が行われ、小澤師よりマルコ6章30-46節が開かれました。イエス様のご配慮、愛をもう一度覚えつつ、一人一人の整えの時となりました。朝食をあわただしく済ませて、片付けと準備をして7時30分に石巻へ出発しました。この日はチーム全員で石巻に向けて出発しました。多少の渋滞に巻き込まれましたが、予定通り9時過ぎに石巻に到着しました。浦屋敷は新館よりも幾分海岸に近い事もあり、被害の大きさとともに、今後、その場所が居住区になるかどうかという不安や複雑な思いの中にある場所でした。それでも、私たちに今できることは目の前にいる一人一人の住まいを精一杯綺麗して、改築の準備をさせていただくことであると信じて活動しました。
 チームは、①O師・K兄、②H兄・K兄・H師、③Y師・O姉・S姉・私の三チームに分かれて活動しました。簡単にその内容をご紹介すると、チーム①は最も初期の段階と言えると思いますが、家の壁や床を取り壊して、柱などをむき出しにする埃まみれになりながら大仕事。アメリカからのロジャー先生、ボブ兄とともに働きました。チーム②はH兄、K兄の経験や技術が生かされる、まさに洗浄前の最終的な準備としての様々な働きがなされました。チーム③は、壁などが取り払われた後の段階にあるお宅で、奥に入ったヘドロかきや、柱などにこびりついているヘドロをおとす作業に当たりました。それぞれの活動とともに、Mさん、Nさん、Kさん家族とのお茶の合間の語らいの時、そして震災時、震災後の苦労や悲しみ、色々なことが語られました。それらは、なかなか聞くことのできない話で、現実を知らされた時でした。
Kさんが、「最近は涙もかれてしまって、今は話しながらも涙が出なくなった」と笑って語っておられましたが、ここまでどれほど涙の中を過ごされたのかということを思わされました。
 活動の合間に、祈りの家のA兄が支援物資の配達で来られました。久しぶりの再会を喜びつつ、その誠実な働きに頭が下がります。これまで石巻での活動にはいつもA兄と一緒にチームは活動してまいりましたが、今はベンソン宣教師が改築準備のための働きを前線で行い、A兄はその後方に回って、支援物資を新館や浦屋敷地区にお配りする後方支援の責任を担っているそうです。まさに両輪のようにお二人が手を取り合って活動している姿がそこにありました。
 先ほど述べましたように、ベンソン宣教師は浦屋敷地区において、五軒のお宅と関わりを持っておられますが、ボランティアがそれほど多くはない中で、一度に五軒に関わることができず、毎日、バランスを考えながら、その時、その時に与えられるボランティアを派遣して活動を続けています。必要は沢山あり、求めもたくさんあります。それは先生たちの働きが、これらの地区でますます信頼されてきている現実であります。そのような働きに私たち小さなグループが関わることできることは喜びです。そして、また先生たちも私たちイザヤ58ネットをとても信頼して下さっています。それは、これまでイザヤ58ネットを通してボランティアに関わってくださった方々の誠実な働きとともに、それらのメンバーを祈り、献金などで支えて下さっている皆様との協力があってのことであると思わされています。
 さて、いつものように、4時には活動を終えて、それぞれ帰途に就きました。ここでは、最後に、ボランティアと関係するお宅の方々が一度に会して祈って終わります。それはとても感動を覚える時でした。アーメンと祈って涙を流す関係者の方々の姿に、確かに神様はこの地を大きく揺り動かそうとしておられると感じました。帰りに、少し寄り道をして、第一次派遣の時から関わりのあるNさん宅の様子を見てきました。すでに石膏ボードがベンソン宣教師を中心にサマリタンズパースの援助や関係の大工さんのボランティアによって完成し、今はご夫妻が自分たちでペンキ塗りをしているとのことでした。ご主人は短期の仕事が与えられ、その時は、まだ帰宅しておられずお会いできませんでしたが、一歩一歩の実を見させていただきました。今回関わったお宅もやがて、ここと同じようになることを祈りつつ、関わって行きたいと願います。兵藤師にN宅で祝福を祈って頂き、N宅を後にしました。
 夕食を済ませて、七時半から森谷先生と打ち合わせを行いました。特に次の日の南三陸町でのいも煮会についての打ち合わせとまたメンバーとの顔合わせを行いました。明日は二チームに分かれて南三陸と石巻で活動を行うことを確認して、就寝しました。

