展示コーナーと詩の朗読
(祈りの家阿部氏撮影)
2014年がスタートして、被災地の支援グループの活動は今年もそれぞれの支援方針、活動計画に従ってスタートしております。前回のブログでお知らせしましたが、南三陸での支援活動では、いのちのことば社、南三陸町を支えるキリスト者ネットワーク他いくつかのグループの協力で「星野富弘詩画展 in 南三陸」も感謝の内に実施することができました。
来展者も700名を超えたとの報告を受けております。この実施に係わったYSP21の森谷先生、中澤先生、平田姉、またいのちのことば社関係者などの労に感謝したいと思います。詩画展に来られた被災者様は多くのコメントを残してくれました。どのコメントも感謝と励まし、希望に繋がるものでした。とくに、詩画に囲まれたコンサートは、暖かく微笑ましい空間を醸し出してくださったと聞いております。
展示コーナーと詩の朗読 (祈りの家阿部氏撮影) |
来展者も700名を超えたとの報告を受けております。この実施に係わったYSP21の森谷先生、中澤先生、平田姉、またいのちのことば社関係者などの労に感謝したいと思います。詩画展に来られた被災者様は多くのコメントを残してくれました。どのコメントも感謝と励まし、希望に繋がるものでした。とくに、詩画に囲まれたコンサートは、暖かく微笑ましい空間を醸し出してくださったと聞いております。
救援と救済のジレンマ
昨年、福島のFCC(福島キリスト教協議会)の先生と支援についての情報交換をした時にお聞きしたことで、また南三陸、石巻の被災地での支援活動をしている関係者からも聞いていることは支援を支える支援者や教会内部から「そろそろ、支援もいいけど自分の教会の伝道の方に…」とか「教会の牧会の方に関わってくれ…」などと教会の信徒の方に言われる先生方がいるとのことでした。
岩手、宮城、福島の震災は神戸の震災の時と異なり、復興というものが見えるまでには、長期にわたることでしょう。さらに、福島の原発の事故が加わっている中で、半端な期間ではすまない現実があります。
被災地に何回か行く中で、「ジレンマ」ということが一つのキーワードとなって心に残ります。
もともと震災前から過疎地域の多かった東北、また特に日本の習俗と密接に関わる生活スタイルを持つ人々の目に映っているキリスト教への理解(偏見も含みますが)と私たちが当然信じて教えられ、教えている福音理解とのギャップ。さまざまなジレンマを目にします。また小さな20人から30人ぐらいの規模の多い日本の教会の現実を見るとき、日本の教会が抱えるジレンマという課題があることが支援を通して知ることができました。
l 被災者の中にある宗教団体から受ける援助へのジレンマ。
阪神・淡路の震災の時にも様々な宗教団体が支援に関わりましたが、被災者たちのアンケート調査で、宗教団体からの援助を受けることに警戒があることがわかります。特に、オウム真理教の事件以来、一般の人たちの宗教に対する警戒が強いことは周知の事実であります。また援助と宗教活動を取引のようにするのではという警戒心があることも事実でしょう。しかし、その反面、特に今回の東北の震災は阪神・淡路の時と比べものにならない位の甚大な被害を広範囲に受けています。そのような中で、被災者たちの心は将来に対する不安、家族や知人を一瞬のうちに奪われたことからの「生きる意味」「命の意味」などへの問いかけなど物理的な支援では満たされ得ないことを被災者たちも理解しています。
支援の側として、福音を支援の取引のように見えるアプローチに見られないように「寄り添う姿勢」を持つことが肝心です。
l 教会の側の救援と救済のジレンマ
被災地にある教会は東北という習俗が顕著に渾然一体となっている地域の中で、また過疎地も抱えている地域で、もともと教会自体が大きい教会が多いわけではありませんでした。このような中で震災を受け、当初は救援物資の集積場所、被災者たちへの支援物資のハブのような役割を担っていましたが、教会の牧師や信徒の中にもだんだん支援疲れが出てくるのは当然です。彼ら自身が被災している人たちなのです。またちょっと被災地から離れている地域の教会でも、信徒の中には「支援活動もいいが、自分たちの教会の伝道や牧会も・・・」という思いも出てくる中で、今後の救援活動と教会活動の両立に苦心する牧師たちがおります。
全国的規模の教団などでは、自分たちの教団内の教会が被災地にある場合は、リアルに仲間の教会の支援活動に協力する、援助するという考えが説明しやすい。しかし、イザヤ58を送り出している福音伝道教団などを例にとるなら、北関東という限定された地域にある教会の牧師たちは、自分の教会活動と支援活動との両立に神経を使います。多くの信徒がイザヤ58を通して東北に向かいましたが、残念ながら教団の牧師はそれほど多くはいません。「百聞は一見に如かず」と言います。ぜひ現地を視察していただき、被災者や支援活動の先頭に立っている現地の教会の牧師の声に耳を傾けていただきたいと思いますが自分の教会のことが手一杯と考える先生が多いようです。「教会を牧師が留守にするなんて・・」という声にならない声に気を使います。