10月5日 ①神学校―南三陸・中瀬町―神学校  ②神学校―石巻―神学校
 六時半からの朝の祈りは、兵藤師がイザヤ30:19-21をお開きくださり、選択するということを黙想しつつ、整えの時を持ちました。いつもように慌ただしく朝食を済ませ、片付け、出発の準備をして、七時半に南三陸へ①Y師、S姉、O姉、K兄、H師、N牧師、同じく七時半に石巻へ②O師、H兄、K兄がそれぞれ出発しました。石巻では、N宅において、最終的な洗浄の作業に三人が加わり、洗浄と消毒の作業を終えることができました。さらに、この日は、その地域の必要な物資や働きのために、皆さまから捧げていただいた献金の一部をベンソン師、A兄に託すことができました。これらがこの地域の復興と地域の人々の必要のために用いられることを祈っております。
 チーム①も南三陸町へ大きな渋滞もなく、10時に到着することができました。女性陣を中心に現地の方々や他のボラティア団体と協力しておにぎりの準備がなされ、森谷先生を中心に男性陣が山形のいも煮の準備をいたしました(140食程度を準備)。十二時を過ぎると続々と仮設住宅に住んでおられる方々が集まり80人近い方々が集まりました。この中瀬地区の方々は、四つの仮設住宅(1-4基)に分かれており、事前にまとめ役の方々を通して回覧で今回のことが伝えられていました。十二時半過ぎからいも煮とおにぎりを通しての交わりの時となりました。特に、S姉、O姉、H師、Y師、K兄、それぞれが積極的に輪の中に入って、話しかけ、良き語らいの時を持たせていただきました。かつての南三陸の美しい大きな写真と現状の写真を見比べながら、震災時の出来事、今の心境などをお聞きすることができました。
特に、この地域においてはある地域には居住の許可が下りたそうです。しかし、実際、津波がその場所すら襲った現実を受けて、本当に安全なのかという心配があるようです。方針が決まらず悩む地域の方々(石巻)もおれれば、居住区としての認可を受けても悩みが絶えない住民の方々もおられるという複雑な事情を垣間見たような気がします。またまとめ役の方々から避難所での現実、そこには人間的な欲や、利己主義といった報道されない影の部分の現実などがあったことを伺い、いかに被災者たちが傷つき、困難を通しての現在があるのかを考えさせられた時でした。
 その後、いも煮会に来ることができなかった少し離れた仮設の方々にいも煮を届け、片付けを終えて、別れを惜しみながら、予定時間より少し遅くなりましたが帰途に就きました。
 改めて、この南三陸においては森谷先生たちが真摯な取り組みをされていることを目の当たりにします。何度も、まとめ役の方々から森谷先生たちに良くしていただいているという言葉を聞きました。それは本当に地域の信頼を得ている姿でした。ここでも、このような形で私たち小さなグループが関わらせていただいている恵みを感謝しました。
 石巻、南三陸、それぞれのチームが七時前に到着して、森谷先生ご夫妻を交えての最後の夕食の時を楽しく持たせていただきました。その後、ベンソン先生も寄ってくださり、楽しい語らいの時間を持つことができました。

10月6日(木) ①神学校―南三陸・大上坊―蔵王PA-足利 ②神学校―石巻―蔵王PA-足利
 いつもの六時半からのディボーションはH兄がご自身の救いの証とともにマタイ11:28,29、Iコリント13:13を開いてくださり、主の前に整えの時を持って、朝食と出発の準備を整えてそれぞれの場所に遣わされました。南三陸チームはO師、S姉、H師、O姉がいも煮での働きでした。特に、O師の奏楽、S姉とH師のコーラス、O姉のフラゴスペルなどを通して、大上坊の仮設住宅で活動をして参りました。
 石巻チームはH兄・K兄の最強コンビが引き続き賜物を用いての改築準備のための働きをW宅で行いました。先にも述べましたように、一度にすべての家に関わることができず、ベンソン先生がバランスを考えながらお宅をかえながらのボランティア活動をしております。もう一チームは、Y師、K兄、Nが4日に続いてK宅にて、柱や奥に詰まったヘドロのかきだしを行いました。安田師はペンキ塗りの経験を生かしての養生作業(洗浄時に水がかからないようにするためのビニール張り)、栗原雄兄は、忠実にブラシを用いてのヘドロ落としの作業をしました。K宅では毎回沢山のおもてなしを用意してくださり、作業の合間の話の時間は、作業時間より長くなっているのでは?!と思うほどでしたが、その時間を本当に喜んで下さっていました。「話を聞いてくれるのか嬉しいの。」「ボランティアさんたちが来てくれるのが嬉しいの」「ボランティアさんが来ない日は寂しくて」「ベンソンさんの顔を見るとホッとするの」といったように、それがお世辞ではなく心からの言葉であることを思う時に、作業ともに一緒に話を聞いたり、笑ったりという大事な働き、そしてそれは被災者だけではなく聞かせていただく私たちにとっても宝物のような時間となることを改めて経験してきました。
ベンソン宣教師いわく、一度に作業ができればいいけど、ボランティアの数が8月以降、減っているという現実の中で、精一杯の働きを行っているとおっしゃっていました。さらに、この場所だけではなく先に関わった新館にも、最近行く機会が減ってしまい、向こうでもさびしい思いをしているからたまに顔を出すようにしていると言っておられました。そんな状況の中で、先生が、「アメリカから日本に宣教師として遣わされ二十数年たつけれども、人々の心に触れることがいかに大変だったか。しかし、この6カ月という短い時間の中で、これほど人々の心に深く、そして関係の広がりをもつことができているという主の働きの不思議さがある」と語っていました。
 この日は、午前の仕事を終えて昼食後に出発を予定していましたが、K宅の裏にある柿の木を切ってほしいという要望にこたえて、昼食を簡単に済ませて作業することにしました。K兄が携帯したチェーンソーで木を切り、K兄が家族とともに枝の片付けを担当しました。Y師はK宅の養生の残り作業と最終的な掃除、さらにH兄はW宅に戻って最終的な片付けを行うといったように不思議な連携と分担がなされてそれぞれの最後の働きをさせていただきました。1時半にほぼ終了し、帰る準備を整え、最後に短い交わりをK宅で持って帰ることにいたしました。
 K宅にK夫妻と奥様の姉のTさん、さらにW宅のご夫妻が来られ最後の楽しい団欒の時を持ちました。その中で、ご家族がベンソン先生にイザヤ58について尋ねられました。ベンソン先生から振られて、イザヤ58ネットが聖書のイザヤ書58章を通して、痛んでいる、傷ついている方々の傍らに立つこと、そしてそのような方々ともにある時に私たち自身も光り輝くということを願ってというような趣旨を、突然のことで、お恥ずかしい話、うまく言えなかったのですが、実際自分が経験している被災地の方々との交わりで自らが教えられ、励まされ、慰められる経験をお伝えしました。そして願わくはぜひ、聖書を読んでみてくださいと付け加えました。するとすかさず、ベンソン先生が「聖書は私が持っていますよ」と言われ、追い打ちをかけるように、Y師が「『すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます』(マタイ11:28)などの素晴らしい言葉に満ちあふれていますよ』と語られました。そのような言葉がスーッと入って行く、それはこれまでの多くクリスチャンボランティアを通して少しずつ主が備えて下さった瞬間でした。
 帰りに、ベンソン宣教師が耳打ちしてくださいましたが、これが、私たちが願っている自然な形での宣教ですと言われました。もちろんダイレクトに福音を宣教することが必要な場合もあるでしょう。しかし、まず痛んでいる方々の必要に応え、寄り添いながら、愛を届ける。そしてその中で、人々の心がほぐされ、ことばの宣教が始まって行くそんな出来事を見たような気がします。ベンソン宣教師も今後この場所にカフェのような場所を備えて、人々が憩うことのできる場所ができることを願っています。そしてそのような場所がさらに福音の宣教の場となることをその先に見ていることと思います。私たちも祈り続けていきたいと思われました。
 まさに後ろ髪を惹かれる思いで2時半過ぎに石巻を出発、途中、蔵王PAで南三陸チームと合流して、メンバーの乗り換えを行い、国見SA、那須高原SAを経て、8時過ぎに足利に無事全員で到着できました。長距離の運転が守られ、運転のためにO師、H兄のご奉仕があったこと感謝でした。到着後、T.Y牧師に祈って頂き、最後に、四日間、会計を務めて下さった安田師が会計の締めをしてくださり、皆さまからささげられた尊い献金に感謝しつつ、会計を閉じることができました。
長くなりましたが、少しでも祈り覚えて下さっている皆様に状況をお分かちできらと思い書き連ねてしまいました。書ききれない沢山の主から頂いた恵み、また現地で報告や証がありますが、参加された方々に是非そのような証をお聞きいただければと思います。また、もし許されるならば、ぜひ現地ボランティアにご参加くださればと思います。
最後に、4月の視察から今回で4度目の参加が許され、多少なりとも被災地の変化を見させていただいております。少しずつ前に進んでいますが、引き続き、働きが残されていることを感じています。今後ともこの働きのために祈りつつ、共に歩んでいただければ幸いです。
個人的なことですが、改めて、現地のボランティアが支えられているのは、特に牧師にとっては遣わして下さっている教会や家族の理解と支えがあること、また多くの方々の尊い祈りと献金、そして励ましがあることを実感し、感謝しております。そのようなことに感謝をこめて、遣わされた者の責任としてここに第五次の報告をさせていただきます。ありがとうございました。最後に、森谷先生を通しての働き、特に南三陸での働きについては、SBSのブログにおいてご覧いただけます。http://saigai-sbs-net.blogspot.com/