私自身も教団の仲間の牧師から「先生、そんなに東北に関わって、教会は大丈夫ですか?」と問われます。けれど、私は自分の遣わされている横浜の教会での教会形成と東北の支援を通して宣教を考えることを別とは考えられないのです。
この三年間、自分の教会で訴えてきたことは「信仰義認」や私たちの団体が大切にしている聖化は「自分の救いの達成」「自分の霊的満たし」だけという自己完結的クリスチャンを育てる教理ではないということでした。ジョン・ウェスレーの聖化は内側に向かいながら外にも向かうものであると理解しております。それはどのような聖化論に立つ者であってもそうではないでしょうか。しかし、「自らの霊的満足」「内側と外側の人間に対する態度の使い分け」というものが見え隠れします。教会の中に起こる不祥事に対して、身内の仲間を「かわいそうだ・・・」と思いながら、その不祥事に対しての対社会的責任や問われている責任に大しては無頓着な身内意識が私たちの中に見え隠れしがちなことは、支援を外のことのように考え、教会の働きを別個のものという考え持ってしまうことでも脈絡は一にしているように思われます。
そのような神学的課題と足元の教会形成を考えた時、具体的には毎年の教会総会で支援活動と自分たちの教会の関係について議題にあげて、牧師が関わることの承認を求めております。また「教会に神学を取り戻す」というテーマで、神学がとかく一部の聖書学者や牧師の専門領域のように見る教会体質の脱皮をはかり、日常の信仰生活の中で、聖書に書かれていることと信仰の原則と現実をどう当てはめるかという問答をすることを教えながら教会の課題克服に微力ながら取り組んでいます。そうでないと異教社会の中に置かれている日本での教会形成の力とはならないでしょう。力のない説教は説教を止めていることと同じように、力のない神学は神の国の学たりえないのではないでしょうか。
支援活動の経験から、地域の中にある教会の存在の意味、足下の教会の宣教のあり方が問われています。何故教会に対して忠実な福音を信じている信徒が、牧師が被災地に出向くことに消極的なのか。なぜ社会的なことと教会的なこととに意識の乖離があるのか…。なぜ霊的な信仰を求めながら身内に対しては必要以上に甘くなるか、また反対に必要以上に呵責のない批判が飛び交うのか。なぜギリシャ語釈義には一生懸命で恐ろしく正確な聖書解釈をするが、恐ろしく退屈な説教しかできず、個人伝道もできない牧師を育ててしまうのか。
また偶像崇拝に囲まれている東北での宣教を考える時、土着化とシンクレティズムの関係。他宗教は本当に悪なのか。悪霊なのか。対話の余地はないのかなど。なぜ「聖書信仰」という名の下で福音派は過度な護教主義的に陥るのか。支援活動をしてずっと自問自答していたことでした。
また偶像崇拝に囲まれている東北での宣教を考える時、土着化とシンクレティズムの関係。他宗教は本当に悪なのか。悪霊なのか。対話の余地はないのかなど。なぜ「聖書信仰」という名の下で福音派は過度な護教主義的に陥るのか。支援活動をしてずっと自問自答していたことでした。
尊敬している私の神学校の恩師の聖書学者が「数年前に起きたスマトラ沖地震で多くの被害を受けた南アジア、東南アジアのキリスト教会で取り上げられた神学的なテーマは『その時、神は何をしていたか』であった。しかし今、日本の教会に問われていることは『その時、教会は何をしていたのか』である」とおっしゃっていた。
「救援と救済」の神学的理解を牧師自身がしっかり学ぶ必要があると痛感しております。そして、その延長線上に「教会とこの世」「神の国とはただ来世のことだけか」ということが教会に問われていると思われます。キリスト者、教会というコミニティーがこの世とどう関わるのかということが問われているのではと思われます。
今、多くの心あるキリスト者が感じている日本政府の右傾化に対して教会が何をするのか、神学的に何を考えなければならないかということは震災支援を通してこの世とどう関わるのかという課題と地下水脈のようにつながっていると思うのです。
今後、その面でもイザヤ58の代表としては「教会とこの世」、「支援を通して足下の宣教をどう考えるのか」、「異教社会の中にある教会」などについての宣教神学的なことの見解を発信して、皆様と神学的問答をしていかないといけないと考えております。そしてそれは象牙の塔の論議ではなく被災地のまっただ中で、また遣わされている地域の現場で神学し、実践していく者として論議し発信したい。もし、そのような場があるならばぜひお招きください。またご意見があればお知らせいただきたい。おおいに紳士的に論議したいと思います。
l 第三回東日本大震災国際シンポジウム開催