2011年9月20日火曜日

第4次派遣活動を振り返って(2011年9月5日~8日)

はじめに
2011年3月11日午後2時46分に東日本大震災が発生してから早半年が過ぎました。イザヤ58ネットも4月にスタートしてから視察、支援活動、支援物資の提供、会議等を含めて9回現地に行っています。皆が夢中で奉仕して、あっという間に半年が過ぎていきました。この間に多くの教会や兄弟姉妹の励まし、祈り、具体的な支援をいただきここまで来ることが出来た事を深く感謝しています。個人的な事を言えば、私はそれほど丈夫ではないにも拘らずここまで主に支えられていることは本当に不思議なことです。被災者の為に何かしたいと思いつつも現地に行くことなど夢にも思ってみませんでした。それが今では平気で片道400㎞を車で運転しています。
またこの働きは、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」という聖書のことばに基づくものです。ですから兄弟姉妹と共に隣人に仕えることは実に楽しく、喜び溢れる奉仕であります。今回は男性3名でしたが少人数であった分メンバーや仙台SBSネットと幸いな交わりが多く与えられ真に幸いな奉仕となりました。車はI兄が大きな車を用意してくださり感謝しております。

第4次派遣活動の特徴
今回の奉仕は私達イザヤ58ネットにとって非常に重要な派遣でした。それは私達の南三陸町や石巻での働きの方向性がかなり見えてきたことです。これが第一に大きな成果です。第二は現地の被災者や奉仕者との協力関係の継続により信頼関係が更に増して来たことです。この二点を肌で感じた活動でした。
南三陸町
私達が知る範囲での現状報告

 避難所で生活していた皆さんは8月いっぱいで避難所を出て全員がそれぞれの仮設住宅に移りました。希望していたところに移った人、そうでない人とそれぞれですが新しい生活が始まった訳です。無償で家が提供されます。電気製品等も提供されて新しい生活がスタートしたのです。確かにここまでは良いことでしょう。
しかし仮設は2年~3年という期限付きの生活ですのでいつかは退去しなければなりません。また電気、ガス、水道代は自己負担となります。家のロ-ンが残っている方は支払いがあるでしょう。仕事を失っていても健康保険料は払う必要があります。勿論毎日の食料品や生活物資も自己負担となります。経済的な負担は私達が考えるよりも非常に深刻な問題であると言うことです。また知らない人ばかりが住んでいる仮設に引っ越した人は人間関係を作っていくのに時間が掛かります。特に人間関係を作っていくのが得意な人ばかりではありません。関係を持つのが苦手な人もいます。
健康管理については高血圧、糖尿病、気管支喘息等の持病を持っている人は辛い面があります。病院が流され、カルテも無く、お医者様も新しい先生が担当となります。また忘れてならないのは、家を失い、家族を失い、仕事を失って大きな悲しみの中にある方が孤独になってうつ状態となり、やがてうつ病を患ってしまいますと自殺の危険性がでてきます。要注意となります。
こうして現状を分析すると必ずしも暗い話ばかりではありませんが、厳しい状況には変わりありません。この人たちに「早く自立して」と言っても過酷なことではないでしょうか。また果たして町がこれから何年掛かって復活できるか正直まだ先が見えてきません。