支援活動に関わる教会の中にも「救援と救済」について「宣教とは何か」「福音提示のアプローチとは何か」について考えないといけないのではと考えます。その神学的なテーマについてカトリック、メインラインの教会、福音派の支援関係者たちが集まり震災、支援について意見交換するシンポジウムが2月15日(土)、17日(月)に東京お茶の水キリスト教会館で開催されます。ぜひ参加をしましょう。イザヤ58も鈴木が分科会で発題をします。
おわびと報告///イザヤ58 代表 鈴木真
ここで皆様に知らせをします。このような場で個人的なことをお知らせすることで、このブログを読む方が戸惑いを覚えるのではと逡巡したのですが、公にお詫びをしなければならないことがあるので公表いたします。
昨年、7月末に人間ドックで検査をうけたところ、潜血反応があるということで前立腺肥大の疑いで、専門医に検査を継続的に受けている最中、10月末に、血尿が大量に出て病院でCT検査をうけたところ左腎臓に癌があり手術しないといけないと告知されました。
11月に福島で宣教フォーラムの主題講演を依頼されていたので手術を延期できないかと医師に尋ねましたが、急ぐ必要があると言われ、11月5日に急遽、左腎臓の全摘出手術を受けました。経過は良好で11月15日に退院して自宅療養をしておりました。しかし、福島の宣教フォーラムをどたんばでキャンセル事態となりました。誠に申し訳なく思います、関係者にお詫びします。
12月の第一主日の礼拝で退院後初めて説教の奉仕を再開しましたが、さすがに時期尚早の感がありました。いわゆる抗がん剤の治療はなく定期的に経過観察をすることになりました。クリスマス礼拝から体力を持ち直して、現在、C-BTEアンテオケ・スクールの次世代リーダー養育の訓練を受けている兄弟が月に二回の礼拝説教を奉仕してくださり、教会員の信頼を受けております。
現在の体調はすこぶるよく、無理をしない範囲で通常の教会奉仕をしております。これから三か月ごとの精密検査の経過観察ということになっております。むしろ教団の様々な責任から病気を理由に解放されて、教会の次世代リーダー育成と震災支援に専念できて極めて元気であります(教団関係の先生、ごめんなさい)。
妻も震災の前の年に大腸がんの宣告を受けて現在治療中であります。おかげさまで妻の方は今年で四年目になり再発もなく経過は順調に回復しております。夫婦そろって癌になることに摂理の神の働きがあると信じております。
この度の入院手術の時、JEA宣教委員会のホーリネス教団の中西先生がわざわざ手術の前日に病室まで訪問してくださりお祈りをしてくださいました。また、術後三日目に、まだ起き上がれない状態の時にも同委員の永井敏夫先生が病院に訪問していただき励ましていただきました。すっかりJEAの末松先生はじめ宣教委員会の先生方に牧会をしていただいた感じです。
また、相模大野バプテスト教会牧師で、私の神学校の恩師である中澤啓介先生より、今後の私のライフワークと教会の今後について適切な助言をいただきました。東北の仙台バプテスト神学校校長の森谷先生、YSP21代表の中澤竜生先生、国分寺バプテストの米内先生からも励ましのメールをいただき、また石巻祈りの家の阿部代表などがこまめに活動の様子のニュースレターやFace Bookなどを通してしらせてくださったり、C-BTEの仲間の山形の先生からも入院療養中の留守の教会の礼拝説教の奉仕の応援も申し出てくださった先生もおられ、病気の中で気の弱くなった自分に大きな励ましをいただきました。このような親密な関係をもてたのもひとえに震災支援という共通の問題を共に担っているという同労者意識であると思います。また入院前後の一人静まる時を神さまから与えられ、これまでの奉仕と今後の生き方について取り扱われる貴重な経験をさせていただきました。
福島のキリスト教連絡会の木田信嗣先生や住吉先生などにご心配とご配慮をしていだき誠に感謝です。福島の宣教フォーラムをドタキャンのような形となってしまいましたが、代わりに突然の講師依頼を引き受けてくださいました同盟教団の朝岡勝先生がすばらしい講演をしていただいたことに安堵しました。福島の先生方、教会の皆様、誠に申し訳ありませんでした。
今後は、神さまに自分の時を握られていることを覚え、またこの機会に教団の様々な働きは次の世代に委ねる機会として、神さまから足下の教会の次世代指導者の育成と震災支援とそれに係わる神学的な研鑽に自分の時を注ぎたいと思います。また「宣証」という課題の実証の活動をしながら、被災地の中で苦闘している先生方や教会を励ます働きをしたいと考えております。
イザヤ58の支援者の皆様、まだまだ岩手、宮城、福島の復旧と被災者たちへの支援が必要であります。私もできる限り支援活動に係わる所存です。ご理解とご支援を引き続きお願いいたします。
そのようなことを踏まえ、イザヤ58の年度の会議を以下のように開催します。支援関係者の先生、福音伝道教団の支援に係わった信徒の皆様のご出席を賜り、今後の支援方針についての意見交換をしたいと思います。ぜひご出席ください。
日時:3月1日(土)午前11時より
場所:福音伝道教団佐野オリーブ教会
なお、昼食を用意しますので関係者の皆様の出席の有無をお知らせください。