私達に出来ること
幸いな事に南三陸町にはクリスチャン達や教会関係者が進んで奉仕しています。南三陸町の人を自分と同じように愛している人たちがいます。私達が以前から連携している仙台バプテスト神学校のSBS災害復興支援ネットワーク(代表森谷正志師)と全世界の多くの支援者が沢山います。また3月の震災以降直ぐに南三陸町の避難所に駆けつけて奉仕しているキリスト聖協団西仙台教会の中澤竜生牧師とこの働きを支えるが多くの支援者がいます。
両師は仙台から100キロ以上離れている南三陸町に頻繁に出かけては支援活動を続けています。ですから地域住民や行政の信頼が厚く支援活動は行政の中にも入り込んで行けるのです。ここまで来るには多くの犠牲があった事でしょう。
またお二人は多くの仲間と共に8月18日に南三陸を支えるキリスト者のネットワークを立ち上げました。私達イザヤ58ネットもこのネットワークと連携して働きを進めることが可能となっています。但しこれは始まったばかりでまだ具体的な方向性が定まっていない事も事実です。これから私達は現地の実情を正確に知っていくことが必要となります。そして自分たちの身丈にあった働きを着実に積み重ねていくことが求められているように思います。
特に10月と11月に人員を派遣して南三陸町の志津川の仮設住宅や大森地区、また北部の枡沢、大上坊、米広の各地区で奉仕を予定しています。ここでは傾聴、お茶会、芋煮会等による信頼関係の構築や支援物資の提供が中心になります。また冬に備えて日用品や冬物衣料等の支援ができるよう教団の各教会に呼びかけていきます。

石巻
石巻での働きは南三陸町での働きと全く違います。ここでは主に仙台ルーテル同胞教団のディーン・ベンソン宣教師と石巻のキリスト教会・祈りの家の代表阿部一兄弟を中心とした働きです。石巻では倒壊した家屋ばかりでなく、家は残ったものの津波によるヘドロの為に住めなくなったお宅が無数にあります。今ベンソン師は全世界の支援者と共にこのような家の床の泥払いから始めて壁をはがして家を再生する働きをしています。
先日私達が奉仕した家は5月に行ったチームが泥払いをしたNさんの家です。ここでは床板が張られ、断熱材、石膏ボードが取り付けられていました。秋田からルーテル同胞教団の大工さんが泊まり込みで工事をしていました。全て無償工事です。費用は全世界からの献金によるものです。Nさん家族はクリスチャンではありません。しかしベンソン師達は改築が必要と判断した家屋は最後の完成の時まで続けるのです。これがキリストにある隣人愛の行為です。
またもう一軒、Dさん宅(女性)を工事しています。私達も三人で泥払い、壁剥がしをアメリカの宣教師チームと一緒に行ないました。ここも進んでいますので10月に行く時にはだいぶ形が出来ていると思います。またDさんとは自由に聖書や信仰の話しが出来ますので感謝でした。
一方、阿部一兄弟は全体的な管理をしています。どこに何が真に必要かを見極めて、援助が必要な人に、必要な分だけ、必要な時に提供しています。支援物資は日用品等をきめ細かく提供しています。阿部兄弟は70歳代です。県立高校の教師を退職後に家の教会の代表として奉仕する傍ら、ベンソン宣教師と協力してキリストの愛をもって地域の人に真心から仕えています。あの行動力には驚かされます。まさしくキリストの力によって動かされています。
今回私達は教団の有志の皆様からお預かりした支援物資指定献金の内5万円をキリスト教会・祈りの家を通して石巻の皆さんに使っていただくことにしました。イザヤ58ネットは今後も石巻でベンソン宣教師、阿部兄弟達の点ではなく、面を着実に広げていく働きに加わって行きたいと願っています。それは同時に石巻での宣教協力につながる働きと確信しています。

今後の方向性
南三陸町では8月18日に「南三陸を支えるキリスト者のネットワーク」が立ち上がったばかりです。各団体にはそれぞれの思惑がありますので、これからどのような方向に進むのかを良く見極め、自分たちの身の丈にあった働きを着実にしていければと願っています。特にイザヤ58ネットが出来る働きは仮設談話室での傾聴の奉仕です。これが今後ますます重要になってきます。
石巻では継続して家の改築・改修工事を手伝い、被災者の皆さんと関わりを続けて持っていきたいと願っています。11月まではこのまま継続する予定です。特に11月の6次派遣は木曜日から日曜日までを計画しています。こうすることにより会社員、公務員の方は動きが取れやすくなりますし、日曜日は現地の教会で礼拝を捧げ、交わりが出来ますので共に大いに励まされます。先生方が行かれれば説教奉仕も出来ます。これは現地の教会にとっては大いに勇気づけられることでしょう。今後の更なる広がりを期待しつつ。

・・・お知らせ・・・
10月29日(土)
イザヤ58ネット特別集会
「3.11東日本大震災・・・あれから八ヶ月」
・・・津波と原発事故にあった教会から・・・
場所:福音伝道教団太田キリスト教会(群馬県・太田市)
講師:佐藤彰先生(福島第一バプテスト教会主任牧師)

2011年9月12日月曜日

9月の支援活動の報告

 ブログ責任者の個人的事情があって、ブログへの書き込みができませんが、9月の支援活動をした方のホームページに支援の報告が掲載されておりますので、了解をとって、そちらのURLを紹介します。
 http://manna.board.coocan.jp/
こちらをごらんください。
・・・お知らせ・・・
10月29日(土)
イザヤ58ネット特別集会
「3.11東日本大震災・・・あれから八ヶ月」
・・・津波と原発事故にあった教会から・・・
場所:福音伝道教団太田キリスト教会(群馬県・太田市)
講師:佐藤彰先生(福島第一バプテスト教会主任牧師)

2011年9月1日木曜日

「イザヤ58ネット特別集会のお知らせ」

 9月に入りました。3月11日のあの日から7ヶ月に入ろうとしています。しかし、南三陸を訪れた時、まだ片付いていない津波で壊れた建物に、あの震災の時の時間で停止したままの柱時計があったのを見た時、被災者たちにとっては、何ヶ月たっても、あの時から時間が停止しているのではないかと思ったりもします。
8月末で、岩手、宮城などの避難所は次々と閉鎖されています。ある人は、仮設住宅に、ある人は他県に移っていってもしています。避難所では、支援物資がありましたが、仮設住宅に移ると支援物資はなく自活していくことが求められますが、実際は、仕事を無くした人もいって、避難所から出たからといっても不安はぬぐえないでしょう。
 私たちイザヤ58ネットでは、主に石巻、南三陸での災害支援が中心ですが、福島、茨城などの被災地域を忘れてはいません。しかし、私たちの支援ネットの規模などから、気にはしておりますが、なかなか、そちらまで手が伸ばせないのが現実です。今後の課題としてお祈りしていく必要があります。
 そのような中で、このたび、津波と原発事故で、一年前に、立派な会堂を建てたばかりの会堂を原発から数キロ一番近い教会であったため、避難をせざるを得なかった福島第一バプテスト教会の牧師佐藤彰先生を迎えての講演とイザヤ58ネットの活動報告の特別集会を計画しております。皆様の出席を心から期待しております。
「イザヤ58ネット特別集会『「3・11東日本大震災・・・あれから八ヶ月』
     ・・・津波と原発事故にあった教会から・・・」

日時:2011年10月29日(土) 午後2時~3時30分
場所:太田教会
講師:佐藤彰先生
入場料:無料(震災支援のための席上献金があります)